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今週の映画とわたし 2020/2/10~2/16

正直どうでもいいと思いますけど、こうやって一生懸命たくさんの映画を観ているのはいいんですけど、だんだん現実に向き合う力を失ってきたんじゃないかと思ってるんですよね。最近。観終わった時、自分の世界の一部が剥がれるような感じがするんですよ。映画の世界に所属していたような気になっているわけ、2時間の間。「現実逃避のために映画観てるわけじゃない、現実突きつけられて身につまされる映画が好き派」だったはずのに、最近、映画とドラマが主になってきている、主従逆転。んー、まいっか。というわけで今週も適当に感想をほざきます。今週の映画は「性欲」にまつわる映画ばかりでした。偶然ね。

1. HUSTLERS

J.Lo おぉぉぉぉ〜〜〜!!!J.Loおおおおおお!!!!隅から隅までJ.Loがくっそかっこいい映画。手に汗握るカッコよさ。女の私たちの臍下を熱くする美しさ。くそカッケーーーー!!!くそ美しいーーーー!!!!嘆息!!興奮!!力説!!!美しいって強い、美しいってかっこいい。って心の奥底から鼓舞される。この意味で、強く美しくあろうって思わされる。そんな我々のエンパワーメントムービー。J.Loのポールダンス登場シーン神棚に飾って毎日拝みたい・・・強くなれる気がする。

J.Lo最強説はさておき。

このシスターフッド。J.Loの溢れる包容力、コンスタンス・ウーの鋭い才覚、女たちの「この身体この頭で生き抜く」覚悟と連帯感。男たちを主役にさんざっぱら作られてきたギャング映画、ブラザーフッド映画と堂々タイマン張れる、スリリングで熱いサバイバルドラマに仕上がっている。

それぞれに「守るべきもの」「誇るべきもの」を持つ女ピカロたちの、ぶっ飛んだ、同時に母性に満ちたピカレスク。女ゴーストバスターズから女ボンドから、主要キャストを女性にすることでシリーズを刷新するのはすでに常套手段かもしれないが、それでも、絢爛豪華に強い女たちを並べたピカレスク、って、ピカレスクというジャンル自体を刷新するだけのフレッシュさとストロングさがあるよ。

ウォールストリートから世界を支配している気でいる欲深き投資銀行ガイたちに一泡も二泡も吹かせる様子は爽快以外の何者でもない。プライドと支配欲と性欲、金と権力を手にした男のちんこのどうしようもなさを逆手にとって、何が悪い。ルパンばりの民衆のヒーロー、不二子ちゃんばりの女たちのクイーン。最高でしょ。

最強キャスト陣も、観てるだけで楽しい。個人的にはカーディ・BとLizzoの出演シーンにウキウキした。二人とも強くて才能あって、喋りにまでビートとフロウがあって、最高でした。とりあえず、「嫉妬もしないし電池さえ交換すればご機嫌よ?」というカーディ・Bに気圧されて、新しい玩具を購入した。彼氏いらず。

記者役にジュリア・スタイルズを据えるあたりもニクい。余談だが、コンスタン・ウーに「あなた、家は裕福だった?」と聞かれて「困らない程度には。」と答えるその記者、ブラウン大でジャーナリズムを修めた精神科医と教師の娘・・っていうシーンには「だよなあ」と思った。中上流の家庭の子って、「裕福だった?」って聞かれて「困らない程度には。」とか言うんだよな。それを裕福だって言うんだよ。とコンスタン・ウーの顔に書いてある演技が良かった。共感したよ。

まあとにかく女にとってはディズニーランドレベルに楽しい映画。これ、現代の私たちのシンデレラ城なんじゃ。王子がいなくてシンデレラが大量にいて牛耳ってるシンデレラ城。絢爛豪華じゃよ。

2.37セカンズ

これはハスラーズとは360度違う角度から(一周してるがな)、性欲についてフレッシュな視点を提供してくれる映画だった。障がいを持つ主人公が、性に向き合い、大人へと成長していく瑞々しい冒険譚。そう、フレッシュな冒険譚だった。

正直言えば、障がい者の人々の人生について、もっといろいろ、後ろめたさみたいなものを感じるんじゃないかと思ってた。知らないこと、興味を持ってこなかったことに、罪悪感を抱くような気がしていた。

