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【眠れない夜】第1章 2008年 挫折

今日も憂鬱な気分で歌舞伎町のとある雑居ビルのエレベーターに乗り込む。一日のうちでこれほど心も体も重くなる時はない。それは、真冬の朝布団から出る時よりも億劫だ。
結果は見えている。どうせ追い返されるだけなんだ。それでも、嫌々ここに通ってくるのは僕が悪かったから。僕のミスでこうなってしまったのだからしょうがない。
エレベーターの扉が開くとそこはもうフロントだ。僕より少し上背が高くスーツにメガネの店長が対応してくる。いつものようにオーナーを呼んでもらう。ここに通いだしてもう一週間だ。お互い用件はわかっている。全く話は進展しないし、結果はすでに見えている。

白い合皮のソファに座らされるとアイスコーヒーがだされ、しばらく待たされた。

「また来たのか。」

藤森オーナーはうっとうしさを隠しもせず言った。僕は頭を下げて頼む他はない。藤森オーナーはこの店のほかに、2店舗歌舞伎町内に持っている。この店は、"ディアレスト"。

僕はディアレストの改装工事の設計を行った。
工事予算は1200万円。キャバクラから最近流行りのガールズバーに、営業形態を変えるための改装だ。

このプランは最初から一つだけ問題だがあった。それは避難経路の確保だ。
2001年9月1日に歌舞伎町の雑居ビルで44人もの人が亡くなるという、火災があったのを覚えている人も多いだろう。
そして、2003年2月、ビルのオーナー及びテナントの関係者など6名が消防法違反、業務上過失致死の疑いで逮捕された。

それ以降、消防庁の検査は厳しくなった。

今回のプランにあった問題は、避難階段の前にキッチンを置いたことだった。これはオーナーの強い希望であった。僕は反対したのだが、押し切られてしまったのだった。
もし、キッチンから火の手が出てしまった場合、店内の人の逃げ場がなくなる。これは消防庁の竣工検査で、必ず指摘されることだった。

消防庁の検査を受けないこともできる。ただの改装であるし届ける必要がないからだ。 届出をせず何度も改装を重ねている店舗なんて、日本にごまんとある。

しかし、「今回は届出をしたい」、というのも藤森オーナーの希望であった。

検査を受けるとしても、逃げ道はいくつかはあった。消防庁の検査が入る時に、キッチン内にガスレンジや給湯器などの火を使用する機器を置かないことだ。
この店は小さい店なのでそれほど大きいキッチンを必要としなかった。流しと台があるだけの家庭用の台所を想像してもらえばよい。

「ここはドリンクカウンターなので、料理はしません。」

検査の時、そう説明すると、検査官は納得して帰って行ったのだった。
次の日にはレンジと給湯器を設置して、リニューアルオープンの準備に入った。
ガールズバーにリニューアルしてから1ヶ月後、僕は藤森オーナーに呼び出された。その後何回もここに足を運んでいる。

「毎日毎日来ても一緒だよ。君がわるいんだから。」

今日で交渉七日目だが、まったく相手にされない。むしろ藤森オーナーは段々へそを曲げているようだ。
ディアレストのリニューアルオープンから一ヶ月後、このビルの別の階に居酒屋がオープンした。
この時もまた、消防庁の検査官が、そこを竣工検査のためにやってきた。
しかし、そのとき不幸なことがおきた。

ついでに、他のテナントも抜きうちの立ち入り検査が入ったのだ。
その際に、例のキッチンの火気使用が発覚した。キッチンで火を使っていることがバレたのだ。そして、すぐに是正するように勧告されたのだった。
是正するということは、キッチンを別の場所に動かさなければならない。それには、また工事をしなければならないし、費用がかかる。
その工事費用と工事期間の営業保障及び従業員の給料を、会社に請求してきたのだ。藤森オーナーは合わせて1000万円もの金額を、こちらに請求してきたのであった。

とんでもない話だった。

「請負工事とは、請けて負けると書く。最後まで責任を負ってもらわなくては困るよ。」

僕は納得できないけれど、頭はあがらない。
たとえ、最悪是正工事の費用をこちらが肩代わりするとしても、営業保障や従業員の給料までもこちらで負うわけにはいかなかった。

