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ダウンアップ

私の失望を語るにあたっては、自分自身の一側面として「緻密さがない」ことを、正直に告白しておくべきだろう。

先日、とある自治体の教員採用試験を受験した。
試験には一次試験と二次試験がある。一次は筆記試験であり、二次は面接と実技が執り行われる。運も味方して一次を通過した私は、面接の機会を得た。ドアを開けると3人の面接官がおり、事前に提出した履歴書に沿って面接が始まった。履歴書の表には経歴、裏には志望動機などが書かれている。面接中にメモを取ることがあるが、気にせず受け答えをするように、と言われてから、一人目の、最初の質問がこれだった。

「履歴書に間違いはありませんか?」

私は混乱しながらも「ないと思います」と答えた。聞き進めていくと、どうやら、大学の在籍期間が半年長いこと(必修を一つ取りこぼした)、卒業後に講師(正式任用に至っていない常勤職員)として働くまでの空白期間の状況が知れないこと、などが気にかかったようである。

私は失望した。

まさか、非の打ち所のない人生を送ってきたとは言えないが、迷いや寄り道も含めて私の人生だ。その経歴が相応しくないと言うならば、そもそも一次試験に合格を出さないで欲しい。この空白期間をどう過ごしていたのか、何を考えて何を得たのかと問われるなら嬉しい。しかし「間違いはありませんか?」という問いは、間違いを認めることを前提とした尋ね方であり、今の私を知る気がない言葉に感じた。変えられない過去よりも、私が講師として実際に働いた直近の数年間のことや目指している教師像について尋ねて欲しかった。未来のことを話したかった。

私は穴のない経歴を歩んでこなかった自分にも、それを責められることにも二重に失望した。まぁでも、私が共感できないだけで、履歴書の内容を改めることが、あの面接官の仕事なのだろうし、必要なステップなのだろう。

教師という職務に失望したわけではないので、前向きに続けていくか。

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