【短編】咎める十指

 目覚まし時計のやかましい音と共に、布団の中で人の形がうごうごと藻掻くように脈打つ。そして布団の中から細い腕が伸び、音源を探すように乱暴に畳敷きを叩いた。その手が目覚まし時計を掴むと、無造作に遠くへと投げ飛ばす。時計は部屋の端にあった机の角にジャストミートし、沈黙。机の上にあった削りかけの木像らしきものが、ぶつかった衝撃で大きく揺れた。
 汚い部屋だった。そこら中にビールの空き缶が転がり、机の上には乱雑に置かれた木像の数々がある。なぜか、彫り具は一切見当たらない。そして机の周りには未処理の木屑が散乱していた。カーテンは締め切られ、その隙間から日の光が漏れている。秒針が止まった目覚まし時計は、十二時を指していた。
 不意に、ガラリと部屋の引き戸が開かれる。そこから現れたのは、一人の長身の男。糸目に優しげな顔をした棒のような男だった。

木ノ実きのみー。そろそろご飯だけど。食べる?」
「あと五分……」
「まだ寝ぼけてるのかな……」

 苦笑いを一つ。男は布団を被る人形ひとがたから布団を奪い取る。
 その下にいたのは、妖艶な美女だった。季節外れの薄着に身を包んだ肢体は、目が覚めるほどに整っている。あたかも彫刻のように均整の取れたボディラインが、無防備に晒されていた。
 木ノ実と呼ばれた美女は、引き戸から浴びせかけられる昼の光に身じろぎし、逃れるように丸くなった。その仕草は幼子のようで、彼女の妖艶さとのギャップに常人ならクラッときていただろう。
 しかし、男は頓着した様子もなく、彼女の顔の目の前の布団を容赦なく叩き始める。

「ほら、お昼だよ。うわ、こんな散らかして。片付けないとダメじゃないか」
「うるせーたがね。お前は私の母ちゃんかっての」
「そうならざるを得ないのは木ノ実がちゃんとしないからだよ……?」

 鏨と呼ばれた男は、困ったように笑う。彼の容貌は、なぜか困った表情や苦笑いがよく似合っていた。

「空気がこもってるね。ちゃんと換気しないとダメじゃないか」
「寒いからやめろよ寒いから……。あー! やめろって言ったのに!」

 問答無用で開けられたガラス窓を、敷布団から飛び起きた木ノ実が勢いよく閉める。

「寒いってんだろバーカ! この服装考えろよ!」
「そういうなら木ノ実は季節を考えるべきだと思うよ。あと、僕は仮にも男なんだからそういう煽情的な装束は控えてほしいな」
「見慣れただろ」
「見慣れたくはないんだよね……」

 心底困った顔で深々とため息を吐く。そんな彼から掛け布団を奪った彼女は、肩を怒らせて鋭い視線を鏨へと向けた。

「だいたい、エロいとか言わずに煽情的とか遠回しで偉ぶった言い回ししてるんじゃねぇよ。そんなんだから生まれてこの方彼女ができないんだろ」

 先ほどまでずっと穏やかに微笑んでいた彼の口端が、わずかに引きつった。

「いやいやいや、木ノ実だって生まれてこの方ずっと誰にも告白された姿を見たことないんだけど。こんないい加減な性格をみんな察してるからだと思うんだよね。せめて自分の周りくらいは自分でなんとかしてもらわないと。あと、毎日ビール何本呑んでるの? 前から思ってるし前にも聞いたけど」
「今それは関係ないだろーが。お前は昨日食べたカルパスの数を覚えてるのかよ」
「一箱空けたから五十本だね」
「覚えやすいな……。じゃなくてだなぁ!?」
「……夫婦喧嘩は犬も食わない」
「おっ……!? なんだ、いたのかビビらせるなよ」
「わっ! ……御伽おとぎ、いたんだ」

 ヒートアップしかけた二人の口論を一言で鎮めたのは、開けっ放しの入り口に立つ一人の幼い少女だった。黒ずんだ銀色の髪と瞳をした小学校中学年ほどの少女。しかし彼女の齢は二人と大して変わらない。
 彼女は能面のような表情で小袖の袖を振って、二人に退室を促す。

「ずっと言ってるけど、夫婦じゃないからね?」
「お昼。今日はうどん。伸びるよ」

 鏨の抗議を無視して、御伽は端的に要件を伝える。いつもどおりの彼女に顔を見合わせた二人は、同時に頷く。

「……今日はここまでにしてやろうか鏨。ホントお前彼女早く作れよ?」「まだ言うの? そういう木ノ実もだね……」

 二人はトーンダウンした応酬をしながら、食堂へと向かっていく。その後姿を見送りながら御伽は、二人の喧嘩の内容を反芻していた。前にもその前にも、二人は『早く彼氏 / 彼女を作れ』と言っていたことを思い出す。

