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筋少の「ハッピーアイスクリーム!」の謎を全て解説!

 筋肉少女帯の「ハッピーアイスクリーム」の歌詞を解釈したい。
 ガッツリ解釈している人がいなかったからだ。
 多くの人が、「不気味で謎が多いけど、妙に心惹かれる歌」と感じているようだ。
 筆者も、大学生の頃に初めて聴いてから、最近までそんな印象だった。


・「ハッピーアイスクリーム」の歌詞
https://www.uta-net.com/song/63416/

 これから書く解釈は、(画像は多いが)結構な長文である。読む前に一度、曲を聴くのをおすすめする。

 さて、歌詞の中には多くの謎がある。
 仮説だが、目次にあるような、全ての謎を解明できたと思う。

 だいたい、章ごとに1枚のペースで解説画像を載せている。
 ざっとスクロールしながら、解説画像だけでもいいから、見てほしい
 創作活動する全てのオタクと、オーケンや筋少ファンには刺さる所はあると思う。

 手早く知りたい人は、「●まとめ:「ハッピーアイスクリーム」の解釈を一気読み!」の章を読むことをおすすめする。一気にわかるはずだ。


●「埋めたはず」の少女、「ノゾミ・カナエ・タマエ・桃子」は何者か?

★物語の冒頭では、次のことが起こる。

・埋めていたはずの少女が蘇る
・少女たちの名前は「ノゾミ・カナエ・タマエ・桃子」=「死者」
・男は、少女を捕まえようとするが、逃げていく。思い通りにいかない。
キリがない鬼ごっこ。

 筆者は、ノゾミ・カナエ・タマエ・桃子は、以下の①~③のいずれか(もしかすると全て?)を表すと考える。

①幼い頃のオーケン自身
②幼い頃にオーケンがしていた他愛のない空想
③大人になったオーケンが①や②を脚色して作ったキャラ

一言で、「オーケンの過去(子供時代)」と言ってよいかもしれない。

ハッピー2

 理由を説明したい。
 オーケンの作った曲に、「ノゾミ・カナエ・タマエ」や「さらば桃子」がある。いずれも、主人公の少女が死んで世界に復讐していく物語だ。その歌詞は、いずれも「オーケンの学生時代の体験」に基づいている可能性が高いのだ。

 この「体験」とは、「自己嫌悪と他者嫌悪を抱えつつも、他者から愛されたがり、豊かな空想で反逆した」ことと考える。これは、「ノゾミ・カナエ・タマエ」「さらば桃子」の歌詞や、オーケンのエッセイや、半自伝的小説の「グミ・チョコレート・パイン」から察される。
 そう考えたとき、上記①~③のいずれかの解釈だと考えるのは、それほど無理がない気がする。

・「ノゾミ・カナエ・タマエ」の歌詞
 https://www.uta-net.com/song/146523/
・「さらば桃子」の歌詞
 https://www.uta-net.com/song/49540/

 まとめると、オーケンの子供時代の体験をかつて埋めていたが蘇ってしまった、ということだ。

●「モグラ」や「マヌカン(=マネキン)」の正体とは?

★次のような描写がある。

・いつも穴を掘っている
・いつも死者に着せる服を探している
・「モグラ」や「マヌカン(=マネキン)」に対して。
「俺を笑うな」と思い、「逆さにしちゃうぞ!」と脅しをかける

 筆者は、歌詞の「モグラ」や「マネキン」もまた、「ノゾミ・カナエ・タマエ・桃子=子供時代のオーケン」を指すと考える。

ハッピー3

●モグラ、と呼んで埋めたがる理由

 埋めていた黒歴史とも言える、空想の少女たち(≒空想癖のあった幼い自分)。
 忘れようとしていた黒歴史が蘇り(土の中からモコモコと這い出てきて)、自分の前に現れたら、「モグラ」と言いたくなると思う。
 黒歴史ならば、恥ずかしくて埋めたくなるのも当然ではないだろうか。

ハッピー4

●マヌカン(=マネキン)、と呼んで服を探す理由

 「マヌカン(=マネキン)」とは「脚色のない、幼い頃の過去(黒歴史)」を指すと、筆者は考える。
 空想の少女たちをマネキン呼ばわりするのは。主人公の男が、「創作活動をする人間(=オーケン)」だからだろう。
 裸のマネキンが、ファッションコーナーに陳列されても、普通の客は見ないはずだ。しかし、服を着て、初めてマネキンは人に見てもらえる。それと同じことだ。
 「死者に服を着せる」とは、「脚色のない実体験の黒歴史に、脚色を加えて見てもらえるようにする」ことを指すのではないだろうか。つまり、黒歴史を脚色した創作活動をすることなのだ。

