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「何度も諦めようと思ったけど...諦めなくて良かった」と言われると...

タイトルは、私が「聞くと嫌な気持ちになる言葉」の筆頭である。

運動でも芸術でも勉強でも何でも良いのだが、成功者は必ずと言っていいほどこの言葉を口にする。

この言葉を聞くたびに「本当かよ」と思わざるにはいられなくなる。
もちろん、実際はそうは思っておらず、感動を作り出すためだけにそう言っているケースが多いのだろうが、聞いてる方は感じが悪くて仕方ない。
だって、「好きでやってたんだろ?」と思うからである。

別に頑張らなくたって諦めたって道が閉ざされるわけじゃない。別の道はいくらでもある。
何においても成功したことのない私だが、それでもしっかり生きている。

やめたいならやめればいい。諦めたいなら諦めればいい。
それでも続けるというのは、そもそもやめたい諦めたいと思っていないからだろう。
それが好きなんだろう。
学校の勉強だって同じ。やりたくないならやらなきゃいい。
好きだからやっている。それだけだろう。夢に向かって進んでいるだけだろう。
何が諦めようと思っただ、ナメるなよと。

そして、大体そういう人間は「諦めなければ努力次第で何とかなる!」と言い始める。日本に蔓延するカルトである努力教信者になるのだ。
もうこれは最悪である。
残念だが人間は持って生まれたものに起因するものが大半。
それにも関わらず「お前ができないのは努力が足りないからだ」と言い始める。

たまたま運に恵まれただけの人間が、たまたま運に見放された人間を見下す。

また、その「たまたま運に見放された人間」も「自分には努力が足りないだけだ。成功した人は自分以上に努力をしたから結果がついてきている。努力していないのだから、自分は見下されて当然だ」と思いはじめる。

まさに日本の悪いところが凝縮されている。

まとめ。
「何度もやめようと思ったけど、やめなくて良かった」なる発言には耳を傾ける必要はない。
所詮それは、それに関する才能を持って生まれた人間が、それを好きでやっていただけのことだ。

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