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⑰今できる事をしなさい。先なんか考えない!

はじめに

この日記は聴覚障害と発達障害を併せ持つ息子の超・・・濃かった子育て振り返り日記です。
赤ちゃんの頃たくさんの障害が次々見つかり、絶望的な気持ちを味わいましたが、ひとつひとつ前を向いて進んでいったことで、今があります。
(今はもう成人して自立し一人で大好きなタイに旅行へ行ったりしています。)
すべてがかけがえのない経験に変わり、本当に多くを学びました。

尽きない心配

耳鼻科では「絶望的な重度難聴」と言われ、
それよりもまず最初に形成外科で顔の奇形の手術をすることになり、
最も一番の心配は側弯(背骨の奇形)だった。

この子が将来歩いたり座ったり、はたまたもっと最悪な事態としては、生命が維持できなくなるとこまで側弯の角度が進むことがあるかもしれないと言われたことだった。

息子が生まれてからの半年、絶望的なことを病院のそれぞれの科で言われてきていた。そんな状況だった。

それでも当の本人は美しい目をキョロキョロさせ、風が吹くとケラケラ笑い、身体的にはまだおすわりできてないとか、確かにそういったことはあったけど本当にかわいくて癒やされた。


病院は神奈川県立こども医療センターで
ここは様々な科があるこどもの医療全般の総合病院で
うちは形成外科、耳鼻科、整形外科で長期的に見ていただくことになった。


病院までは家から車で1時間半ほどかかるところにあった。

ペーパードライバーだった私を気遣って夫の妹や弟が病院へ連れて行ってくれた。

今思えば夫も一緒に行くべきであろうと思う内容の診察ばかりだったが、
当時本当にお金がなく、夫の収入は日当だったので休むと稼ぎが変わってしまい、それはそれで困るので一人で息子の病院通いを請け負う流れになってしまった。

(これが良かったとは今となっては思えない。
「子供のことは私にまかせて。」という流れを子育てのこの時期に作ること自体私にとって、家族、息子にとっても良くないことにずっと後になってから気づいた。
ことに、こんなにたくさん障害のある子どもの世話ならなおさらである。)


わが子の場合は形成外科に耳鼻科に。。と科の数は多いが、最初は「内科」の受診から各科へ受診。という流れであった。


内科の受診。
かなりキャリアの60近い女の先生だった。

先生に
「この子の5年先、10年先、、将来が心配ですーー。どうなるのでしょうか。」

とわあーーっと気持ちを伝えたら、


「あのね。はっきり言うけど、遠い先の心配は「全く」意味がないの。
だからもうこの瞬間からやめましょう。

あなたが今5年先10年先心配してこの子がどうなると思うの?
今できる事をしなさい。先なんか考えない!」



とぴしゃりと言われて目が覚めた。


全く先生の言うとおりだ。。

遠い先を心配しても全く意味がない。。。。

今できることしかできないんだなあ。。


この言葉が息子の子育ての話だけでなく他の事でも同じなのだと痛感した。


まるで神の言葉のようだった。


この言葉はその後の私の中でもあらゆるシーンで脈々と生きている。


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