ハッピー5

 ちなみに、なぜ「当初は黒歴史を埋めようとした」のにもかかわらず、「後に黒歴史を脚色するようになったのか」は、後に詳しく解説する。

●「逆さにしちゃうぞ!」が脅し文句となる理由

 「笑うな。逆さにしちゃうぞ!」と脅す理由。
 これは、モグラやマネキン(=少女達)という「子供」に対して、「大人」が話していると考えれば、解釈できる

 「子供が大人を笑う」とは。大人が「大人世界の論理」の中で苦しんでいることを、子供がバカにすることだ。 
 子供「大人は本当につまんないことで苦しんでるんだね~(笑)」なんて風に。
 それに対して。
 大人「うるさい!お前は良いよな!こっちにはこっちの苦しみがあるんだよ!立場を逆さにしちゃうぞ!それだけは絶対に嫌だろ!
 からかうように、そう言い返していると思うのだ。

ハッピー7

 大人の筆者にも気持ちはよくわかる。10歳の自分が今の自分を見たら、確実にバカにして呆れそうだ。何やってんだよ、って言われそう。でもそれに「立場を逆さにしちゃうぞ!」って脅せば、子供時代の自分は、「ひいい、ごめんなさい」と言っちゃうだろう。

●「ハッピーアイスクリーム!」のやり取りが示すもの

★次のようなシーンがある。

・「歩くなよ!」と言うと、少女達が歩き出す
・「走るなよ!」と言うと、少女達が走り出す
・オーケンと少女が、「なめるなよ」「マネするな」「アッハッハ」「イッヒッヒ」「オッホッホ」「ハッピーアイスクリーム(※)」と言い合う」

※ハッピーアイスクリーム・・・2人が同じ言葉を言ってしまった時に、「ハッピーアイスクリーム」と言い合い、先に言えた方がアイスクリームをおごってもらえるという遊びらしい…

 ふざけているようで、なんともかわいらしい。
 少女=過去のオーケンとしたとき。「今のオーケン」と「過去のオーケン」が友人のようにただ無邪気に戯れている

 「今」と「過去」が、向き合ってにらめっこするようなものだ。

ハッピー6

 ここまで、「今」は「過去」を否定して、死者を埋める穴を掘ってきた(黒歴史と考えて忘れようとしてきた)。一方、「過去」は「今」を否定して、「つまらない大人だな~バカだな~」と笑っていた。
 しかし、全く分かり合えないわけではない、と、このシーンで表されているのではないか。
 ハッピーアイスクリーム!な時間(=過去と向き合って戯れるような時間)は、過去の自分を受け入れるために、非常に重要な時間だったのではないだろうか。

 ちなみに、「ハッピーアイスクリーム!」と、「今」と「過去」が戯れてから、物語は大きく変化したと思う。
 物語前半では、少女達(=死者、過去のオーケン)を、埋めようとしていた。それに対して、物語後半では、「死者に着せる服を探」すようになった。
 つまり、前半部では過去に自己嫌悪を抱いて忘れ去りたかったが、「ハッピーアイスクリーム!」という戯れをきっかけに、脚色したいものとして、愛着を感じられるようになったのではないだろうか。

ハッピー12

 つまり、オーケンは、過去との対話によって、自己嫌悪の対象だった過去を昇華できる創作者となり始めたのだ!
 (滅茶滅茶いい話。創作活動する人間の端くれとして、共感しかない。)

●少女達が、「おしゃれなドレス」を要求する理由

★次のような描写もある。

・男は、死者の国が甘いのか苦いのかを少女たちにたずねる。
・少女たちは、それに対して「おしゃれなドレスを買ってよ!」と返事をする。

 死者の国が甘いか苦いかを知りたがる、その理由。
 これは、オーケンが創作活動をするようになったからだろう。

 まず、死者の国とは「オーケンの過去」のことだ。先ほども述べたように、子供オーケンの空想は、黒歴史として埋めたくなるものだった。さぞかし、孤独で不器用なオタクだったのだろう。しかし、マイナスな所だけではなかったはずだ。オタクとして、豊かな空想の世界を楽しんでいたはずだ。もしかすると、いじめられっ子の4人の少女が世界に復讐する楽しい妄想なんかしていたのかもしれない。

