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「ジェンダード・イノベーション」の事例から、「性差」の視点を身につけよう。お茶の水女子大学・石井クンツ昌子理事・副学長に聞く

こんにちは。今回は、三井不動産と共同研究を実施するお茶の水女子大学の理事・副学長でジェンダード・イノベーション研究所長の石井クンツ昌子教授に話を聞きました。
 
「ジェンダード・イノベーション」の概念が生まれた経緯は? 「ジェンダー」と「ジェンダード」の違いとは? 「性差」の視点が欠けることで、社会にどんな弊害が生まれているのでしょうか?
 
医療・薬品から、ものづくり、まちづくり、先端技術まで。具体例から「性差」の視点がこれからの社会にいかに重要であるかを実感します。
石井教授の話から新たな視点を獲得し、ジェンダード・イノベーションへの理解を深めていただけたら嬉しいです。

(以下、石井理事・副学長談)

科学の研究で「忘れられがち」だった女性たち

ジェンダード・イノベーションは2005年に米国スタンフォード大学のロンダ・シービンガー教授が提唱したものです。教授は科学史のご専門で、多くの著書がありますが、特に有名なのが、『科学史から消された女性たち』という著書です。
 
それまでの科学の研究では、大抵のデータは男性から集めたり、あるいは雄のマウスばかり使った実験をしたりしていて、その結果をもとにして医薬品を作ったり、病気の治療方法を研究したりしていました。教授は、科学の研究において女性が忘れられがちであったことを色々な歴史的な書物から明らかにしたのです。
 
そこで、研究や技術開発において、性差の視点を取り入れましょうと「ジェンダード・イノベーション(Gendered Innovations)」を提唱しました。
 
ジェンダード・イノベーションはスタンフォード大学から世界中の研究者に広まり、今では欧米を中心にジェンダード・イノベーション関連の研究所が立ち上がり、授業を提供する大学が出てきています。
 
私が知る限りでは、韓国の梨花女子大学校の名誉教授の先生が、韓国でジェンダード・イノベーションの研究をなさっている以外は、アジアではまだそんなに広がっていません。
 
我々お茶の水女子大学では「ジェンダード・イノベーション研究所」を日本初の研究所として2022年4月に立ち上げました。多方面から期待の声をいただいています。
 
お茶の水女子大学は、ジェンダーに関連した研究や教育では日本一の歴史を持つ大学であり、ジェンダーに関して深く研究されている方々が揃っていて、ジェンダード・イノベーション研究の土壌ができていたこともあり、研究所立ち上げに繋がりました。

「ジェンダー」と「ジェンダード」の違いとは

「ジェンダー」という言葉と、ジェンダード・イノベーションの「ジェンダード」にはすごく重要な違いがあります。ジェンダーは「性のありよう」、つまり男らしさや女らしさといったことに対して名詞的に使いますが、「ジェンダード」は「性差を見てみましょう」という動詞的な意味なんです。ジェンダーという言葉に関連して、例えば「ジェンダーバイアス」や「ジェンダーギャップ」、「ジェンダー平等」、「ジェンダーフリー」といった言葉があります。それらに通底するのは、女性も男性も同じ、平等であるべきという考え方です。
 
「ジェンダード」はむしろ180度転回したような感覚で、「性差は当然ある」という視点から始まるんですよ。ジェンダーとジェンダードの考え方はかなり違うんですね。
 
本学ではジェンダー、ジェンダード、ともに研究所が存在します。元々、女性の活躍を記録に残しておきたいと、1975年に日本初の「女性文化資料館」を設立しました。1996年には、国際的なジェンダー研究を目指す「ジェンダー研究センター」となり、その後も改組されて、2015年「ジェンダー研究所」となりました。
 
同時に二つ目の研究所となる「グローバルリーダーシップ研究所」を設立し、三つ目の研究所として去年、ジェンダード・イノベーション研究所を新設したんです。いずれも私が機構長を務める「グローバル女性リーダー育成研究機構」に属しています。

お茶の水女子大学ホームページより

日本における女性活躍推進について、今、かなり政府も力を入れてやっていますが、もちろん大学も取り組んできています。我々は主に二つ、一つは女性の研究者を増やすこと、もう一つが女性研究者の研究の環境を良くすることについて、積極的に推進してきました。
 
こういった取り組みは他大学でも推進してきましたが、本学も含めて、女性の人数を増やしたり、研究の環境を作っているだけでは、必ずしも女性が活躍できるようになるというわけではありませんでした。器を作るだけでは難しい。そこに「ジェンダード」という新しい視点を持ち込むことにより、構造だけでなく意識的な変換ができるのではないかと考えました。

ベビーカー、ベビーバッグに男性の視点はあるか

私は元々、家族社会学やジェンダー研究が専門で、父親の育児参加や家事参加をテーマにしていたんですね。「イクメン」の本も出版したこともあり、どちらかというと、ジェンダー研究でも女性より男性にフォーカスした研究をしてきました。
 
子育てグッズは女性仕様にできているものが多いので、男性が育児をしようと思っても、ちょっと不便なことがあります。例えばベビーカーって、女性の高さを基準に作られているものが多く、背の高い男性は腰が痛くなるなどの課題があります。ベビーバッグは、花柄などかわいい色味やデザインが多いので、それを持ち歩くことは恥ずかしいと思う男性もいます。
 
そういった具体的なことをヒアリングしたデータを集めていると、育児や家事は女性がやるものだというバイアスがかかっていることがわかります。男性が育児に取り組もうとするとき、男性にもやさしい育児グッズ、育児応援グッズが必要だと言ってきました。そういう意味では、ジェンダード・イノベーション的な研究に私自身はかなり以前から取り組んできたといえます。

