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今週の映画とわたし 20/1/17~1/24

正直どうでもいいと思いますけど、話す相手もいないので今週観た映画についてご報告します。なんか朝10時に自宅で作業開始して16時には仕事終わってるってくらい暇で、これでも一部上場企業の正社員なんですけど、まあそんなわけで映画ばっかり観てて結構な数になってしまったので、今週は公開中の作品だけに絞りたいと思います。

1. ロングショット 僕と彼女のありえない恋

ああちくしょう、シャーリーズ・セロンになりてえええええ!!!!くっそう。

よいか、ものども。これがMetoo後の世界だ。これがMetoo後の「女の子が憧れるハリウッドラブコメ」だ!!!!

まあさ〜わたしみたいな高学歴のバリキャリ女が「この映画大好き〜〜」とか言うと「そらそうやろビッチ」とか言われると思うんですけどね〜「夢見るなビッチ」とか言われるかもしれないんですけどね〜〜そうだとしても!!!ガッデン!!わたしもこのセス・ローゲンと付き合いたいよ。90年代は女の子が憧れる王子様はエリックだったかもしれないよ。でも今じゃ、どこへでもウインドブレーカー羽織って登場するセス・ローゲンなんですよ。

わたしの大好きなケイト・ブランシェットお姉様が闘うジャーナリストを演じた”TRUTH”(邦題:ニュースの真相)でも思ったんですけどねえ、やっぱりこう「闘う女の背中をポンポンと叩いて戦場に送り出す男」ってのがわたしの理想なのかもしれません。このポストにもちょっと書いたけど。

やっぱりねえ、平易に言うと「男の子に話を合わせる」、もっと感じ悪く言うと「男の子の前で知っていることを知らないふりをする」ことに慣れてしまってたんですよねえわたしは。長いこと。東大卒の女って、20代くらいだとまあまあやりづらいこともあったりして。もうきっぱりやめましたけど、そういうの。そのおかげで今一人でめちゃくちゃ暇で話し相手もいないんですけど。でね、こういうこと言うとねえ、本当にミソジニーの皆様の反感を自ら手でかき集めて頭から浴びるような行為かもしれませんけどねえ、やっぱり日本ではまだまだ「自分より賢い女」をピュアに好きになれる男の人はレアだと思うし、そして「ボーイフレンドよりバカなふりをする賢い女」もまだまだたくさんいるんだと思うんですよ。わたし、30代くらいから東大卒を隠すのやめまして、その後は「自分より賢い女」が好き”風”の男の子たちと結構付き合ってきたんですけど、そういう子たちも、年上の女を選びがちな男の子によくある「栄光浴」タイプだったりとか、結局背伸びして自分の方をより賢く見せたい「隠れ亭主関白」タイプだったりとか、結局「自分より賢い女(または、自分より賢いように見える女 ※自分がいつでも相手の男より賢いとは言ってない)」と言うありのままの姿を受け止められるケースは非常に少ない。女の方が自分より賢い(または賢いように感じられる)と自分が否定されているように感じる、という檻から出られないんじゃないかと思う。

「ところで、relationshipにおいてどっちが賢いか、がそんなに大事か?」って言われると、いやーたぶん愛ってそう言うことじゃないんでしょうねえ〜ってわたしみたいな恋愛の脱落者はぐうの音も出ませんけど。あと、相手がジャッジするより前に、お前の方から相手を「わたしの方が賢いから馬鹿なふりをしよう」と見くびっているんじゃないかという批判も免れない。それはそう。そうだよね〜。

閑話休題。いずれにせよ、少なくとも、ありのままの自分でいると引かれるような相手に一生懸命調子を合わせるのはもうやめたんですよ。

そういう意味で、この映画は本当にわたしたちの(”たち”って誰やねん、お前一人やろ)の希望の星。

セス・ローゲンとシャーリーズ・セロンの間に「男だから」「女だから」という葛藤があまり起きない。どちらがより有名で成功しているか、ということに二人がこだわる場面があまりない。(周りはこだわるけど。)セスは単純に有能で信念があり知性とユーモアのあるシャーリーズ・セロンに恋をするし、シャーリーズ・セロンはいつもウィンドブレーカー着てて無職、なんてこと気にもせず、セス・ローゲンの信念に共感を寄せる。そういうふうに発生するリスペクト溢れる恋、素敵じゃないですか。変なマウンティングなくて。

だから思ったのだけど、こういう映画が「男女逆転モノ」、とかって色物扱いされる風潮も、きっと北米〜欧州ではもう古臭いのかも。

それに、実際、それ以外に、たっぷり面白いところはあったし。例えば、セス・ローゲンのリベラル/ヒップなキャラクターに対する自己批判性。親友のアフリカ系アメリカ人が敬虔なキリスト教とで共和党員だったっていう罠のかけ方にはまじで笑った。わたしたちは、リベラル=善、って信じがちだけど、自分たちがかなりプログレッシブで極端な集団であることは自覚しないとね。っていうこととか。

ギャグとしてのポップカルチャーレファレンスや、ボブ・オデンカークの出落ち、シャーリーズ・セロンのアホ顔、アレクサンダー・スカルスガルドのギャグ採用などなど、ギャグレベルも高かったし。

なので、まあ、過剰にフェミ文脈で解釈せず、単純に楽しく観て欲しいですよ、わたしは。

それにしても成仏して天国に行ったら(←宗教設定むちゃくちゃ)シャーリーズ・セロンになりたいよ・・・アトミックブロンドもマッドマックスもやり遂げるこの超絶美女よ。ああ。好き。抱いてくれ。