 しかし、オーケンは大人になった。
 創作をする中で、子供時代の気持ちを知ろうとしたときに、当時がつらかったのか幸福だったのか、よくわからなくなったのかもしれない。
 だから、「甘いか苦いか」を知りたがったのだろう。

 しかし、その問いかけに対して、少女たち(=子供時代のオーケン)は、おしゃれなドレス(=素敵な脚色)を要求する

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 これは、「甘いか?苦いか?」の答えになっていない。
 しかし、それが当然なのだ。過去とは、死んでしまった時間だ。少女達(=子供時代)は死者で、過去の存在だ。たとえ自分自身のことだって、過去を100%理解できるわけがないのだ。死者(=過去)の気持ちを分かろうとしたって、生者(=今)のエゴや思い込みや忘却で、何かのフィルターは必ずかかる。
 「ハッピーアイスクリーム!」と、死者(=過去)と向き合って戯れる時間だって、ただの生者(=今)の思い込みかもしれない。
 つまり、「甘いか?苦いか?」の問いかけをしたって、過去は正しい答えを答えようがないのだ。(もし答えたとしても、それは今の自分が作る嘘でしかない。

 答える代わりに、少女達(=過去)は、過去を脚色することを要求する。
 「過去の俺の気持ちを分かろうとしたって、無理さ。そんなことよりさ…思いっきり、かっこよく、好きに脚色しちゃいなよ」と、子供オーケンは言ってくれたのだろう。
 
 なぜ、子供オーケンは、大人オーケンに脚色を望むのか。
 いくつかの理由が考えられる。
 例えば、子供時代の真実は脚色されないと、(残酷すぎたり平凡すぎたりすることによって)人に受け入れられにくいから、とか。
或いは、脚色によって面白がられ、愛されることが、過去のオーケンや今のオーケンにとっての望みだから、とかかもしれない。

●「君だけが蜘蛛の糸」とはどういう意味か?

★次のような描写がある。

・「愛してる」「愛してくれ」と言う
・「苦しい」「つらい」と言う
・「君だけが蜘蛛の糸だ」と言う

 この箇所で、大人オーケンの声と子供オーケンの声が対話しているように、筆者には聴こえた。(そう感じたことが、今回この曲を解釈できた大きなきっかけの一つだ)。

 さて、「愛してる」「愛してくれ」と願うのは、過去でも今でも共通の大きな願望だろう。
 「もっと俺を愛してほしい。こんな素敵なセンスをしているのに、どうして分かってもらえないんだ。孤独だ。愛しているのに。愛されているという実感がわかないんだ。」とつらく思う気持ちは、過去も現在もあるのではないだろうか。
 子供時代は、そんな時期を、豊かな妄想によって乗り越えてきたのかもしれない。同時に、「未来の俺は、このセンスを愛してもらえてるかな?」と、空想したのかもしれない。
 現在のオーケンはミュージシャン・小説家として人気だ。それは、幼い日の「愛されたい」願望を満たすだろう。しかし、なぜオーケンが愛されるようになったかというと、それは幼い日の孤独や豊かな妄想を作品という形で昇華できたからだ。

ハッピー8

 歌詞中の「蜘蛛の糸」とは、「救い」を指すと考えてよいだろう。
(芥川龍之介の『蜘蛛の糸(※)』、オーケンの『蜘蛛の糸』という曲からして、外れていないはずだ。)
※芥川龍之介の『蜘蛛の糸』…地獄に落ちた男が、天から落とされた蜘蛛の糸をつたって、自分だけが助かろうとする、救われようとする話。

