オレンジ色のブラボー!あんぽ柿が冬を彩る
銀ぱち通信42号より
オレンジ色のタペストリーは、すっかり銀座の冬の風物詩として定着したと言えそうです。今年で8年目を迎えた福島県伊達市のあんぽ柿を干す作業が2023年12月8日に行われ、紙パルプ会館横の500個を超えるあんぽ柿が、道行く人々の注目を集めました。
あんぽ柿100周年
あんぽ柿が銀座の街なかに干されている。その光景はなかなかにシュールでインパクトも大きく、銀座と福島をつなぐ絆の象徴のひとつとなっています。
まず、伊達市から、あんぽ柿にするための生の柿を持ってきてもらいます。柿は蜂屋柿という丸くどっしりとした大きな品種です。12月8日には、銀ぱちサポーター、一般からの参加者合わせて20名余りが参加して、まずは皮むきから始めました。
伊達市からは、あんぽ柿発祥の地である五十沢(いさざわ)地区の曳地さんはじめ、5人の生産者の方々(宍戸さん、岡崎さん、一條さん、佐藤さん)が来て指導にあたってくれました。皮むきの前に、曳地さんたちがヘタ取り(ヘタまわし)をしてくれたので、参加者は手順に従ってピーラーで皮むきしていくだけ。とはいえ、特に決まった手法があるわけではなく、思い思いのやり方で楽しく作業していきます。
そうやって皮をむかれた柿は、穴の並んだ並べ板の上に置かれ、残しておいたTの字型の枝(首木)を縄に挟み込むようにして結わえ付けられます。
そして、全体の半量をむいて結わえ付けたところで屋上に運んで硫黄で燻蒸。あんぽ柿は、この硫黄燻蒸が普通の干し柿と異なる点です。硫黄の煙にさらされた柿は、表面が黒化せずカビも生えにくくなり、さらにトロッとした独特の食感とジューシーな甘さになるのです。
このあんぽ柿、実は今年で100周年を迎えます。大正時代に五十沢地区の篤農家がアメリカ・カリフォルニアの干しぶどうの硫黄燻蒸技術を持ち帰り、柿に応用したのが始まり。大正11年(1922)に、この手法で生産された干し柿が初めて出荷されたことから、この年があんぽ柿の生誕年とされました。この皮むき→燻蒸の作業を2回転行って、いよいよ干す作業です。
収穫まで約40日の記録
1日目
10日目
25日目
収穫!!トロッとあまい!
目に見えない効果に期待
これだけの柿を干すために、紙パルプ会館の松屋通り側の壁面に、高さ5メートル・幅3メートルほどの「柿ばせ」という干場を設えました。干す作業は、生産者の皆さんが中心となり、銀ぱちスタッフがお手伝いです。
なんだ!なんだ?
作業が始まると、道行く人々が「なんだなんだ?」と足を止め、スマホで撮影し始めます。外国人も多く、首をかしげて見ているので、「柿(persimmon)だ。日本では渋い柿を干して甘くして食べるのだ」と教えると、面白そうにうなずいていました。
足場の悪い植え込みの中の作業のため、四苦八苦しながらも、どうにか柿を干し終えると、全員で記念撮影をして終了です。この後、30〜40日ほど干せば、あんぽ柿の出来上がりとなります。
都会育ちのあんぽ柿。銀座の冬の風物詩に!
銀ぱちの白坂亜紀理事長は「あんぽ柿100周年に、福島の歴史の深さ、文化の豊かさを感じます。このような形で銀座を盛り上げていただいてうれしく思いますし、こちらから福島を訪問もするなど、本当に素晴らしい交流をさせていただいています。この光景はすっかり銀座の冬の風物詩として定着しました。これからも『この季節が来たんだな』とまちの皆さんに思ってもらえるように、この交流を長く続けていけたらと思います。」と語りました。
2023 年1月17日 収穫祭& 交流会
年末年始、銀座の街を彩ったオレンジ色のタペストリーあんぽ柿は2023年1月17日に無事収穫。収穫祭と交流会には、一般の方々をはじめ、福島県伊達市の須田博行市長や、あんぽ柿の生産者の方々、メディアなど、約50名が参加しました。
銀座でPRする〝目に見えない効果〞
「もともと震災後の風評被害を払拭するためのPR活動でしたが、あんぽ柿に興味を持って来てくれる皆さんがたくさんいるので、今では『あんぽ柿を好きになってもらう』『伊達市に興味を持ってもらう』ためのものだと考えて取り組んでいます。銀座でPR活動をするのは、売上などの数字ではないんですよね。あんぽ柿のステータスが高められるとともに、市の皆さんの誇りにもなっているなど、目に見えない効果がすごくたくさんあると感じています」
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