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⑱最高の職人神業手術・赤ちゃんの顔の外表奇形

はじめに

この日記は聴覚障害と発達障害を併せ持つ息子の超・・・濃かった子育て振り返り日記です。
赤ちゃんの頃たくさんの障害が次々見つかり、絶望的な気持ちを味わいましたが、ひとつひとつ前を向いて進んでいったことで、今があります。
(今はもう成人して自立しています。)
すべてがかけがえのない経験に変わり、本当に多くを学びました。

生まれつき顔に奇形があり、そして聾だと判断もされました。
背骨も側弯があり心配はつきなかったのですが、何よりも聾学校を初め様々な場所に行くことにもなるので顔の形成の手術は早いほうが良いということになりました。

手術前の話は↓

息子が10か月になった頃、ようやく鼻の外表奇形の手術をすることになった。

左半分は普通の鼻の形をしているが、右半分の鼻の上部はガバッと開いていて、その開いている部分の上部に骨の入っていないふわふわのコブがあった。


手術の内容は、使えるまわりの軟骨や皮膚を使って片方の「無い鼻」を作るというわけだが、
その開いている部分の上部にあるふわふわのコブを切開し、
開いている部分を覆う箇所にコブの皮膚を使うという事だった。


右の小鼻の上部はオープンなのでそのものがなかった。

なので皮膚だけ伸ばしてオープンな部分に貼ったとしても
(鼻特有の)ふくらみが出ずその部分だけペタンコな鼻になってしまうということなので、中の軟骨を必要とした。


皮膚も軟骨もどこかから持ってくるとしたら細胞的には出来るだけその部分の近くのところから持ってくる事がベストなのだそうだ。

鼻翼自体はなかったのだが、
鼻翼のはじまる場所にかろうじて小さな小さな月型の軟骨が埋まっていた。

軟骨はその小さな月形の軟骨と
片方の耳に先天的にあった副耳(耳の前にいぼ状の突起)、
そしてその中の小さな小さな軟骨を切除して使うということに決まった。


もしかしたら一回の手術では足りないかもしれない、顔や骨がある程度成長した10歳以降にもう一度手術することになるかも?という説明も受けた。

10ヶ月の赤ちゃんの顔の形成手術である。
組織がこれからどんどん育っていくということを想定なければならない点は大人の手術とは大きく違う点だ。


手術の前に看護婦さんから「筒状のギブス」のようなものを手術の日までに作るように言われた。

術後患部をさわらせないための
肘が曲がらないように装着する筒状のギブスだ。

サンプルを見せていただきながら作り方のコピーをいただいた。

見せていただいたサンプルはキャラクターがプリントされたかわいい感じのキルティングで作られたものだった。


なんかどうしてもかわいい感じのものが嫌で、もうちょっとシックな感じにしたくて無地紺のキルティングにベルトの部分もそれに合う子供用のサスペンダーを改造してデザインした。


中に下じきを入れる構造になっている。

金具で肩を留めてマジックテープで腕を巻くと、赤ちゃんは肘を曲げることができないので腕を固定することができる。

なかなかおしゃれなギブスができた。

仕上がったこのお手製ギブスを病院に持っていったら看護婦さん達におしゃれだとえらい感心された。

他の看護婦さんにも見せたいからちょっと貸してと言われ、たくさんの看護婦さんにみてもらう事になった。

思わぬところで自分の作品が褒められて嬉しかった。


手術の日は義母と夫も一緒に病院へ行った。

まだ母と離れること対して泣くほど情緒的に成長していなかったのか、手術室の扉まで見送った時息子は泣かなかった。

小さなベッドの中でいつものように体を反らせながら手術室に運ばれていく息子は「ありゃ?ママたちと離れるの??なにが起こるの?」といった感じのつぶらな瞳でこちらをずっと見ていた。

なぜかあの顔が今でも忘れられない。


手術は6時間にも及んだ。


私たちは延々と小さな待合室で待った。


時間が長く長く長く感じられた。

ようやく手術が終わり、執刀の先生に呼ばれた。緊張しながら手術の内容説明を三人で聞くこととなった。

どうやら無事滞りなく終わったようだが、先生の開口一番

「いやあ~。

一度終わって閉じたんですけどね、なーんかしっくりこなくてほどいてやり直したんですよ~。」


えっ?職人??

まあ職人といえば職人か。

小鼻の軟骨は予定通り副耳から持ってきたそうだ。ゴマくらいの大きさの軟骨を叩いて伸ばし、形状を整えて中に入れたという。

一度は縫合し、終わりかけた手術だが先生の心の中に何か腑に落ちないものがあったのだろう。
何分10ヶ月の赤ちゃんの鼻だ。米粒ほどの大きさの小さな小さな世界の話である。

仮に同じ人間の近い部分の骨や皮膚を移植したとしても細胞同士が合わさらない時は再手術となる。
しかもその手術した部分が5年後、10年後どう成長するか?を予測しながらの手術であった。

職人というか神業のように思えてきた。


どうやら今回の手術の完成度が先生にとっても素晴らしいものだったようだった。

後々の経過診察の時、多くの看護婦さんや若い先生たちが毎回集まって来られた。

「いやー。(T先生の技術は)やっぱりすごい!!」と息子の顔を大勢で囲んで皆がそう口にしていた。

退院後、何度か訪れた診察の時も必ず第一口が
「どうです!おかあさん。(出来栄え)素晴らしいでしょう!」だった。

どうやら数多く手掛けられている手術の中でもT先生にとっては最高の手術だったようだ。

かなり年数がたってから(15歳くらいの時?)受診した時も、
「この子の手術ははっきりと覚えていますよ!」と言われた。

難しい手術だったのにもかかわらず、その後は手術したことすら他人から見てもわからないように手術部分も成長し、2回目の手術をすることなしに今日まで来れたのだからやはり神業なんだと思う。
T先生の最高の仕事あっての息子私達の今があることに本当に感謝である。

手術後・誰にも気づかれなくなった喜び

形成の退院後も玄の鼻の上にはばんそうこうがしばらく貼られていた。
退院した後の顔を見て義母が「本当によくがんばったよねー」とうるうるしていた。

ばんそうこうは肌色だったので少し遠目からみると他人からは(顔に奇形があった事は)一見わからなくなったようだ。
買い物に行ったときも「あら。お鼻けがしたの?男の子は怪我が絶えないんだよね。」と初対面の人に言われた。

なんだかこういった場面で普通の男の赤ちゃんに対してのコメントをもらったということがとても嬉しかった。

これで堂々と公園や買い物に行ける。
これまでは自分が傷つくのが怖くて、玄の鼻の奇形について初対面の人から気付かれる前に先に説明していた私だが、そういった気苦労ももう必要なさそうだ。

これまでも堂々と行ってるつもりだったけど、、、

それでもやはり顔のことで人に気付かれないというのは本当に幸せな事だ。


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