 ●過去のオーケン「豊かな空想ができるセンスのいい人間として、いつか愛されたい」
 ●現在のオーケン「過去を題材に創作して、創作者として愛されたい」

 それぞれの存在が、それぞれにとっての蜘蛛の糸だったのだ。

●「俺も消えるのか?」と、死者に問う理由

★次のような描写がある

・「いつかは俺も消えるのか」と少女たちに問いかける。少女たちは沈黙。
・「死ぬか?」と聞くと「死ぬわ」と即答される
・「怖い」と言うと「平気」と即答される

 オーケンは、少女(=過去)を、「死者」だと捉えている。そんなオーケンが、少女達に向かって、「いつかは俺も消えるのか?」「死ぬか?」と問いかける。
 これはすなわち、「今の自分の気持ちも、いずれ過去となって忘れてしまうのか?」と恐れているのではだろうか。
 先ほど述べたように、オーケンは子供時代の気持ちが甘いか苦いかもわからなくなっている。黒歴史として自己嫌悪に陥ったり、過剰に脚色して昇華させたりするなかで、過去の気持ちなど、どんどん分からなくなるだろう。(また、歌詞の冒頭で少女達と鬼ごっこをするが捕まえられない、という描写も。過去の気持ちを理解することができない、考えだしてもキリがないことを表しているかもしれない)
 オーケンは今、当然何らかの憧れとか理想とか色んな気持ちを抱えて生きているのだろう。しかし、今大切にしている気持ちも過去になって、理解できなくなる時がくるのではないか。そう考えると、怖くなるのも無理からぬことだ。

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 オーケンは、「いつかは俺も消えるのか?」とたずね、少女たちは沈黙
少女たちは、「死ぬわ(今は過去になるわ)」と答える。(今が過去になるのは当然だ。
 続けて、「怖い」というオーケンに「平気」と答えた。
 ・なぜ少女たちは「消えるのか」という問いに沈黙したのか。
 ・なぜ少女たちは、「死ぬ」ことを「平気」と答えたのか。
 ・なぜそのやり取りの後、「闇に帰るだけだろ」と怖がることを辞めたのか。

 この謎は、「ハッピーアイスクリーム」のやり取りがもたらしたもの、を考えると解くことができた。

●いずれまた訪れるであろう、「ハッピーアイスクリーム」な時間

★ラストで、「死ぬ」ことを怖がるのをやめて、「闇に帰るだけだろ」と思う

 「闇に帰る」とは、「今」が「過去」となり、未来の自分は今の自分の気持ちも分からなくなる、ということ。それは当然のことだ。

 しかし、過ぎ去った過去は、「消える」わけではない。だからこそ少女たちは、「俺も消えるのか?」という問いに、(ちょっと違う気がするな~…)と沈黙したのではないだろうか。時間が過ぎ去っても、その時間は無くなっていない。生者が死者となっても、生きていた事実は消えない。

 過去(=死者の少女達)は、ゾンビのようにモグラのように土の中から復活できる。過去のゾンビに対して、初めは自己嫌悪を抱くかもしれない。だが、向き合ってみると、「ハッピーアイスクリーム!」と戯れて好きになるかもしれない。そして、創作活動を始めるかもしれない。その創作活動が、今の自分や過去の自分を救う蜘蛛の糸になるのかもしれない。

 そう思えば、今が過去になることも「平気」と考えられるかもしれない。

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 だったら、そう考えるに至ったことを「ハッピーアイスクリーム」というタイトルの作品にしよう。過去を愛して創作活動をし始めるきっかけになった、美しい「ハッピーアイスクリーム」な時間が、未来の自分にも起こりますように。せいぜい、美しく、脚色してくれよな。


 そう考えると、これは決して暗い物語ではない

●【筆者の感想】


 最後に、筆者の感想をごく簡単に言おう。
「黒歴史的な過去とも向き合って、昇華したいな」という気持ちに凄くなった。
それが、自己嫌悪を昇華する型オタクの使命みたいなものかもしれない。
 泉鏡花も、芥川も、太宰も、室生犀星も、三島も、ゲーテも、シェイクスピアも、オーケンも。そして僕も。そういうところはあるのかもしれないね、と笑いたくなった。
 この解釈ができて、本当にこの曲が好きになった

●まとめ:「ハッピーアイスクリーム」の解釈を一気読み!

 ここまでの仮説を元に、物語の解釈を一気にまとめてみよう。

 あるところに、男がいた。男は、自分の過去の黒歴史(=孤独だった自分・少女達の登場する妄想など)を忘れようとしていたのに、また思い出す。何とか埋めようとするが、うまくいかない。過去の自分との鬼ごっこにキリはない。

 埋めて隠して来た過去の黒歴史は、モグラのように地中から這い出てくる。恥ずかしい。それに怯えて、忘れるための穴を掘るようなことを繰り返している。
 過去の黒歴史は、大人になった男を、「大人になった自分って本当に、バカみたいなことやって生きているんだね」と笑う。男は、「うるさい!大人には大人の立場があるんだよ!お前は子供で楽しそうで本当にいいよな。立場を逆さにしちゃうぞ!それだけは絶対に嫌だろ!」と脅す。

