「わたしの何がダメだったんだろう」ごっこ
繰り返し、浴槽で涙を流している。惨めさ。徒労感。疲労感。悲しい。もう疲れた。なんで。いや、そういうもんだろう。仕方ない。でもやっぱおかしい。いや、そういうもんだって。・・もうその全部に疲れた。悲しい。
Photo: Wanda Maximoff@Avengers InfinityWar(愛する世界最強のメンヘラ)
「そのことを考えている時の、Gingerさんの絵面をイメージしてみてください」
とコーチに言われて、わたしの目に浮かんだのは、上記のような、この1週間の自分の姿だ。読もうと思って浴槽に持ち込んだ本を閉じて抱えたまま壁を見つめて、挙句泣き出す。
「その、悲しいっていう感覚の奥には、どんな思いがあるんでしょう」
コーチは重ねて聞く。わたしは言葉に詰まる。喉が塞がるあの感覚。泣いてはいけない。ああでも泣きそう。一息、飲み込んでわたしは答える。
「うーん。『わたしの何がダメだったんだろう』ですかね」
なんてことだ。わたしの20代の恋愛はいつもこうだった。フラれては、距離を置かれては、いつも「わたしの何がダメだったんだろう。」を繰り返した。
今、わたしは33歳にして、11年勤めた会社に対してこう思っている。「わたしの何がダメだったんだろう。」
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今日話したいテーマはありますか、と最初にコーチに問われた。わたしの答えは当然、この1週間自分が、「なぜ10月人事であのポジションがもらえなかったのか」という問いを反芻し続けていることについて、だった。
上司から、人事が希望通りにいかなかったことを聞かされてから2週間。時間が経つほどに、わたしの中でこんな解釈が力を増してきた。
「もう会社に必要とされてないのかも」
その解釈は、悲しいと同時に、自己憐憫の甘い味のする解釈だった。それに、他責という化学調味料がこっそり混ぜられていて、どこか解放感のあるような解釈でもあった。すなわち。
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