映画を観る理由
映画を観る理由、楽しみ方は人それぞれ、これは前提だ。
ストーリーを楽しむ。ギャグを笑う。不思議な力に驚く。どっぷり哀憫にひたる。迫り来る展開に胸躍らせる。恋愛に憑依する。練られた脚本に感嘆する。外国語のの学習のため。迫力の大画面と大音響を楽しむ…などなど。
山ほどある中から私が映画を観る理由を選ぶとしたら、課題と解決のセットを増やし自分の軸を肥やすことだ。具体例を挙げて説明していく。
例:ホームアローン(1990年アメリカ)
課題レベル1 泥棒がギャーっとやられていて面白い話
課題レベル2 留守番少年がアイデアで泥棒を撃退するお話
課題レベル3 少年が危機を経て成長し、家族愛に目覚める話
レベル1は画面と音声そのものを楽しんでいる。
派手に痛がってて、なんか叫んでいる。観たくて(課題)見ている(解決)。
レベル2は非現実的なアイデアの面白さを見ている。
もし本当に泥棒が現れたら、子供一人で立ち向かうのは無謀だ。でも腕力で劣る者(課題)がアイデアで立場をひっくり返す(解決)のが面白い。
レベル3は全体を俯瞰している。
家族とうまくいかない(課題)少年は、困難を超えて再会した家族から、大切に思われていることを知った。(解決)愉快な泥棒の襲来はきっかけに過ぎない。
観る人が得ているものは
課題レベル1 退屈を払拭する時間【刺激】
課題レベル2 楽しいアイデアの例【知恵】
課題レベル3 人間の成長や普遍性【投影】
大切なのはここで示したレベルに優劣はないということだ。難易度を言えば当然、レベル3が難しい。しかし単純にストーリーを楽しんだり、人物に寄り添っているのはレベル1や2の方だろう。楽しみに優劣はつけられない。
3の視点で映画を観て、メッセージだけ捉えようとするとエンタメ要素が削られて学習的側面ばかりが強くなってしまう。視点の80%は1と2で、残りの20%は3で観ておく。良作だと感じたら配分を変えて再度観れば良い。
さて、10年20年と人生が進んでくると3の視点が溜まってくる。課題と解決のセットが溜まる、ということだ。その中でも、納得感の強いものが自分の人生の軸になり、行動を規定していくだろう。ここで現れるのが4つ目のレベルだ。
レベル4 社会問題に重ねる。
裕福な家を泥棒たちが襲ったのは貧しくて、飢えていたからだ。彼らは悪役として痛めつけられていたが、実は不憫なものたちだ。(課題)この映画は残酷な貧富の差を無視しており、弱者を蔑ろにしているのではないか。泥棒たちは捕まってしまったし…(未解決)
カット!カァット!🎬落ち着け。
映画が社会的メッセージを送ることは珍しくないし、潜在的な差別にまで目を向けられるのはすごい事だ。でも、作品を裏から眺めて非難するばかりで、何が残るだろうか。製作者たちはプロだから批判は覚悟して然るべきかもしれない。しかし、それはチューニングの問題でもある。
レベル3や4にはきっと正しさや崇高さがあるだろう。人類の未来に必要な未知の感覚が得られるかもしれない。それ自体は素晴らしいことだ。だとしても、それで他の側面を切り捨てるのは行き過ぎだろう。
高いレベルは凄い。でも低いレベルにも別の価値がある。それでいいじゃないか。
貧富の差を嘆くより、ケビンが家に置いていかれたのを幼児虐待だと糾弾するよりも、笑って泣いて映画を楽しんだらいいじゃないか。
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