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「作る」の原点

デーリー東北新聞「ふみづくえ」
リレーエッセイ 2021年3月10日掲載

ジンジャー姉妹 湊山はる

 先日、姉湊山りえから、とあるまとめ記事のURLが送られてきた。要約すると、デザイナーに小さい頃何をして遊んでいたか尋ねてみると、かなりの高確率で「買えないゲームなどの代わりに自作をしていた」と答える、というものだ。ゲームに限ったことではなく、幼少期から選択肢に「つくる」コマンドが備わっていた人が多いらしい。これには姉妹揃ってうなずくしかなかった。

 歳が離れていたため、一緒に遊ぶことは少なかったが、確かに姉はひらひらのスカートやリカちゃん人形のドレスなど、色んな物を私に作ってくれたし、ある時なんかは、ロングブーツをカットしてミディアム丈にリメイクしていて、当時の私は「そんなことが可能なのか…!」と目からウロコがボロボロと落ちまくった。  

 そんな姉を見ていたからか、私も幼い頃から妙なクリエーティブ魂を発揮していた。実家が神社だったため大人たちは皆忙しく、 小さい子どもにまであまり構っていられなかったのか、三姉弟の末っ子である私は特にやりたい放題で創作を楽しんでいたように思う。  

 最初の創作活動の相棒に選んだのは、こともあろうにハサミであった。幼児×ハサミ×クリエーティブ。2歳児の母親である現在の私にとってはほんのりと嫌な予感がする組み合わせであるが、やはりというかなんというか、とにかく当時の私は色々な物を自分サイズにしようとハサミで切り裂いていた。その魔の手は姉の洋服にまで及び、彼女がなけなしの小遣いで買ったお気に入りの品は一瞬でただのボロ布に変身した。しかも私は幼児だったためおとがめなしときている。ああ、お姉ちゃんの悲哀よ。この出来事に関しては大変根に持たれていて、現在に至るまでチクチクと蒸し返されその度にごめんと謝るのが一連の流れとなっている(余談だが、ソファの中にお菓子が入っていると思い込んだ私は、座面を切り開くという如何ともしがたい凶行にも及んでいる。なかなかサイコな幼児であった。私は私のお母さんじゃなくて本当に良かったと思う…)

 他にも、石ころでラピュタの飛行石を作ったり(透明感の無さに絶望した)、漫画を描いて投稿したり(箸にも棒にも引っ掛からなかった)エジプトのミイラのコスプレをして撮影会をしてみたり(ミイラ…?)と、色々な物を作って壊して失敗してを繰り返し、すくすく成長した姉妹は、現在クリエーティブユニット「ジンジャー姉妹」として活動をしている。歌い、絵を描き、動画を作り、さらにはこうして文章を書く機会までいただいて、本当にありがたい限りだ。思えば一昔前はYoutubeやSNSも無く、その道のプロではない人間が作品を発表する機会は本当に少なかった。そう考えると作りたがりの器用貧乏である私たちにとって、現在はとても生きやすく、楽しい時代である。 

 大人にはなったが多少知恵がついたくらいで、根本は幼い頃と何も変わらない。私たちの創造性を培った土地でもある「八戸」を題材に、ハサミをマイクやマウスに持ち替えて、私たちは今日も楽しみながらあれこれ作り続けている。

<デーリー東北新聞社提供> 
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ジンジャー姉妹
八戸市出身の実の姉妹(湊山りえ・湊山はる)によるクリエイティブユニット。動画投稿サイト「ユーチューブ」で、歌と解説を通して南部弁の魅力を紹介。はるによる「アナと雪の女王」主題歌の南部弁バージョン「雪だるまこへるべ」「生まれではじめで~リプライズ」では、累計1200万回再生を突破。東京都在住。

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