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鈍色とクリスマス

デーリー東北新聞「ふみづくえ」
リレーエッセイ 2020年12月23日掲載

ジンジャー姉妹 湊山はる

 2020年。心の置き所がいまいちつかめないまま過ごしているうち、気が付くと今年も終わりを迎えようとしている。今月は大人気コミックの完結巻も発売し、店頭に長蛇の列が出来たのも記憶に新しいが、『書を持って家に篭ろう』が時代のスタンダードになろうとは、寺山修司も「よもやよもや」と言い出しそうな事態である。とはいえ、今年も街にはおなじみの音楽が流れ始め、キラキラと輝きが増す例年通りのクリスマスの様相を呈してきた。この時期になるといつもなぜか心に浮かぶのは、八戸セメント工場の姿である。

 あの寡黙にそびえる工場のタワー(正式にはNSPタワーと言うらしい。知らなかった…)。幼い頃からすぐ脇の道を通るたびに心がワクワクして視線が釘付けになっていたのを思い出す。何がどうなっているのやら複雑に絡み合った配管で出来たそれは、いつまでも眺めていたくなる不思議な魅力がある。

 中学3年の頃、私は家庭の事情で小中野の叔父の家に身を寄せることになった。そこから湊高台の中学まで通っていたのだが、バス代を節約するため帰り道はいつも徒歩と決めていた。浮かせたバス代で、45号線沿いのゲームセンターで「鉄拳2」をプレイするのが楽しみだったのだ。ゲームが終わるとテクテクと川沿いを歩き帰路に着く。目の前には夕暮れに佇むセメント工場。ただの無機物の巨大な塊なのに、そこに在るだけでなぜだか妙な安心感があって、それを眺めながら学区外の静かな道をたった一人ぼんやり歩く時間が好きだった。

 基本は楽観的な性格の私ではあったが、当時はいつもそこはかとない不安が纏わりついていた。だから、YESもNOも言わず傍にいてくれる大きな何かを拠り所にしていたのかもしれない。中学時代を思い出すとき、仲良しの友達や好きな男の子を通り過ぎていつもこの記憶にたどり着くのは、今の私を形作る上でとても大事な時間だったからなのだと思う。

 さて、そんなセメント工場にある日事件が起きた。突然光りだしたのである。いつも鈍色のタワーがなぜかビカビカと、しかしどこかドン臭くきらめいている…。ひとしきり驚いた後、猛烈に笑いがこみ上げてきた。なんだこれは…面白すぎるぞ。うまく言えないが、自分が抱いていたセメント工場のイメージとキラキラの電飾のそぐわなさが、妙な「おかしみ」を生み出している。真顔で光っているその感じ。ちょっとシュールさすら感じられる光景だが、そのユルさがなんとも言えず愛おしく、さらに大好きな存在になった。ずっと昔のクリスマスの話だ。それ以来、タワーはイベント事があると光りだすようになり市民にとってはすっかりおなじみの光景だろう。そして私はというと、セメント工場を思い出すたびに少し感傷的になりつつも、ふふっと可笑しくなってしまうようになった。

 東京では数々のスタイリッシュなクリスマスイルミネーションを見ることができる。だが、私の心のベストテン第1位はやはりセメント工場の冴えないライトアップなのである。今年もセメント工場は光ってくれるだろうかと、あのユルい輝きに思いを馳せる。そんなクリスマスである。



<デーリー東北新聞社提供> 
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ジンジャー姉妹
八戸市出身の実の姉妹(湊山りえ・湊山はる)によるクリエイティブユニット。動画投稿サイト「ユーチューブ」で、歌と解説を通して南部弁の魅力を紹介。はるによる「アナと雪の女王」主題歌の南部弁バージョン「雪だるまこへるべ」「生まれではじめで~リプライズ」では、累計1200万回再生を突破。東京都在住。

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