でも全然違った。

手に汗握って、主人公を応援したくなる、英雄の誕生物語だったのだ。

もちろん、題材は「脳性麻痺の女性」だったし、「障がいを持つ人と性」でもあったけれども、劇中で渡辺真起子演じるマイさんが爽やかに言う言葉、「障がいがあってもなくてもあなた次第」が、劇中ずっとこだましていた。主人公のユマがその言葉を勇気に変えて数々の困難に立ち向かっていく、マイさんの「予言」を実現していく、ヒーローの旅のような物語だった。

ユマが初体験にトライするシーンでは、普通の濡れ場を観るより何倍も緊張したなあ。セックスする、触れられる、ということの、かけがえの無さ、が、突然胸に迫って、途方に暮れた。ハスラーズ観て玩具買ったのに・・やっぱり人に触れられると言うことは、他のものでは代替できないのかもしれない、なんて思ってしまった。初めてした時の、インセキュアな感じ、無防備な感じをまざまざと思い出した。ああ。

前半、映画としてこなれていないかな?と思うところもあったが結論、すごくいい映画だった。またすごい女性監督が出てきたよ。

3.ロニートとエスティ 彼女たちの選択(原題:Disobedience)

この3作品、同日に観たんですけど、まー奇遇と言いますか、全部セックスにまつわる題材ではありましたよね・・全然そう言う意味で選んでないんですが。

これはもう・・・静謐の中に閉じ込められて限界まで濃密になった、許されえぬラブ・ストーリー。本当に静かで、呼吸と風の音が精密に聴き取れるような映画の中で、ふたりがお互いに触れる音が響く。その密度にからめとられる。そんな映画、そんなラブシーンだった。

超正統派ユダヤ教、と言う存在はこの映画で初めて知ったけれど、さらに驚いたのは、イスラエルではなく英国にも、こんなに厳格なユダヤ教のコミュニティがあるということ。女性はウイッグで髪を隠すという慣習が、映画の中で象徴的に使われている。

コミュニティの指導者の娘で、家を飛び出してNYで写真家となったアウトサイダーをレイチェル・ワイズが演じる。一方、彼女に去られたのち、信仰と共に生き、指導者の後継者となるラビと結婚した敬虔な女性にレイチェル・マクアダムス。

わたしの勝手な印象では、これ、役柄と役者のキャラクターが逆転している印象なのよね。もちろん、ふたりともなんでもできる女優さんではあるけど、どちらかというとレイチェル・マクアダムスの方が奔放な役をやっているイメージ。(アイリーン・アドラーに引っ張られている説が否めない笑)

だから、レイチェル・マクアダムスが出てきた時「え?今のレイチェル・マクアダムスだった?」って思ったくらいだった。敬虔で、そのことに疲れていて、蒼白。

一方でレイチェル・ワイズの意志強く聡明な顔立ちは、役にそのまま生きていた。現代的で比較的感情移入しやすい、自分でものごとを決める女性。彼女の顔が好きすぎる。

その二人の再びの邂逅が、後戻りできない運命のうねりを生む・・

「アデル、ブルーは熱い色」にも比較される、濃密で感動さえするふたりの絡み。

「これは愛なんだな」とはっきりわかる愛し合い方。

あんな風なセックスって、可能だったんだっけ・・・したことあったんだっけ・・・と遠い記憶をたぐりつつ、またしても虚しくなる日本人女性34歳。

本当にねえ、セックスと性欲の、ありたい姿と現実のGAPについて考える1日でしたことよ。いやはや。やりきれない。

4.インサイダー

ちょっと番外編的になるけど、これも結局、個人的「性欲とは」ウィークの延長。

この映画自体は、80年代~90年代のタバコ産業による、タバコの健康被害隠蔽スキャンダルを暴いたあるジャーナリストと内部告発者の物語で、大変硬派なジャーナリズム映画である。


が、なぜこの99年の映画を今観たか、というと、ハーヴェイ・ワインスタインのセクハラを報道したローナン・ファロウ(ウディ・アレンの息子)が、自分のポッドキャストでこの映画の話をしていたから。

ローナン・ファロウが独自にハーヴェイ・ワインスタインのセクハラを調査する中、掴んだテープ。ハーヴェイ・ワインスタインが自身のセクシャル・ハラスメントを認める発言をしているそのテープを持ち込んだところ、NBCはこのニュースの報道を却下。その様子が、さながらこの映画「インサイダー」で、CBSがタバコ大手の不正の報道を却下する瞬間とそっくりで、ローナン・ファロウ曰く「NBCの人間は誰も『インサイダー』を観ていないのか?!」と思った、と。

