【バレンタイン短編】姫殿下の甘い挑戦

 噂によれば。
 二月十四日という日付に対して、「女子が好意を寄せる相手へチョコレートを贈る日」なる意味合いが付与されたのは、鉄暦にして一九七〇年代の頭頃らしい。
 鉄暦初頭のなんとかいう司祭の殉教に端を発するとか、古い神の祭日に関係するとか聞くけれど、実際の所は知ったところじゃない。鉄暦末期になってもその詳細な起源が明らかになることはなかったというのに、魔鉄暦にして二十五年も経ってしまった今、始まりなど探査のしようがないから。
 重要なのはこの日に件の意味合いが付与されているのは、事実上この日本という国だけの話である、ということ。日本人には過剰なまでの集団行動意識というか、世間のムーヴメントに乗りたがる風潮がある。残念ながら自分も日本人の端くれ、それも一応、血統的には一番濃いというか、「それらしい」やつだ。馬鹿らしい、とは思いつつも、結局のところは世の中の流れに押されて、この異国の風習に乗っかってしまうわけである。
 うん。乗らざるを得ないわけである。色々と。というかいい加減に乗りたい。
 自分も。
 好きな男の子に、手作りのチョコレートの一つや二つ、プレゼントしてみたいのだ。
 みたいの、だが。

姫殿下ひでんか! やっぱり無理ですよ、失礼ですが腕前不足です!」
「今年は諦めてくださいませ、また来年挑戦いたしましょう!」
天孫あめみま家のルートを使えば、まだ今からでも最高級品の取り寄せは間に合いますから!」
「私の実家が西洋菓子屋です。そこから献上させていただきますので……!」
「うるさい! やるって決めたんだから……今年こそはやるったらやるんだから……!」

 透き通る様に銀色の髪とは正反対の深紅に頬を染めながら、天孫東子あずまこは絶叫する。
 目的は一つ。銀色のボウルの中にわだかまった、チョコレート・ソースをかき混ぜることだ。魔鉄ブラッド・スティール製の調理器具は優秀だ。どんなに硬くなったチョコソースでも、たちどころにとろりと溶かして見せ
るだろう。
 そう思っていたのに。
「なんで……こう、なるのよ……!」
 ボウルの内に貼り付いた褐色のソースは、コンクリートもかくやと言わんばかりの絶望的なかたさへと昇華されてしまっていた。
 何故こういうときに限って温暖化の機能が付いた器具を選ばなかったのだろう、と、過去の自分を罵りたくなってくる。恐らくだが無意識のうちに、「固まってしまっても魔鉄の固さがあるなら何とかなるだろう」と思っていたのだ。
 甘かった。チョコレートだけに。それはもう魔鉄の強度概念さえ溶かしてしまうような甘さだ。東子の魔女アールヴァ体質が強烈なまでの敗北イメージを帯びてしまったのか、全くそういう意図はしていないのに擦り棒がぐにゃりと折れ曲がり始めた。いけない、このままでは料理どころではなくなってしまう。

「ああ……また一つ、姫殿下の調理実習で器具が台無しになってしまう……」
「まぁ、仕方ないと思いましょ。あんなに一生懸命な姫殿下、そうそう見られないもの。安いものよ」
「ほーんと、雄二ゆうじ様が絡むとあの頑固さも可愛くなっちゃうんだから不思議よねぇ」
「いいわぁ、恋する乙女って」
「聞こえてるわよあんたたち……!」

 バックのメイドたちの声が、普段料理に挑戦するときは心強いのに、今日ばかりは腹立たしい。
 ひとり不敬だし。
 去年、一昨年、その前の年──神凪かんなぎ雄二と出会って、彼に恋をしてからの数年間、重ね続けた失敗と、柄にもなく涙を呑みながら、ブランドチョコを注文してきた二月十四日の悪い記憶が蘇ってしまう。
 今年こそは、と、毎年思うのだ。思って、市販の板チョコを砕いてソースにするところまでは良いのだ。
 だがそこから、毎年どうしてもうまくいかない。溶かす過程で何故か焦がしてしまったり、上手く固まらなくて白くなってしまったり、今年に至ってはこのありさま、道路工事の現場ですら多分もうちょっとマシだ。魔鉄は食品と違って、多少はイメージで融通が利くのだから。
 全く、どうして魔鉄は食べ物には変身してくれないのだろう──鉄暦経験者にとっては、たとえ可能だったとしても魔鉄を口に入れるのは生理的嫌悪感があるらしいが、自分も雄二も魔鉄器時代生まれ。あんまり気にしたことはないのだ。
 特に今みたいに、ガッチガチに固まった食材を相手にしていると、これもイメージで溶かせたならな、と結構切実に思う。自分だけではない、と信じたい。自分だけの考えだと認めてしまったら、最近かなりマシになってきた料理の腕が、全然成長していなかったと認めるようなものではないか!
 大体、こんなところで時間をかけていたら──

