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代表取締役ちょんまげの理由

(株)しょうがのむし(以下、弊社)の代表取締役、周東孝一は、月代(さかやき)を剃り、本物のちょんまげを結って和服を着て生きています。たった150年ほど前までは、日本国内どこへ行っても、こんな格好をした人だらけだったはずなのに、現代ではどこへ行っても、なぜなぜなぜ、と質問攻めにあいますので、その理由をここに記しておきたいと思います。

高尚な理由

和服にちょんまげという恰好で歩いていると、毎日のように「あなたはどうしてそんな恰好をしているのですか」「役者さんですか?撮影ですか?」「本物のちょんまげですか?」などと聞かれたり、親子連れとすれ違う時なんて、まるで漫画や映画のワンシーンのように「ママー、あの人…」「こら!指さしちゃいけません!」「ママー」なんてことが本当に起こります。特に、学生が電車に乗る時間に居合わせたりなんかすると面倒で、方々から「え、ちょんまげ」「ちょんまげいるんだけど」「サムライ?」「ちょ、侍スマホいじってる」なんて聞こえてきて、もう放っといてくれ!と叫びたくなります。
では、どうして、そんな目に遭ってまで、こんな格好をしているかというと、そこにはとっても高尚な理由が

ありません。

ちょんまげとは
さて、そもそもちょんまげとはどんなものでしょうか?最近では長い髪の毛先をちょっと結んだり、少しまとめているだけの状態でもちょんまげ、と言われます。
私から見ると、それは決してちょんまげとは言わない、というものが、ちょんまげであると呼称されている状態ですが、時代の変化とともに、定義が変わっていくのは詮無きこと、諸行無常の響きあり、なんて遠い目をしたまま見守っております。

諸行無常の結果「ちょんまげ」を楽しむ現代の若者

しかし、一応私は正統なちょんまげの端くれでもありますので「丁髷とは」的なものを以下に、<極めて簡単に>記載しておきます。

もともとの丁髷の定義
男性の髪型の一。
頭頂部を剃る(沿った部分を「月代(さかやき、つきしろ)」と言う)

残った毛髪を上部で結って髷にする

それを頭頂部で折り曲げて「ゝ(ちょん)」の字型にまとめる

以上、これがちょんまげ・・・、ではなかったようです。
これは髪が薄くなり髷が細く貧相になってしまった方を揶揄したのが始まり、と言われているそうです。たしかにこの「ちょん」という響きには、どことなく人を小ばかにしたような響きがあります。
と、いうことは江戸時代の方は、少なくとも自分の髷を「これはちょんまげである」とは自虐以外で言うことはなかった、ということになります。

では、どんな風に呼称していたかというと、髷にはたくさんの名前が付いていたようで、「本多髷(ほんだまげ)」とか「講武所髷(こうぶしょまげ)とか「茶筅髷(ちゃせんまげ)」とか、現代の髪型のようにたくさんの名前が有ったようです。因みに、周東の髷は本多髷と講武所風の中間くらい、と思っていますが、厳密にはよく分かっていませんので、詳しい方がいらっしゃいましたら、私の髷の名前を教えてください。

(左)本多髷 (中央)周東 (右)講武所髷

ちょんまげのきっかけ
私はかねてから着物(和服)が好きだったのですが、20代後半に金澤の中村君という友達ができたのがきっかけで「普段着として着物を着る」という選択肢があることに気付きました。(彼はどこに行くにも着物を着ていた。)
それから、時々は着物を着て出歩くようになりました。
あるとき台湾で和酒の利き酒師として生活していたところ、スーツを着て仕事をしていたのですが、不便が生じました。せっかく日本人の利き酒師が中国語で和酒の紹介をしてやろうと意気込んでいるのに、姿が台湾人と似過ぎているために気付かれず、お客様に見向きもされなかったのです。
(実際、私のDNAは100%台湾人なので、そりゃ似ているはずです。)
そこで、一発で日本人と分かる見た目にするにはどうすれば良いかと考えたところ、着物を着ていれば話が早い、と思い当たり、毎日着物で出勤するようになりました。
会社のロッカーは狭く、洋服と着物では足の先から着用する物が異なるため、会社で着替えるのは現実的ではなく、自宅から着物で出勤していました。台湾で着物で歩いている人間はどこにもいないので、道中似たような服を着たお坊さんに丁寧にお辞儀をされたり、隠し撮りをされたり、「他瘋了吧(狂ってやがる)」と陰口を叩かれたりと、色々な目に逢いましたが、その生活のおかげで毎日着物を着ることになり、慣れていきました。日本に帰国し、翻訳会社を開業したあとも、顧客との打ち合わせや翻訳者・通訳者と会う機会があると着物を着て行きました。スーツよりも喜ばれることが多かったので、根付いていきました。
そして、毎日のように着物を着て過ごしていたところ、ふと思ったのです。
あれ、ちょんまげってカッコよくねぇか…?と。
一生に一度やってみたい髪型があるとすれば、間違いなくちょんまげはランクインするな、と。
そこで、妻に聞いてみました。
「一生に一回で良いからやってみたい髪型があるとすれば、どんな髪型だろうって考えたら、金髪かちょんまげじゃないかって思い当たったんだけど、どっちがいいかな?」
妻は即答しました。
「金髪はイヤ」
消去法です。その瞬間、私の髪型はちょんまげに決まり、そこから約1年半、髪を伸ばす生活が始まりました。
髪を伸ばしている間、色々なことがありました。
発酵ジンジャーエールで起業を志し、その過程で応募したビジコンで優勝したり、中国武漢でコロナウイルスが発生し、日本にも上陸し始めたり・・・。
激動の1年半でしたが、2020年の7月、ついにその日が来ました。髪が十分な長さに達したので、世話になっていた西川口のGrow Brew Houseというクラフトビールの醸造所の軒先で、頭頂部の断髪式をしました。
前日の夜はさすがにナイーブになりました。自分でも頭頂部の肌を見たことがないのに、翌日からは誰彼かまわず見せて歩くことになるのですから、まるで下着を履かずに出歩くような心持ちです。

