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マイカラー

3年8か月の入居期間を共に過ごしたヒデさんが、先日91年間の生涯を終え、銀木犀<柏>を旅立ちました。

私たちは喪失感がすごく大きかったけれど、それはそれは素敵なお別れ会で。

ヒデさんが駄菓子屋の店長を引き受けてくれたのは、ご入居から3か月が過ぎた頃。
何となくヒデさん自身、本音としてはまだ自宅で過ごしていたかったなと葛藤されているような様子が窺え、少し塞ぎ込んでいるような頃。
楽しみを見つけにデイサービスなども行ってはみたものの、ヒデさんにはしっくりくるものではないとわかった頃。

折角始まった銀木犀での生活。
ヒデさんに何か役割をもってもらえたら、少しここでの生活にプラスの意欲が沸いてくれないか、ここに移住してよかったという気持ちへ転換しないか・・・。
退屈そうにソファで佇んでいた所、横に座らせてもらい、実は少し前から思っていたことを提案してみました。

「ヒデさん、もし良かったら駄菓子屋の店長やってみない?」

最初はこちらからの突拍子もない提案に、ヒデさんも戸惑いを隠せない表情でしたが、少し考えたあと「私にできることならやってみようかしら」と。

きっとそう言ってくれると思って提案しましたから。
だって、駄菓子屋に来る子供たちを優しい目で見守り、愛おしそうに自ら声をかける姿を見てましたから。

ヒデさんが役割を持ってから出来たもの、それは生活習慣でした。
平日は放課後の時間に合わせ、休日はそれこそ朝から子供たちがやって来ますから、自らそのスケジュールを整え、仕事をこなしに出てきてくれました。
いつしかヒデさんの代名詞ともなった勝負着の『黄色いエプロン』を纏って。

お仕事の内容ですが、開店準備~子供たちのへ接客~買物額の計算~小銭の受け渡し~商品の袋詰め~見栄えが良くなるよう売れた商品コーナーの整理~そしてもうお客が来ないことを確認しての店じまいまで。

けれど、こちらも欲が出てしまって、ヒデさんには仕入れの様子も見せたいと、仕入れ先まで付き合ってもらったこともあったっけ。
ヒデさんはその時も仕事の一環と、勝負着で出かけました。

ヒデさんの存在は、日を追うごとに近所の子供たちの間でも認識されていきました。
そう、「駄菓子屋の黄色いエプロンのおばあちゃん」として。
ヒデさんもご贔屓のお客の顔を覚えますから、どんどん子供たちが可愛くなってきて仕方ありません。

そんな変化をご家族にお伝えでき、そして心から喜んでくれたこと、今でも忘れません。

そんな生活習慣が定着してきた矢先、残念ながら新型コロナウイルスの脅威が訪れました。正体不明の未知のウイルスでしたから、駄菓子屋も感染対策を理由とした休店の決断を余儀なくされました。

折角ヒデさんが感じ始めた<自分の役割へのやりがい>がコロナによって削がれてしまったと、私たちはとても残念でした。

ただ、すぐに私たちのそんな思いは不要だったことを知りました。
駄菓子屋の休店から間もなく、ヒデさんご自身から「他に手伝えることはないかしら」と。

とっても嬉しかったです。

この後のヒデさんの新たな役割は、もしかしたら知っていただいているかもしれません。

ヒデさんは、これまで子供たちに向けていた熱量を、共に暮らす入居者のために消費することにしました。毎日、決まって昼食夕食の食堂の準備という新たな生活習慣に変えて。

恐らく、駄菓子屋店長の仕事を失うことで、自分の存在を見失わないよう懸命に考え、私たちに新たな役割(生きがい・やりがい)を持たせてほしいと伝えてくれたのだと思います。

そして活躍の場は変わっても、ヒデさんの勝負着は変わりませんでした。
そう、もちろん黄色いエプロンで。

コロナウイルスの感染状況が第2波の終息を迎えたころ、駄菓子屋の再開を決めました。もちろん店長ヒデさんの復帰にも期待しながら。

でもちょっと不安があったんです。
店長復帰をお願いしてみて、もし、その意欲がもう無くなってしまっていたらと。
一抹の不安を抱きながらも再開を告げたとき、ヒデさんは光を取り戻したかの如く、その言葉に耳を傾けてくれ、二つ返事で再登板を引き受けてくれました。

黄色いエプロン姿があるべき場所に戻ってきました。
駄菓子屋再開後は、ひとつひとつの仕事を思い出しながらではありましたが、立派にその役割を全うされました。懐かしい子供たちとのふれあいの光景もそれはそれは輝いていて。

ただ、あっという間に第3波の到来。これまでより更に強い感染力をもって。
わたしたちの住まいでも感染されるご入居者が出始めました。
このような状況では、やはり、再度の駄菓子屋休店を決断せざるを得なかったのです。

でも、また食堂の準備に熱量を注ぐという意欲はヒデさんに残されてはいませんでした。
ヒデさんは自分の役割に対し、達成感をもって、やり切ったという思いだったのでしょう。
勝負着を纏う姿も、それからめっきりお見かけすることはなくなりました。

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先日、お別れの会。
お棺の中で、久しぶりに勝負着を纏うヒデさんに会えました。
参列のご入居者は皆、あなたを悼み、涙を流してお別れ花を手向けていました。
献身的に自らの役割を全うされた姿を皆さん覚えてますから。

私たち職員も皆で棺を囲み、息を合わせてお花を添えさせていただきました。感謝の言葉とともに。

ご家族が話してました。

「ヒデさんは本当に黄色が好きでした。」

そうそう、初めてお会いしたヒデさんのご自宅も、エプロン同様に綺麗な黄色いお家でした。

自分の生活のどこかに、いつでもマイカラーを感じていたかったのですね。

そういう『自分にとっての大事な色』、『あなたのイメージカラーはこれ』というのをもてたらいいなぁ。

誰よりも黄色がお似合いのヒデさん、「銀木犀」の文化を正に体現してくれて、ありがとう。

心から感謝を伝えるとともに、皆、あなたの事が大好きなんです、店長。

銀木犀<柏>
スタッフ一同

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