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⑨かつてない不思議な感覚

仕事は暇とはいえ毎日の通勤があり、引越しあり、結婚式あり、のバタバタした妊娠生活を送っていた。

妊娠も8ヶ月を迎えようとしていた。

悪阻は少し落ち着いていた。

体調もお腹が張っているときは苦しかったが、それなりに毎日を送っていた。

しかし、なんだろう。
妊娠とは不思議なものだ。
やはり別の人間の意識が身体の中にあるからだろうか。


体調の悪い時でも、職場で嫌なことがあっても、不安感もなく、腹が全然立たなく全く気にならないというような感覚がずっと続いた。

なんというか。開き直っているだけなのか?


いつもの私ならすぐカチンとしてしまうこともいとも簡単にスルーすることができた。

身体はきつい日が多かったのに不思議と大らかな心が持てた。
人は身体がきつい時イライラするのが普通であると思うのになぜなのだろう。


何度も不思議な感覚を経験した。

道を歩いていて、通りがかりの犬や子供、植木、花などの生き物を見たり触れたりした時、
泉のように心から湧き上がる「うああ。なにこれ!なんて愛らしいんだろう!」というこれまでに味わったことのない感覚だ。


ビジュアル的にもその対象物は美しく映った。

例えばそれは葉っぱや花だったりするわけだが、目をよく凝らすとその物体の境界線全体に小さな光線が放たれていて物体のオーラのようなものが美しくキラキラ光っていた。

こんなものを見たのは初めてだった。

状況と体調をよそに不思議と心の中は幸せで満ち溢れていた。

ワクワク出産準備と里帰り


妊娠中ヨシはお腹によく語りかけてくれていた。
お腹の赤ちゃんの名前は玄と決めていた。

そして出産予定日が2月の中旬頃ということで
「ねえ。玄ちゃん。バレンタインデーに生まれておいでね~」と何度かお腹に伝えていた。
実際本当にその日に生まれてきたので語りかけをよく聞いていたのかもしれない。

『たまごクラブ』という妊婦向けの本があって、自分の妊娠周期と「その時の赤ちゃんの様子のイラスト」を逐一チェックしていた。

本に直接「今日はよく動いた。」とか「もう20週目に入って何センチになった。」と細かく書きこみをするのが楽しみだった。

テレビや本で目にする赤ちゃんの写真を見てはその都度「私にももうすぐなんだ!!」と幸せな気持ちになった。


赤ちゃん服の編物の本を買って赤ちゃんニットを編むのが楽しくて、
一段出来るごとにもうすぐ会えるわが子を抱っこするのが楽しみで仕方がなかった。

「玄ちゃん、どんな顔してんのかなあー。早く会いたいなあーーー」
(ワクワクしながら編んだ赤ちゃんニット。いまだに大切に取ってある)

義母は前から「早く孫の顔が見たい。早く抱っこしたい」と、私たちの赤ちゃんが生まれるのを本当に楽しみにしてくれていた。

「初孫」なので楽しみひとしお。といった感じだった。

たまごクラブにいろんなお産の事が書いてあって、その中の「水中出産」に妊娠当初からちょっと憧れを持っていた。
浮力でリラックスしながら出産できる自然なイメージのお産に思えたのだ。

そのことを母に相談した。
そしたら
「最初の出産は特に何かあった時が怖いからとんでもない!」と大反対された。

自分は違う、何かあるなんて他人事なんじゃないの?と思った。

しかし実際「何かいろいろあった」出産だったわけで、後になって母に感謝した。

出産は初めてということもあって神戸の実家の近くの産婦人科で出産したいと思った。

それでこれまでお世話になった(最初適当に選んだ)東京都内の産婦人科に里帰り出産をしたい事を告げに行った。

「あの。里帰り出産したいんですけど」

「えーーー!なんだよ(怒)何で最初から言わないの!?」

とひどくとがめられてしまった。

検診の後、
「先生、お腹の子は男の子でしょうか。女の子でしょうか?」
「知らねえよ。出産する病院で聞きな!」
と突き放されてしまった。

・・・・・そっか。産婦人科って「出産」で儲けてるのか。。。。

まあ確かに意思は早めに伝えたほうが良かったかな。けど伝えた後にこの態度されながら診察されるのも嫌なのでこれで良かったのかも。



里帰り出産は何を準備したらいいのかわからないので、たまごクラブに書いてあった通りに準備し、仕事先には産休をもらって神戸へ里帰り出産のために帰った。

出産先の産婦人科は、私が9歳くらいの頃、母が婦人科系の病気で入院、大手術をしたという過去、大変お世話になった病院だった。

駅から病院の母の個室の窓が見えるのだが、母を見舞いに行った帰り駅から母に手を振って別れるのがさみしくて泣いたのを覚えている。
里帰り出産をお願いすると、婦長さんから病院内を案内してもらい、いろいろと説明を受けた。

阪神淡路大震災から一年も経っていない頃だった。
廊下の隅のタイルが割れたままなどの震災の名残がまだ少しあった。

出産費用は「困った時はお互い様価格で」ということで通常よりも安い設定で説明してくださった。

前回のお話↓


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