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tomekantyou1
我が家に魚が棲みついた
魚はいつのまにかボクよりもヌシのように
なんだかんだと口をだす
いつのまにかボクは
魚のほうがエラく
根拠とかないが上にいるように思え
そう思うと余計に魚は偉そうに見える
ある日曜日ボクはコンビニで寿司を買ってきた
物価高で高いものは買えない
安物の寿司にはマグロの赤身とか何魚だかわからない光り物の魚とか入っていた
ボクは当然だがパクパク食べた ハラも減っていたし
なんの遠慮もなく
魚はしかし魚を食するボクにぎょっとしたのだ
どうしました?と問いかけても
偉そうないつもの素振りもみせず
ひたすら下をむいていた
しまった!
考えてみればあたりまえではないか
魚にとっては 眼の前で捌かれた同志や娘や妻がいるようなものだ
眼の前で捌かれた同志や娘や妻を
ボクが無神経にパクパクと口をあけ食っちまったのだ
もしボクの同志や妻や娘が捌かれて寿司にされ
それを美味そうに食べてる男が眼の前にいたら
その瞬間 ボクはヒトでいられるか
耐え難いその瞬間を
それが宿命だと割り切れるか
魚は下を向いたままだ
ボクはどうすればいいのか
自分の子どもを無残に殺された父親の
たった一人の子どもを奪われた母親の憎しみを
顔をあげた時 その眼に宿った憎しみを
なだめることは可能なのか
答えは未だ無い
2022年に詩集を発行いたしました。サポートいただいた方には贈呈します