そんなわけでこの映画を観たわけだが、当然、大変傑作であった。マイケル・マンの硬質な男汁満載の本作、でも銃撃戦のないマイケル・マンってなんか新鮮だったわ。

それはそうと、先述のローナン・ファロウのポッドキャスト・・・

ハーヴェイ・ワインスタインが、蛇、またはハイエナのような意地汚い権力男で・・・聴いていて本当にテンション下がる。セクハラ・性的暴行の被害を訴えようと勇気を出した女たちを、高額の示談金でNDAを結ばせ、脅しめいた手段を使って黙らせてきたその様子・・・なんかもう・・・ケダモノという言葉しか思いつかない。でも、そのケダモノを長年君臨されてきたのは、わたしが大好きなインディペンデント映画業界なんだよな。ワインスタインカンパニーの映画も、ミラマックスの映画も、大好きだったもの・・

ここまで広範にセクハラが行われていたとなると、ハーヴェイ・ワインスタインと仕事した俳優たちが、全く知らなかったわけはない、と疑いたくもなるよね。グウィネスやアンジーはぼかしながらも彼の「望ましくない行為」があったことを認めたけど、ジェニファー・ローレンスは知らなかったって言っている。ブラピやタランティーノは本当に知らなかったのだろうか・・?ジョージ・クルーニーも「いい加減、我々は女性の訴えを信じるべきだ」と声をあげたとは言え、当時すでに、「今更・・?」感もあったのでは。

2017年当時、細かに追っていたわけではなかったこのニュースを、このローナン・ファロウのポッドキャストで追体験していて、なかなかハードだ。

2/7に放送されたNew York Timesのポッドキャスト(上記)では、ハーヴェイ・ワインスタインに対する刑法上の訴追に対して、彼を弁護する立場の女性弁護士のインタビューが収録されていた。途中まで「この人、公正ではあるな」と思って聴いていたのだが、記者の「あなたは性的ハラスメントを受けたことがありますか?」という質問に対して「ありません、わたしはそういう状況に自分を置かないので」と答えたのを聞いて背中の毛が逆立った。超保守派の女性たちの声が多重奏になって聞こえるようだった、「注意が足りないから性的暴行なんてされるのよ」・・・記者が「つまり・・これらの、性的ハラスメントを受けた女性たちは、みな自分の責任でそういう状況に自分を置いたと?」と質問を返すと、慌てて否定をしていたけれど。ああ・・・やるせない。やりきれない気持ちになる。

ということで、「インサイダー」を観たきっかけのことばかり書いてしまった。gender equality以前に・・・なぜこんなに我々は、自分たちの身体を、社会にむんずと掴まれるような思いをしなければならないのか。

このことはまたきっと書く。

5.今週のわたし

上述のように、ハーヴェイ・ワインスタインの長年にわたるセクハラの軌跡をポッドキャストで聞き続けていることもあり、ハスラーズ・37セカンズ・ロニートとエスティと、女性と性に関する3作品を観たこともあり・・・・

「”性”が幸せと結びつくことの難しさ」についてばかり考えている。

なぜ性はこんなにもたやすく暴力・ハラスメントと結びつくのだろうか。男による女の支配と結びつくのだろうか。

例えば男の性欲や本能に、「相互に幸せなセックスをしないと良い子孫が残らない」という遺伝子情報が書きこまれていたとしたら、こんな暴力的な性行為は生まれなかったのではないだろうか。

今、腸と脳と情動の相関の本を読んでいるのだが、当たり前に幸せな食事が幸せな信号を脳に送って、安定的に幸せな状態を感じやすくするわけですよね。

それと同じで、セックスだって、相互に幸せを感じてする行為の方が、より相互の肉体にとっても良い影響を及ぼすし、生まれる子供にも良い影響を及ぼすという仮説を、持ってはどうだい、殿方。(まあ、若干、優生学的な匂いのする言説なので、ちょっと気持ち悪いですけどね。)

なんで幸せなセックスをすることがこんなにも難しいんだろう・・・

やっぱり・・・現代にはセックス・グルが必要なんじゃないだろうか。

ハーヴェイ・ワインスタインとかもはや病気だからちゃんと治療してやってくれ。はあ。やりきれない。元気な時にまたポッドキャスト聞く。

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