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⑮顔の手術と形成外科

はじめに

この日記は聴覚障害と発達障害を併せ持つ息子の超・・・濃かった子育て振り返り日記です。
赤ちゃんの頃たくさんの障害が次々見つかり、絶望的な気持ちを味わいましたが、ひとつひとつ前を向いて進んでいったことで、今があります。
(今はもう成人して自立しています。)
すべてがかけがえのない経験に変わり、本当に多くを学びました。

前回の話


息子が生後5か月の時、顔の奇形のことで初めて形成外科を受診した。

息子の顔は正面から見て鼻の左半分は普通の形をしていたのだが、
右半分がぱかっと空いていて、鼻の穴に当たる下の方にちょこっとちいさな月形の鼻翼らしいものがあった。
鼻の上部にあたるところに直径1センチくらいのまるいコブのようなものがあって中は軟骨とかなくて触るとふわふわしていた。

鼻は顔の正面なので見た目にパッと分かる奇形だった。


当時は県立の大きな子供病院の形成外科の待ち時間は3時間がざらだった。

待合の椅子に座って待っていると本当にいろんな赤ちゃんがいた。

一番多かったのは兎唇(みつくち)の赤ちゃんだった。

「鼻の下が割れている」状態で生まれた赤ちゃんである。

上あごのない状態で生まれた赤ちゃんも結構多く、その場合はミルクが出てしまって飲めないので早い目に手術をするという。

隣の赤ちゃんのおくるみからはみ出した足の指は6本あったし、ちょっとショッキングだったのは頬骨の片方がなく、顔の半分がガバっと開いてしまっている赤ちゃんの顔だった。
見てはいけないような気持ちになったけど私達親子も同じ場にいるのでお互い様だ。

「口唇口蓋裂の会」のパンフが置いてあった。
同じ障害をもつ親同士の交流はとても大切なものだと思う。

皆、当然のように健康で何の障害のない赤ちゃんを望んで出産したが、生まれた子にたまたま障害が見つかりその流れでここにいる。私も同じなんだ。

妊娠初期の段階で人の体は脊髄から出来ていき、お母さんのお腹の中で成長していくに従っておなか側の真ん中で通常は自然に閉じるものなのだが、なんらかの影響で上あごや鼻の部分が閉じない状態で誕生した場合口唇口蓋裂となるそうだ。

「妊娠7~8週目に何かありましたか?」と医師。

たしかに切迫流産しかかって薬を飲んだりしたけど、、
それが原因なのか??真相はわからない。

待ち時間、私の目の前を両手のない3歳位の女の子が楽しそうに走って行った。

他の子と追いかけっこをしていて、別段普通の女の子と変わらない。

こちらから見ると「手のない子」とどうしても思ってしまうが
彼女にとってはこの世に生を受けた時からそうなのであり、「この世はそういうもの」として今まで時間が経過しているものなのでこれが彼女にとっては自然な状態なのだ。

最初生まれた時に「あった」ものが事故や病気で「なくした」わけではない。

赤ちゃんの頃は幸も不幸もない真っ白な状態である。

自らの障害の事をどうとらえていくか?の心の部分に関しての意識については、
結局周りがつくっているものなのでは?と改めて思う。

他人の障害の詳細というのは当事者から聞かないともちろん分からないことだけど
一見同じような障害を持つ人でも「障害を(先天的に)持って生まれた人」と「健常で生まれたのにもかかわらず病気か何かで障害を負ってしまった人」は天と地の差があるほど違うように思った。

また後者の場合当然その時期にもよると思う。
障害を負ったのがなにもわからない赤ちゃんの時なのか子供の時なのか、思春期なのか。成人してからなのか・・・

こう書くと当たり前のように思われるかもしれないが、一般的に障害の種類によってひとまとめにくくられて扱われることは結構多い。

聴覚障害に関しては、先天的に聴こえない子と、
生まれた時は聴こえていて、ある程度母国語を聴いていた上で病気か何かで聴覚障害児となった子とでは言葉の習得方法などが違ってくる。

障害を持つ人はひとりひとり事情も違うのでその人に対するサポートは当然それぞれ違ったものになる。

ざっくりとした言い方かもしれないが、障害のあることで本人が悩み始めるのは大体学童期以降である。それまでの土台作りにあたる幼児期までの時期は特に、障害があろうがなかろうが楽しく明るく天真爛漫に育てるのが何よりも一番だと思う。

息子の場合は鼻の奇形だったけれど病名としては「口唇口蓋裂」とされた。
手術は10カ月の時にしましょうという事に決まった。

この形成手術と、聴覚障害と、、背骨の奇形もどうなるか。
ひとつひとつクリアにしていくしかなかった。


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