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夏の夜の現

性欲と恋愛感情を履き違える男が嫌いだ。20代から一貫してわたしは「やりたいならやりたいと言ってほしい」と心から願っている。やり捨てる腹づもりの男に限って、手をつないできたり、かわいいよと耳元で囁いたり、そういう甘い仕草をする自分に陶酔するものだ。そんな見え透いた手口にはもういい加減辟易している。何思い上がってんの。やり捨てるのはわたしのほうだからね。

photo : Lost in translation

あーはいはい、今日やれると思ってんのね。

たかがわたしが膝上のワンピース着てきたくらいで「やれる」とほくほくし始めるその品のなさに、早々にわたしはぐったりした。ただの友達だったらいい奴なのに、既婚のこういう男って本当に手に負えない。貪るように周辺の害のなさそうな女の子を食い散らかして、自分がモテている気でいる。知能の低いハイエナ。わたしたち女って、振り払うのが面倒なだけだっていう日もあるのよ。まあ、会社に陳情したりしないドライな女を探し当てる嗅覚だけは褒めてあげる。

さっさと自分だけ果てた後も、しつこくわたしの脚の間をまさぐるその男の好きにさせておきながら、わたしは大口を開けて欠伸をした。いつからこんな無気力にセックスに応じるようになったんだろうな。好きでもない男とセックスしてもそんなに燃えないことはもうずっと前から知っているのに。

いや、だからこそ、なのかもしれない。

わたしはどうしようもなく凌くんが好きだということを確かめるためだけに、救いようがないくらいセックスが下手な、遊び人を自認している馬鹿な男たちを試しているのかもしれない。

5時にその男とホテルを出て、歩いて帰宅したわたしは、丁寧に身体を洗い流した。軽く眠って、目が醒めたのは9時、凌くんからのメッセージの着信で、だった。「起きたらあり?」即座に返信する、「ありだね」。今日凌くんから連絡が来るなら、昨夜わざわざあの男とセックスしなくてもよかったな、とまどろみの中で思う。ついでにLINEもブロックしておいた。

凌くんとわたし。我々は性欲だけで結びついている、という、性欲至上主義どうしだからこそいつも話はシンプルだった。会いたい=やりたい、が成り立っている限りにおいて、我々の関係は非常に安定していた。無駄な恋愛ごっこはしない。ただ素直に欲情を口にするだけ。

それでも、終わった後「腰が痛い」と爺臭いことをぬかしてうつぶせになる凌くんの、腰をやさしく撫でるわたしの手のひらに愛がこもるのは、隠しようがなかった。知ってか知らずか、いつものように即、無防備な寝息を立て始める凌くん。その上下する背中に耳をくっつけて、彼の鼓動に耳を澄ませた。

他に何もいらないのに、手に入るようで入らないこの子の代わりに、いつも適当に他を拾っては捨てている。それでわたしが、少しでも冷静でいられるなら、それでわたしたちが、少しでも長く続くならそれでいいのだ。

まもなく3年に到達しようとするある夏の朝。夏の終わりとともに、わたしたちの終わりが近づいていることに、わたしは気づいていたのだろうか。

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