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〜真珠に初めて出会うまで〜 |真珠買取専門店「銀座リパール」創業記vol.1

はじめに

この度は真珠買取専門店「銀座リパール」創業者である織田のnoteを読んでいただきありがとうございます。

あと2ヶ月後に迫る2024年10月の立ち上げに向けて忙しない日々を過ごす中、
銀座リパールを創業したいまの私の気持ち(初志)を忘れないよう、
そして銀座リパール成長の足跡をこのnoteに書き記したいと思います。

どのような経緯で真珠と出会い、そしてなぜ真珠買取専門店「銀座リパール」を立ち上げようと思ったのか。

どうか温かい目で見守ってください。

幼少期〜高校卒業まで

1997年1月(0歳) 神奈川県川崎市に生まれる。男3人兄弟の末っ子。

2007年9月(11歳) 入る服がないほどに太っている自分と決別したい一心で、地元のサッカークラブに入団。入団初日に手でボールを触り全員から白い目で見られる。

日本で1,2位を争うマンモス校に入学

2009年4月(13歳) 生徒数1200人超のマンモス校である西中原中学校に入学。部員数80人ほどのサッカー部に入部。

2011年10月(15歳)  学校で1番の悪ガキに目をつけられ一方的にいじめを受ける。

2012年3月(16歳) 西中原中学校卒業。部活では一度もベンチに入れず、大した思い出もない学校生活だった。

2012年4月(16歳) 神奈川県立生田東高等学校に入学。ここでもサッカー部に所属。弱小校ながら地元の強豪校から多数加入したため、ここでもBチーム生活を余儀なくされる。

⚡️人生を変えるきっかけとなった言葉⚡️

2013年10月(17歳) 地理の授業で小太りの先生が言い放った言葉に衝撃を受ける。

「あの時やっておけば。というあの時は現在(いま)なんだぞ」

それからは、他者貢献の気持ちを持って生活するようになる。
Bチームの練習メニューなどをほぼ毎日考えて実践していた。

2014年8月(18歳) サッカー部の副キャプテンに抜擢される。
はじめて「努力は報われる」を体感した出来事だった。

大学入学〜初めて真珠に出会うまで

バイト漬け大学生が社畜へ転身。

2015年4月(18歳) 拓殖大学国際学部に入学。入学式当日、吉野家の隅っこで1人寂しく昼食を食べる。

2018年4月(21歳) 出前館の立ち上げメンバーとしてデリバリーのアルバイトを始める🛵
学費を稼ぐために最大19連勤するなど、圧倒的な継続力と忍耐力を得る。

バイト初日に撮影した宣材写真

🏭地元の小さな町工場に就職🏭

2019年4月 (22歳) 従業員数50名程度の段ボールメーカーに入社。入社後3ヶ月で営業に配属されるも、半年で2回大きなミスにより2社から工場への出入り禁止を言い渡される。

同年10月 営業を降ろされる。当時の上司から会社に残るか迫られるも、「営業で1番を獲る」という目標を叶えるため残ることを決意。

2020年7月(23歳) 営業へ復帰。往復6時間ほどかかる遠方のエリアに配属。
移動時間は自己啓発系の動画を垂れ流していた。

2022年11月(25) 上司が体調不良のため、最も売上の大きいエリアを任される。
その後3ヶ月間営業全体での売上1位をキープ。
もっと営業スキルをつけたいと考え転職を決意。

意を決して退職。転職活動開始。

2023年2月(26歳) 有休期間に入り転職活動を行う。10社受けた中で1社最終面接に進むも不採用。
一旦就活から離れたいと考え、SNSで憧れていた社長と会うためにDMを送る。

同年3月 前田社長から誘われたフットサル後の飲み会で、不動産仲介業の社長から「26歳でなにも背負うもんないんだから好きなことやりなよ!」と言われ転職しないことを決意。

🦪脱サラを決意。真珠に出会う🦪

2023年8月 ろくに貯金していなかったため、明日のパンを買うお金がないほどに。
賞味期限間近のスナック菓子を買いに立ち寄った近所のワットマンで、ひときわ輝く2728円の真珠を発見。
明らかに安いと感じメルカリで売ってみたところ25900円で売れる。

ここから真珠の沼にどっぷりとハマり、
リサイクルショップで買っては売ってを繰り返し食い扶持をつなぐ。

次回は、社畜リーマンが月間50本以上の真珠売買を行うようになり、「銀座リパール」創業までに至ったのかを記録していきます。



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