「あの二人、面倒くさい」

 表情を変えないまま細く長い息を吐き、結局は散らかったままの部屋を一瞥して食堂へと足を向ける。

 弓削ゆげ御伽は魔女アールヴァだ。契約者は姉の弓削木ノ実。一応は国防の一端を担っているはいるものの、役職が少々特殊なために、呼び出されなければ基本的に暇な身だった。だから木ノ実は、基本的に副業の彫刻づくりに精を出している。作業が絶妙に雑なので御伽が仕上げ作業などをしないといけないが、副業としてそれなりの収入を手に入れられているから二人の作業に問題はないのだろう。それでも、もうちょっと鏨や、現在進行形で風邪っぴきの実弟の器用さを見習ってほしいと思うのだ。雑な作業で木像を大量に作ったあと、それをまとめて仕上げ作業するのは骨が折れる。その間に好きなことがまったくできなくなってしまう。
 前に、納期ギリギリに仕上げ作業を投げられたときはキレてビールをすべて隠したことがあった。マジ泣きされたし玄関先の長椅子を壊されそうになったからやめたが。代わりに取り分を多めにしたから(たぶん)円満解決だ。
 そして彼女は、妥協の末に守り抜いた玄関先の長椅子に座って、今日も日向ぼっこすきなことに興じていた。

「御伽ちゃん、こんにちはぁ」

 間延びした声に振り向くと、ご近所さんのおばあちゃんグループがニコニコとこちらに手を振っている。

「こんにちわ」
「あら可愛いー!」

 御伽が挨拶を返すだけで、おばあちゃんグループはわいわいと笑顔を交わしていた。それには御伽も嬉しくなる。表情には出ていないが。
 おばあちゃんグループの一人が進み出て、カバンからお菓子の箱らしきものを取り出した。包装紙には緑色の饅頭がプリントされている。御伽の目が、周囲にわからない程度に輝いた。

「御伽ちゃん、今日はお抹茶のお饅頭持ってきたのよー」
「いつもありがとうございます。なんてお礼をしたらいいか」
「いいのよぉ! 私たちは御伽ちゃんが食べてる姿が見たいだけなんだもの!」

 そう言って、箱を手渡される。包装紙がどこか高そうだ。これは、誠意をもってご要望にお答えしなければ。包装を丁寧に外し、箱を開ける。中にある少し大振りな饅頭を手に取り、セロファンをこれまた丁寧に外してかぶりついた。おばあちゃんグループは可愛い可愛いと言ってニコニコ眺めている。愛玩動物というかマスコットみたいに扱われているが、悪い気はしない。好きなことをしてたら好きなものを食べられて近所の人も笑顔になる。オールハッピーオールオッケーだ。
 だけどもったいないから、七紫のおじいさんにお裾分けしよう。
 そう心に決めたところで、目的を果たしたおばあちゃんグループは手を振り振り帰っていった。また一人になったところで、タイミングよく一人の学生が玄関前にやってきた。学生だとわかったのは、彼女が近所にある聖刀学園の制服である黒いセーラー服を身にまとっていたからだ。

「すみません、造次ぞうじくんはいらっしゃいますか? 授業の内容について伝えにきたんですけど……」

 制服から予想はしていたが、実弟のお見舞いにきてくれていたようだ。

「二階で寝てるから。適当に入って大丈夫」
「は、はい……」

 しかし、彼女は臆するように玄関より奥に進めないようだった。それも無理はない。彼女の属する学科からすれば、この玄関から先にいる集団は一つの到達地点と言っても過言ではない。緊張するのも当然だろう。

「背中を押していってあげようか?」
「いえ、いえ大丈夫です!」

 両手で全力の拒否を表されて若干へこむ。
 先ほどから怪訝な視線をしているから、もしかして怪しまれているのかもしれない。

「初めて会うよね。私は弓削御伽。ここでテスターしてる製鉄師ブラッドスミスの相棒で、造次の姉だよ」
「あ、お姉さんだったんですね!」

 そういう彼女は目に見えて慌てている。これは、ジッと見てたらいたたまれなくなって入るかも。
 じーっ。

「えっと、あの……」

 じーっ。

「えっとー……」

 じーっ。
 じーっ。

「あ、ありがとうございました! それでは失礼します!」

 思惑通り、彼女は視線に耐えきれなくなって入っていった。ミッションコンプリート。小さくガッツポーズする。
 そのとき、またもやタイミングよく袖にしまっていたスマホが振動する。画面を見れば、見慣れた名前が映っていた。国防のお仕事を振ってくれるありがたい官僚さんからのお電話だ。

「はい。お疲れ様です」

 形式通りの挨拶から始まり、形式的な手順で仕事の内容を伝えられる。
 仕事内容はいつも通り。そして形式張った別れの挨拶をして電話を切った。
 それにしても。

「私のほうが電話に出るのが早いとはいえ。私に毎回電話してくるのはどうかと思う」

 細く長く息を吐き、億劫ではあるけど立ち上がる。
 たぶんまた木像を彫っているであろう姉のところに、仕事を伝えに行かなければ。

 そして夜の帳が降りた頃。支度を終えた木ノ実と御伽は仕事場へと出立する。
 仕事内容は、捕らえた外国の製鉄師たちの拷問。木ノ実の拷問は酸鼻を極めるため、相当に口が固いのだろうと予測する。
 このときより、木ノ実の彫り師としての十指は咎めるための十指に変貌を遂げ、御伽は国家機密を最初に聞く傍観者と化す。
 いい加減に出がけの厳粛な空気感にも飽きてきた。御伽は、前々から思っていたことを口に出す。

「お姉ちゃん―――リア充爆発しろ」
「なんだよいきなり!?」

 そこには、今朝の光景とアラサーに突入した現実が悪魔合体して、そろそろ婚活に行くべきかと考え始めた幼女おとぎがいた。

(著者:バシナル)

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