剃髪、前日の夜に妻と記念に

しかし、頭頂部が見事に剃りあがり、髷を結ってもらった瞬間はもう最高でした。やっぱりこの髪型はカッコいい!!
一生に一回と思ってやってみたけど、一生これでいいや!
そう思い、今も髷を結い続けています。

初めて結ってもらった髷(左)と、3年後のこなれた髷(右)

誰にも共感されない丁髷あるある
◆髷を結うためのHow toがどこにもないので、女子高生のポニーテール結うHow to動画を、おっさんのくせに血眼で見る
◆ちょんまげしか入れないLINEグループに加入する
◆ちょんまげ関連のLINEスタンプを2つ以上所持している
◆情報がないので浮世絵が最新のファッション誌と化す
◆外国人観光客に驚かれない(OK, he is "just a" traditional style Japanese.)
◆知らない人にものすごい話しかけられる。どんなに疲れていても。
◆オンライン会議で取引先に事前情報がない場合、カメラがオンになった瞬間から爆笑されて会議にならない。
◆自己紹介はちょんまげに言及してからでないと、声が誰の耳にも届かない
◆家ではどうしてるの?の質問に、「落ち武者ですね」の一言で掴みはOK
◆世界で30人に満たない丁髷人口は、少なすぎて「イリオモテヤマネコはまだ100匹くらいいるらしいですよ」で掴みはOK
◆「丁髷」という枕詞があれば「銀河系唯一の」もセットでついてくる。例:私は銀河系唯一の丁髷醸造家です。私は銀河系唯一の丁髷翻訳家です。
(髷の先輩、SADAさんに教えてもらってから濫用しています)
◆冷静に考えれば絶対に違うと分かるのに、混乱のあまり「お相撲さんですか?」という質問をされる
◆浅草を歩くと、ここが自分の居場所なんだ、と錯覚する
◆浅草では英雄として丁重に扱われる
◆路上で役者さんですか?何かの撮影?カメラどこ?と聞かれる
◆ひそひそ声で「ちょんまげ?」「サムライいるんだけど」とか言われているの、全部聞こえている
◆スマホを見たり、イヤホンを付けたりすると、文明開化だと笑われる
◆満員電車では周囲の人間すべての目が大きく見開かれている
◆夏は頭頂部を蚊に刺されたり、髷の形に日焼けしたりと散々である
◆冬は「寒くないですか?」と全員に心配される
◆女性に「触ってもいいですか」とよく言われるが、まんざらでもない
◆長い髪は抜け毛も目立つので、髷開始1年くらいはシャンプーのたびに禿げるのでは、と心配になるほど手に抜け毛が絡まる
◆カミソリで月代を剃っていると、日を追うごとに月代が広がってくる
◆髷を結っていないと失望され、存在価値がないものと扱われる
◆プライバシーや肖像権という言葉とは縁が切れる
◆髷を結っていないときでも自分を認識できる人に、凄まじい才能を感じる
◆集合写真の際、笑顔が不十分であったり、端に写ったりすると、心霊写真ができあがってしまう
◆目を合わせず、話しかけても無視して避ける人には、武士の地縛霊だと思われている(私だけに見えてると思ってました、と真顔で言われる)
◆結婚(指輪)をしていることに驚かれる
◆奥さんは大丈夫なの?と一日に何度もたずねられる
◆ひとしきり珍しがられた後に、あなたのひいひいおじいさんあたりもこの髪型だったんですよ、というとハッとされる
◆人を笑顔にする

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