シートベルト、薬、医療……性差の視点が欠けるとどうなるか

ジェンダード・イノベーションの研究では、多様な事例があります。例えば自動車のシートベルトが男性の体型に合わせて開発されていることにより、妊婦さんが事故に遭って胎児が死亡してしまうケースが報告されています。

他にも、薬の開発や、病気の治療法など、性差をふまえないことによる研究開発の弊害が生じています。男女で発症率や症状が異なる病気があり、治療方法や薬の効き目に男女差があることがわかってきたんです。
 
米国ではすでに、女性の健康上のリスクが高いということで販売取りやめになった薬があります。睡眠導入剤では、女性の方が男性の2倍効きやすいものがあることがわかりました、服用後に女性が居眠り運転を経験した比率が高いという結果が出て、女性の薬を男性の半分の量で販売しているものもあります。

そういえば、コロナワクチンも、男女や年齢に関係なく同じ量のものを打っていますが、それでいいのか、検証が必要かもしれません。そういうところにセンシティブになることが、ジェンダード・イノベーションの視点なのです。
医療分野では、例えば、骨粗鬆症は女性の病気だと思われがちですが、実際は男性もかかりますし、骨折した後の死亡率は男性の方が高いらしいのです。また、乳がんがわかってからの生存率は女性の方が高く、男性の方が亡くなる方が多いです。乳がんは男性の病気じゃないと思っている方が多いので、違和感を持ってから病院にかかるために発見が遅れてしまうケースがあるためです。

靴、キッチン、車椅子、まちづくり。性差を踏まえた開発を

他の例では、工学系の先生が、靴について研究しています。つまり、快適な靴を作るために、やはり男性だけのデータを取ってできた靴を女性のために小さくすればいいというものでないということらしいのです。
同様に、キッチンの高さも男女、さまざまな人の体型に合わせて上下できるような作り方について研究をされている方もいますね。
 
日本の場合は世界一高齢化が進んでいて、車椅子のニーズが高いですが、男性仕様でできているので女性にとっては使い勝手がよくないケースもあります。女性の方が比較的長生きするので、多くの高齢女性は困ってしまいます。車椅子については、国内において特にジェンダード・イノベーションの可能性を感じる例ですよね。産学連携で女性にやさしい車椅子の開発が進んでいます。
 
まちづくりの領域でも面白い研究があります。女性と男性の歩幅が違うために、道路の作りにおいて歩幅が大きい人用にできていると、女性が転んでしまう確率が高いという研究もありますね。
 
先端技術の分野では、SiriなどのAIアシスタントの最初の設定は全部女性の声なんですよね。最初のセッティングで女性の声になりがちなのは、女性がサービスが好きとか、男性よりも頼まれたら何かやってくれるといったバイアスがかかっているという指摘もあります。実際、女性と男性の中間のような、ニュートラルな声を生成することも可能らしく、そういった声を導入するという方法もありますよね。

性差の視点で課題に気づき、発信する

ジェンダード・イノベーションの観点があれば、女性・男性問わずウェルビーイングが向上するようなものを生み出せるのではないかと思います。性差だけでなく、世代や人種、地域格差、社会格差など、多様性を考慮しながら研究開発に取り組む必要もありますね。また、男女と世代のかけ合わせなど、色々な変数を同時に考慮していくことも重要です。
 
毎日の生活の中で、どれくらい性差に気づく機会を得られるか、あらゆる事象についてセンシティブになっていくことが重要だと思っています。私たちは女子大という環境で、歴史的な経緯もあり、さまざまな課題に気づくことができています。研究所を立ち上げ、色々なメディアに取り上げていただきましたが、これからもどんどん発信していきたいと思っています。
 
先日、スタンフォード大学のロンダ・シービンガー先生に会いに行き、最新の研究について伺ってきました。シービンガー先生は世界中のジェンダード・イノベーション視点の研究例を集めていて、メーリングリストで発信しています。医学、薬学、生物学、環境工学、建築学など、実にさまざまな分野の事例が紹介されています。
 
ジェンダード・イノベーションの社会実装を進めるために、「産学連携」を非常に重要視しています。
 
昨年6月にキックオフシンポジウムを行いましたが、産業界、企業の皆さんが多く参加してくださったのが印象的でした。シンポジウムが終わってから企業の皆さんに「連携しませんか」とラブレターを書き、すでに三井不動産さんと富士通さんとのコラボが実現しています。

研究結果を社会に実装し、女性に起業という選択肢を 産学連携の可能性

三井不動産さんは以前から非常に関心を持ってくださり、ジェンダード・イノベーション研究所とのコラボで女性の起業に関する共同研究をすることになりました。
 
「起業」というと、これまではやはり男性の起業が想定されることが多かったのですが、女性も起業されている方がたくさんいます。「ジェンダード・イノベーションの研究成果を社会に実装していきたい」という思いが三井不動産さんとマッチしましたね。都市開発や場づくりに取り組んでいらっしゃる三井不動産さんとのコラボレーションで、社会実装に取り組んでいきます。
 
去年から、ジェンダード・イノベーションと起業をかけ合わせた授業を提供しています。三井不動産さんとのコラボレーションを通じて、女性の起業家の声を聞き、学生に還元していく機会を提供するのはとても重要だと思っています。
 
本学でも、積極的に起業している学生もいます。1年の時に1社起業し、3年の時に2社目を起業した学生もいますし、卒業後、最初は大企業に勤めた後に、「やはり自分のやりたいことをやりたい」と起業する人もいますね。多くの女性に起業という選択肢もあることを伝えていきたいです。
 
私たち研究者だけでは社会を変えることはできませんが、情報発信や産学連携により、性差の視点を伝え、社会実装につなげていけるよう、コラボレーションを進めていきます。

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