「だいたい君はいいかげんなんだよ。」

「何度も申し上げておりますし、私は反対しましたが、今回のプランはお客様の強い希望のためどうしようもなくこういった形になったわけです。」

「なんだと!?おれのせいにするのか!?」

藤森オーナーはいまにも掴みかかってくる勢いだ。

「そういうわけではありませんが、私たちが100%悪かったわけではないと思います。ですから、こちらで半分持ちますから、折半にしていただけませんでしょうか。」

「・・・・・・。話にならん。帰ってください。そして何度ここに来ても同じだと、帰って社長に伝えなさい。」

僕は、ここに来るまでにある決意をしていた。プライドを捨てる決意だ。テレビドラマではよくみる光景だけれど、実際に自分がやろうと思うとなかなかできないあれだ。

ぼくは突然、膝を折り曲げ、ソファに乗っかっていた尻を滑らせて、足の裏の上に乗せた。正座の姿勢になった。そして、両手を床に着け、そして前頭部も勢いをつけて床に叩き付けた。

「何とかお願いします!!私たちの会社が潰れてしまいます!!!」

僕を含め5人しかいない極小企業だ。1000万円もの持ち出しをしたら簡単につぶれてしまう。
それに、昨今の不況で、業績は右肩さがりなのだ。

「・・・わかった。君がそこまでいうなら、考えなおしてみるよ。とりあえず頭を上げなさい。」

なんて言葉が返ってくるわけがなかった。世の中土下座で済むほど甘くはない。

「土下座すれば、どうにかなると思ってるのか。大間違いだよ。」

ある意味予想通りの応えが返ってきた。
しかし、土下座でもするしか僕に残された方法はなかった。所詮、いくら誠意をみせても、いくら頭を下げても世の中どうしようもならないことがあるんだ。それがよくわかった。
僕は社会人6年目。今年で28歳になる。建築系の大学を卒業後、小さい工務店で設計と営業を担当している。
6年も働いていると、だいぶ仕事も慣れてくる。慣れが生むのは、油断と怠慢そして傲慢。
今回の仕事についても傲慢なところがあったのだろう。客の言うとおりやっておけば、自分の意見を無理して通すことはない。そう思っていた。
そんな、傲慢で怠慢な僕の心が今回の結果を招いたのだ。

会社に帰ると毎日社長に怒鳴られる。日々大声で社長に怒鳴られる度に、自分の心が中へ中へと向かっていくのがわかる。
鬱病というヤツに、自分がなるとは思ってなかった。それに、自殺する人の気持ちなんてわからなかった。

でも、最近は僕もその人たちの仲間入りするんじゃないだろうか、と感じている。高い所や電車のホームにいると、ここから飛び降りたら楽になれるのかなとか考えてしまう。
会社に戻ると8時を過ぎていた。他の社員はもう帰ったようだ。いつものことだからあまり気にしない。
この時間でも、社長には今日のできごとを報告しなければならない。

電話すると、社長は近くの焼鳥屋で飲んでいるようだ。むしろ、この時間に社長が飲んでいない方がめずらしい。

「お前はだいたい本当に反省しているのか!!」

焼鳥屋で社長の説教が始まった。本当はここの焼鳥はとても美味しいのだ。しかし、いまは全く味覚を感じやしない。この時間はただの苦痛でしかない。
しかし、今回の件では社長も毎日頭を悩ませているのだ。それはわかるが、必要以上に僕に当たってくるのはたまらない。この不の循環はいつまで続くのか。
夜の11時近くになりやっと説教から解放された。

説教されながら、酒を飲まされてフラフラだ。
とはいえ、今日は土曜日で明日は休みだ。ようやく仕事から解放された気分で心地よい。足はかってにある店に向かってしまう。

「リナさんよろしく。」

「いつもありがとうございます。少々お待ちください。」

28歳でひとりでキャバクラなんて、なんてさみしいんだろう。でも、僕の愚痴を黙って聞いてくれるところなんって他にはない。それにカラオケも歌えるし、ここは田舎の店だから比較的安い。しかし本当は、こんな寂しくてむなしいことを続けたくなかった。でも、僕のつらい気持ちを紛らせてくれるのはここしかなかった。
がんばって仕事で稼いだお金もこうやって無駄にキャバクラに消えていく。不の循環はこうやって続いていくんだ。
でも、この一時はそれなりに楽しいんだからそれでいいのだろう。

ぼくは、自分の人生の目標さえも失いかけていた。


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