見出し画像

わたしビフォーアフター【書く習慣 Day5】

5回目は「昔はどんな子どもだったのか」。
正直、書こうか少し迷いました。でももし、同じように苦しい思いを持っている人に届くなら。それもいいかもしれません。
先に断っておきますと、読後感はそこまでよくないと思います。

いしかわゆきさん著【書く習慣】の企画 #1ヶ月書くチャレンジ  に参加中です。「書く習慣」の獲得と、noteを読んでくださる方への間接的な自己紹介として、書いていこうと思います。

天衣無縫だったビフォー(~小4)

幼稚園から小学校前半あたりまで、もう30年ほど前の話。本当に昔ですね(笑)
まあ分かりやすく明るく、気ままで、自由でした。よく言えば快活、悪く言えば自分勝手。一方で運動は苦手で、病弱な体質でした。月に一度は必ず風邪を引き、加えて月1回の小児喘息での通院。あれこれフィジカル面のマイナス要素を抱えてはいましたが、メンタリティは極めて明るかったです。

当時から本も好きでしたが、公園やグラウンドでわいわいするのも好き。小3・小4の頃には体も丈夫になり、自転車で30分以上かかるような図書館や公園を駆け回っていました。

暗中模索のアフター(小5~)

父の転勤に伴い引っ越しました。田舎から田舎へ。これが私の大きな転機となりました。

田舎といっても色々です。以前に住んでいたところは都市部からははるか遠く、テレビのチャンネル数すら少ないところでしたが、豊かな自然とのんびりした気質で、オープンなところが好きでした。
引っ越し先は歴史こそありましたが目立つものはあまりなく、遊べる公園もなくてなんとなく陰気な印象でした。しかしこれは私の主観が占める部分が大きいのだと思います。転校して1年ほど後、私はクラスでいじめにあいました。

噛み合わない歯車がズレていくように生じた結果でした。図書館も本屋もない土地柄では趣味の本も共有できません。テレビが中心だった彼らの文化の中で、歌番組やドラマに興味のない私とは共通の話題もありませんでした。
成績も悪くなく、行事や係りに積極的に取り組む私は、彼らにとって突き出た杭のように疎ましかったようです。
ささいなことから無視されるようになり、汚物扱いされ、悪口を言われました。

金銭や身体への被害はほぼありませんでしたが、精神的にはひどく傷ついていました。夜中に枕で涙をふきながら、親を悲しませないように存在ごと消えたいと願った気持ち、包丁を見てはどこを刺したら死ねるか考え、屋外の階段に立っては死ぬのに必要な高度を考えていた気持ちは今でも鮮明に思い出せます。

遊ぶ相手もいなくてクラスでも遠巻きにされている状況で、明るく積極的に振る舞っていられるほどの強さは私にはありませんでした。中学に上がる頃には少しひねくれて皮肉っぽくなり、目立たないことを優先する臆病さが強くなっていました。

果たして、今

幸いなことに中学・高校へはこの関係は引き継がれませんでした。中学では生徒数が倍になり、高校には同じ中学校から進学した生徒がほとんどいなかったこともあるのかもしれません。

ただ、何事もなかったように過ごせたわけではなく、その後も道徳の授業やいじめをテーマにしたコンテンツを見てひどいフラッシュバックを起こしたりしていました。それぞれ一緒にいた友人いわく、大分ひどい顔色だったようです。

「自分にとってのどん底はその、小学校卒業前にいじめにあってた頃だな」と今でも思います。それだけ、その後から今まで紆余曲折ありつつも幸せに生きられてる、ということでもあります。

でも一方で思うことがあります。
先日、「普通の状態では、嫌なことがあっても『消えたい』『死にたい』とまでは思わない」という話を耳にしました。
きっかけが子ども時代のいじめだけではないと思いますが、今でもやっぱり『消えたい』『死にたい』と思うことはあるんです。
ついてしまった癖はきっと、治らないのでしょう。

そんな子ども時代のお話でありました。まる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?