 ある時、またしても過去の黒歴史(=少女達)を思い出す。まるで死者が蘇るようなことだ。自己嫌悪の対象だった、それらと向き合ってにらめっこしているうちに、ついには「ハッピーアイスクリーム!」と戯れる。それを機に、男は自分の過去の黒歴史に愛着がわき、自己嫌悪することをやめる。

 男は、過去の黒歴史を脚色して創作活動し始める。ちょうど、マネキンに服を着せるように。やっぱり、男の過去は今の男をバカにする。男は「立場を逆さにしちゃうぞ!」とまた脅す。

 創作活動する中で、男は過去の気持ちが分からなくなっていると気付く。男の過去は「孤独なオタクだった時期」であり、同時に「少女の登場する豊かな妄想を楽しんでいた時期」でもあった。それは、甘い時期だったのか、苦い時期だったのか。過去の自分に問いかけてみる。だが、過去の自分は「甘い」とも「苦い」とも答えない。その代わりに、「せいぜい脚色して創作活動して!」と答える。

 男は、「愛してほしい」という願いを、これまでずっと抱いてきた。
 過去は、「素敵なセンスをしている自分を愛してほしい」という願いを抱えつつも、孤独なオタクだった。
現在は、多少有名なミュージシャンとなった。もっと創作物を人に愛してほしい。だが、創作活動も決して楽ではない、それなりに大変な行為だ。だが、その創作活動の基盤となるのが、「過去の黒歴史」だ。
 そして気づく。過去にとっての今(=ミュージシャンとして過去を昇華して愛されている事実)、今にとっての過去(=不器用なオタクとして豊かな妄想をして生きていたこと)が、それぞれの救いとなっているということに。

 過去の自分と向き合ううちに、さらに疑問がわく。今の自分には、過去の自分の気持ちが分からなくなりつつある。それと同様に、未来の年老いた自分には、現在の自分の気持ちなどわからなくなるのだろうか。今現在、自分なりに色々考えながら、理想を抱いたり自己嫌悪に陥ったりもしながら、懸命に生きているというのに。
 「いつか、俺は消えるのだろうか?」その問いかけに、過去の自分は答えない。過去の自分は、「消える…というのとは、ちょっと違うんじゃない?」と言いたかったのかもしれない。過去は過ぎ去って死んだ時間となるが、決して「無かった時間」とは言えないのだから。
 続けて、過去の自分に「死ぬか?」と聞くと「死ぬ」と即答される。時間は過ぎ去り、今は過去(死んだ時間)となり、今の気持ちなど分からなくなっていくのは当然のことなのだ。
 男は、「怖い」と言うが、過去の自分は「平気」と返す。なぜ、平気なのか。男は考える。目の前には、過去の自分がいて対話している。なぜ、対話しているのか。自分自身が、対話したいと願い、創作したからだ。かつては、過去の自分は自己嫌悪の対象だったが、思いがけず向き合って戯れて、嫌いじゃなくなったからこそ、創作して昇華させてあげたいという情もわいたのだ。たとえ、過去は死んだ時間だったにしても…戯れて好きになったり、脚色して昇華させようとしたり…何らかの形で、そういう素敵な時間は訪れるのかもしれない。そう考えると、今が過去となり(闇に帰り)、年老いていくことも悪いことではないのかもしれない。
 だから、男は自己嫌悪をやめて創作者になり始めた、美しい時を尊びたい。それは「ハッピーアイスクリーム!」のやり取りをした時だ。
 未来にもそんな時があってほしいと願った。
 祈りを込めて、男は自分の物語を「ハッピーアイスクリーム」という曲とした。脚色もたっぷりしているけど、愛されるといいな。

●オーケンの他の曲の解釈を宣伝

 以下の、二作品についても、かなり本気で解釈しているので、読んだことがない方は是非とも読んでいただけるととてもうれしい。

●プチ予告

 まだまだ書き足りないことがいっぱいある。

・「星の王子様」を連想したこと
・自己嫌悪が、過去と向き合って昇華される、創作活動するとはどういうことか?
・「ノゾミのなくならない世界」→「香菜、頭を良くしてあげよう」→「ハッピーアイスクリーム」の順に無意識に解釈した私は、「オタクの成長物語」そのものだった
(サブカルに救われるオタク→サブカルで人を救おうとするオタク→自らの過去と向き合い、自ら創作活動を始めたオタク、という意味で)

 そういったことについて、いつか文を書きたい気がする。

 こんな長文を読んでくれて、本当に有難う。

おまけ↓