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さらまわしネタ帳075 - 春幻

桜満開の時期、仙台堀川に架かる海辺橋からの眺めは壮観です。買い出しに行くときにちょっと眺めるだけですけど、やはり毎年の楽しみではあります。自宅からお店に移動する道沿いにも桜の名所がいくつもあり、バスの車窓からもそれなりに楽しめます。日本に生まれてよかったなと思う時期ではあります。とにかく、自宅のマンションが大規模修繕とやらで、ほぼほぼ工事現場と化しており、自宅にあまり居たくない気分なので、ついつい早めに出かけてしまうんです。

日曜日、普通ならお店は定休日ですから動き出しは遅めです。どのみち翌日の仕込みや諸々の作業があるので、お店には行くことは行くんです。飲食店などやっていると、結局のところ、定休日があっても毎日仕事をしているようなものです。日曜日の清澄白河は、お祭りでもあるのかと思いたくなるような雰囲気が町を包んでいるのですが、ただ大勢の人々が町歩きを楽しんでいるだけなんですけどね。コーヒーの町とか言われていたはずが、最近はパン屋さんばかりできるんですけど、供給過多にならないんですかね…。

今年の桜満開の日曜日は、低く垂れこめた雲が恨めしく感じられるような重い空気が漂っていました。昼過ぎの豊海水産埠頭行きのバスは満席で、5~6人立っているような状態でした。始発から乗る自分は一番後ろのシートに座り、車窓からの眺めを楽しんでおりました。

都営両国駅前の一つ手前、石原一丁目のバス停あたりは都立横網町公園の桜が見えます。慰霊堂のある公園ですね。ちょうど復興記念館の真横に差しかかった頃、目の前の2人がけシートに座っていた母親に連れられた2歳ほどの女の子が、桜の木の方を指さして、「お着物の人が二人もいるね」と言うので、その「二人も」という妙な表現についつられてその方向を見たのですが、自分には誰も見えませんでした。お母さんも「どこ~」などと言いながら同じ方向を見ています。

次の瞬間、お母さんと目が合ったのですが、その目で察してしまいました。小さな子どもにだけ見えているんですかね…。お母さんの「見られてはまずいものを見られた」というような、ギョッとしたような目は、桜の木と私の方を繰り返し見ているように泳いでいました。おそらく自分は普段よりかなり大きく目を見開いていたと思いますが、その会話が聞こえなかったかのように、外の景色を眺めている素振りをしていました。

お母さんは何度も私の方をチラ見しては、何も無かったかのように子どもに話しかけているようでしたが、動揺が全身を覆い尽くしており、バッグの位置を変えたり、娘さんを抱きかかえるようにしてみたり、じっとしていられない様子でした。娘さんは黙って景色を眺めているようでしたけどね。自分も凝視してはいけないと思いつつ、何度もお母さんと目が合ったので、見てしまっていたんでしょうね。実に気まずい10分ほどを過ごした後、平野一丁目のバス停で下車しました。

今年はかなり気温が高めの春ですが、その日は寒さがとれず、一日中膝を擦っていたように思います。ふとした瞬間に、あのお母さんのギョッとしたような目が蘇るんですけど、どうしていらっしゃいますかね。私がバスをおりるとき、最後にお母さんと目が合ったのですが、あの救いを求めるような目が忘れられません。おそらく、普段からギョッとさせられることが多い子なんでしょう。

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