「お嬢様、少しよろしいでしょうか」

 ああ、最悪。見つかった。
 この城で自分の事を『姫殿下』以外の呼称で呼ぶ人間は二人しかいない。一人は兄、天孫青仁せいじ。あれで大分モテるらしく、この時期になると国内はおろか各国からラブレター付きのチョコレートが届けられるらしいが、本人はなにやらトラウマでもあるらしく、「いやぁ、尻尾生えてる怪物から贈られたモノとか絶対食べれないよね」等々とうそぶいているのを聞いたことがある。それを聞いた雄二は「おお……金持ちは考えることの格がちげぇ……」などと感動していたが、絶対に似たような思考には染まって欲しくないと思う。
 まぁその兄も、実の妹のことを『お嬢様』などと呼んだりはしない。この呼び方を使うのは、城内、いや、国内を探しても一人だけ。

「何……今、忙しいんだけど……ッ!」
「いえ、お手伝いの一つでもしようかと思いまして」

 努めて冷静な、しかしどこか楽しそうな声が返ってくる。すぐ後ろに立っているのであろう、白峰しらみね括理くくりの表情がありありと目に浮かぶ。絶対いつもの冷静な微笑みだ。あの全てを見透かし揶揄ってくるような表情が、東子は世界で一番嫌いだった。いつまでも自分を子ども扱いして来て、要らない世話まで焼くあたりが特に嫌いだ。これでも今年で十一歳、来年には初等学校を卒業し、『製鉄師ブラッドスミス』として契約を結ぶ齢だというのに。
 東子はいつも通り、ぷい、と突き放すように返答した。

「いらない」
「では、お菓子作りの知識なら?」

 間髪入れず、実に腹立たしい答えが戻って来た。こいつは自分を何だと思っているのだろうか。
 腕の方は兎も角、何年もチョコレートづくりにチャレンジしていれば、知識の方は嫌でも伸びる。流石に料理人のようにはいかないが、一般の女の子が知っているのと同じくらいは持っているつもりだ。

「いい……っ! 今年こそは自分の力だけで……あいつに、『美味しい』って言ってもらうんだから……!」
「──そうですか」

 少し考え込むような間をおいてから、括理はふっ、と小さな息を吹きかけるように、呟いた。

加具土ほむすびよ」
「ひゃっ」

 直後、東子の手元がぼうっ、と一気に熱くなる。驚いて手を離しかけた彼女は、慌ててボウルの淵を握りしめた。
 その視線の先、見る見るうちに、石よりも固くなっていた褐色が、潤みを帯びた液体へと変貌していく。

「溶けた……!」

 思いのほか嬉し気な声が自分の喉から上がったことに、東子は数秒ほど気が付かなかった。すぐにハッ、と正気に戻る。手を加えられた。自分一人の力で作りたかったのに……!
 東子はぐるり、と振り返ると、下手人に向かって声を荒げる。

「括理!」
「ああ、私としたことが。今晩のメニューを考えていたら、誤って火種を飛ばしてしまいました。冥質界接続者カセドラル・コネクターも楽ではないですね」

 しかし、白い髪と赤い瞳のメイド長は、いつの間にか安楽椅子に座って、食料の在庫リストに目を通していた。
 何事もなかったかのように、東子の方を見て、薄く微笑む括理。

「どうやらお嬢様も無事のご様子……あら、チョコレートが溶けていますね。今の内に形を作らないと、かたくなってしまいます」

 その言葉が、妙に悔しくて。
 東子は、すぐにそっぽを向いて、吐き捨てた。

「……お礼、言わないから」
「何のことでしょう? 私は独り言をしていただけですよ」

 とぼける括理の態度が、今は逆に心地いい。大丈夫、集中力は、まだ戻せる。今は手元に全力を注がなければ。
 雄二のちょっと力の無い、それでも優しい笑顔を思い浮かべる。守ってあげなくちゃ、と強く想う。支えて上げなくちゃ、と心から想う。そしていつかは守って欲しいと思う。きっといつか強くなる彼と違って、自分はずっと弱いまま──そんな予感が、少し前から東子の中には芽生えていた。嫌だ、と思う。強くなりたい、と思う。そんな時に彼に、雄二に、自分の事を支えてほしいと。ちょっと無責任かもしれないけれど、でも本当に、そう思うのだ。
 二人で支え合いながら、溶けて、解けて、結ばれ直す、そんな世界を歩いていけたら、と。
 どろどろに溶けた彼の視界に、自分のチョコレートがしっかり固まって映るかは分からない。けれどそれなら好都合。寧ろこの、狂おしいほどの恋心で、自分から溶かしてしまえばいい。
 それでハートの形にでもして、あの鈍感な王子様に叩きつけてやればいい。
 そんなことを思いながら──天孫東子は、無限の愛情を突っ込んで、初めての手作りバレンタインチョコを完成させたのだった。
 偶然十四日は雄二の視界を覆うOW、その調子が良い日で。照れ隠しの「買ってきたやつだから」が即座に嘘だとバレてしまったのはご愛敬。
 まぁ。
 見たことないくらいの笑顔で、「美味しい」と言ってくれたので、良しとする。

(著者:八代明日華)

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