おっと。長くなったぜ。

2.ジョジョ・ラビット

20世紀FOXはもうFOXって名乗らないらしいですね。そりゃそうだろう、FOXニュースと一緒にされたくないもんね。いつも素晴らしい映画ばっかり作っている彼ら。この映画も、マードック帝国の対極にある映画です。

人を憎むことと、人を愛することの、どちらが人類にとって難しいんだろう。

と思った。

タイカ・ワイティティって天才だよ。愛とユーモアを体現してる。彼が演じた、少年ジョジョのイマジナリー・フレンド、アドルフ・ヒトラーがめちゃくちゃ良かった。ジョジョの気弱な性格を多分に反映した、ちょっと不安定でユーモラスな性格と、実在のヒトラーの政治的主張が融合した不可思議なキャラクターだった。

ジョジョのような無垢な少年が、よりどころが欲しいばかりに、どれほど恐ろしいことに加担しているか理解せずにヒトラーを支持するなんてことが、実際に起こり得るんだ、と感じさせる。ジョジョにとっては、頼れるイマジナリー・フレンドだったんだよね。

でも、ジョジョは、彼自身で生き方を選ぶ。

可愛くて愛しくて、ヘイトに対峙する勇気が出る映画。

スカヨハもサム・ロックウェルも最高。特にサム・ロックウェル。ああ。いい映画だった。

3. リチャード・ジュエル

イーストウッドの映画って、時々「うーむ」って思うんだよなあ。『運び屋』みたいな映画だと単純に「あ〜いい映画だった〜〜」って思えるけど、『アメリカン・スナイパー』の時も、観賞後複雑な心境になった。

それだけ、複雑な要素が複雑に絡み合った映画だってことなんだろう。

この『リチャード・ジュエル』は、確実に傑作。傑作ではある。

語りはスロウながら、役者のキャラ立ちが半端なくて、濃厚な演技を楽しめる。だってキャシー・ベイツ、ジョン・ハム、サム・ロックウェルだぜ。そして何より主演のポール・ウォルター・ハウザーの真に迫る熱演ぶり・・・

それに、「権威」と「マスメディア」という「強者」が、簡単に暴走する存在であることへの警句としては、強烈に効くパンチだと思う。公権力ってこんな厚顔無恥な行為ができるんですか、そうですか、市民よ。権力を監視せよ。って素直に思う。そういう意味で示唆的でわかりやすく、強い映画だと思う。

けど、例えば「下層白人」という偏見について。

「法的権威」に憧れを抱いてちょっと出過ぎた真似をするダメ警備員、リチャード・ジュエルという存在・・クリミナル・マインドでもよく犯人像として使われる、自己肯定感の低さから「権力」を手に誇示したい欲求に駆られる人物というステレオタイプ。白人・異性愛者・男性、ではあるけれど、あまり成功していないがために、自分が本来享受すべき特権がマイノリティによって侵されていると感じる・・というステレオタイプ。リチャードはこの像にぴったり一致してしまうもんだから、世間は手のひらを返し彼を犯人扱いする・・。

このリチャードを主人公に据えるのは、イーストウッドなりの、ポリコレへのポジション表明なのだろうか。いや全然わかりませんよ。ただの素人なんで。

単純に、「弱者で、ちょっとイライラさせられるけどいいやつ・リチャードが、警察と新聞にはめられて大変な目に遭うけど、頑張って乗り越える」ストーリー、みたいには思えないよね。もっといろんな偏見とかバックグラウンドが絡み合ってて。

それから、90年代、バリバリにマスキュリンな態度でスクープをもぎ取る女性記者の描き方。枕営業なんて平然とやってのける成功至上主義の彼女が、リチャードの人生を壊してしまうわけだけれど・・メディア批判なのか、なんなのか、彼女の描き方におけるポジションがはっきりしなかった。最後、彼女に安易に贖罪の涙を流させるところとか、ちょっと解せない。個人としてこういうマスキュリンな女性はいくらでもいただろうと思うので、別に女性に対するディスでは全くないと思うけど、なんだかモヤるキャラクターだった。

その点では文句なしなのはやはりサム・ロックウェル。これからサム・ロックウェル映画祭やろうかな!

それに、役者としてポール・ウォルター・ハウザーは本当に素晴らしかった。上述のように、わたしがリチャード・ジュエルに対して、疑念やら違和感やら共感やらあれこれごた混ぜの感情を抱いていることからもわかるように、彼の演技は完璧だった。あの絶妙なキャラクターをモノにしていた。

結果、やっぱり褒めるところの多い映画ではあったと思う。色々考えさせられている時点でイーストウッドの術中なのかもしれんしね。

まあ何を隠そう、人のレビュー読んで、「この映画の背景にある社会課題が、日本人には全然理解できていないんだわ〜」とかって、賢ぶって批評したりすることもままあるわたしですけれど、イーストウッドはやけに難解に思えたりする。誰か批評家のレビュー探すか。町山さんあたり、何か書いているだろうきっと。勉強の連続。映画は。

4.今週のわたし

ロングショットのピースフルさにやられた。同時並行で、ドラマ「セックス・エデュケーション」と「グレイス&フランキー」を観ていることもあって、恋も愛も、やっぱりいいなあ。と、頓に思う1週間だった。傷つくこと、闘うこと、さらけ出すこと無くしては、愛には辿り着き得ないよね・・と反省を繰り返すも、なかなか重い腰が上がらない。わたしが逃げ腰なのかしら。どうだろう。この映画やドラマの中の女性たちのように、正直な自分のままで、恋しあえる人がいたらいいよなあ。と、思ってはいる。思ってはいるんだよ。

おやすみ。

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