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写真にみた絶望

新しいスマホを購入して、
いろいろとセットアップしている。


あの行動を起こしてから、
姉に連絡をしたら、
やはり快く受け入れてくれた。
(身近な関係とは、むずかしい。でもよかった。)


今日、姉が甥っ子の写真を送ってくれた。


それはそれは、かわいかった。


保存しようとしたら、写真アプリがなく、
Googleフォトを使った。


すると、ここ3~4年の写真が
全て保存されていた。


ビックリした。


でも、なんとなく、見てしまった。


そして、感じた。

わたし、異常な程、がんばっている。
写真から、ひしひしと伝わってくる。


辛い中でも、笑顔を集めようと。
辛い人がいたら、寄り添おうと。


そのレンズを覗く目は、
幸せを探していた。
やさしさを探していた。


でも、新しい環境になった今、見返していると、
どこか
「本当は、とても辛い。
 なんとか、希望を探している。
 誰か、たすけて。」

ふしぎと、そんな気持ちも感じ取れた。


だから、わたしは泣いた。

辛かった当時の気持ちを
思い出してしまった。


でも、昔ほど、リアルには感じていないのも、
また気付いた。


そうか。
わたし、辛い環境から、自分の手で、
抜け出してきたんだ。


その中でも、
優しい、やわらかい、あたたかい事を、
ずっと追い求めていたんだ。


そう思った。


だから、わたしが歩んだ道は、
決していい思い出ではないけれど、
わたしの「願望」が滲み出ていた。


「あたたかい場所、安心できる場所、大切なひとが幸せである事」


それが、これまで歩んだ道。
そう思った。


若い頃のわたしの判断は、
間違ったり、隔たったりしていたかもしれない。


でも、確実に、
その「願望」を掴んで離さなかった。


だから、いま、ここに居る。


そして、いま思う、わたしの「大切なひと」は
「わたし」であること。


わたしはその写真を、一部残して、消去した。

残したのは、
「生まれたばかりの甥っ子」の写真と、
「うたた寝するおじいちゃんと猫」の写真。


これ以外は、全て消した。


そして、今日届いた写真を追加した。


写真は、記録になるかもしれない。
いつか、何かの時に、役に立つかもしれない。


でも、もうやめた。
わたしに「辛い」と訴える写真を、手元に残す事を。


そして、心に残し続けたい写真だけ、
手元に残した。


あまりにも、いままでのわたしの道は
辛過ぎた。


それを感じるのも、まだ少し。
でも、もう十分。


休もうと思う。


とても辛かった。

笑うわたし。なのに、暗く殺伐とした部屋。背景。
大好きな猫が写っている。なのに、猫の表情は、疲れ切っていた。


実に、おぞましい写真だった。


その中でも、笑顔で写るわたしは、
哀しみを押し殺した表情をしていた。


笑顔が、「辛い」と訴えていた。

殺伐とした環境で、わたしは、ずっと笑顔だった。

誰にも見られる事のない、わたしだけのスマホの中で、
「助けて」を残していた。


かける言葉が、いまも見つからない。






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