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シン・エヴァ2回目を見てもネタバレに配慮して気軽に吐き出せない思考の断片のお墓、前編

前回

初回観覧時に思ったけどここに入れていなかった、入れ忘れたことと2回目に見て思ったことを前回よりさらに断片的にメモ書きします。それとともに、過去の自分の発言で残っているものを拾って突き合せをします。
まず先に過去の発言(主にツイート)を洗い出します。

過去の言動編

2009年、mixiの日記にて、破を絶賛。再構成として見事と評している。この時はガンダム、Zガンダムの各劇場版3部作と対比している。この時点では時代スキップを想像もしていない。
この時すでに「アナザー」「if」にならないことの重要性を記している。パラレル作品を作っても仕方がない、それと再構成/再構築は違うとみていた。

まだ大筋をなぞっていた破においても最終的な結論と変わらない見方をしていたのが一点。TVシリーズに比べて世界の描写が大局的である、TVシリーズの描写が内的に偏っていて自己完結感があり、そこが完成のピースを空けることになっていたと感じていたようだ。
この点はQにおいて一度逆を突かれることとなるが、シンにおいて回帰し、ラストピースがはめられることになる。

その後しばらくの発言はグッズ展開やマーケティングの話と3号機かっこいい話に限られ、Q公開前年の2011まで飛ぶ。

前回も書いていた不安を既にこのころから抱えていたらしい。Qの閉ざされた世界観によって不安が増大することになるとは、この時まだ知らない。

そして公開後。

頭がおかしくなってしまったらしい。

ただ、批判的な感想を持ったわけではなく未完成作を見た、次を見なければ判断付かない状態でリリースされた、と感じていて複雑な心境だったようだ。

こんなツイートしていたことは忘れていた。残念ながらここだけは一歩及ばず。しかしおおよそクリア。
続いて漫画版完結の時期へ。

なぜ急に名字で呼んだのか記憶にないが、今回の「なんでケンケン」に対してと全く同じ感情を抱いたことははっきり憶えている。そしてケンスケの捉え方はずっと昔から前回書いたような評価だったことが確認できる。シンでのケンスケはまさしくポスト加持だと思ったし。
さらに2年半空けてまた言っている。

この頃になると、クラスメイトも主要人物だと認識している自分がおかしいのだろうか、と焦りの色があらわれる。

シン公開前年。彼らは制作陣からも端役として正式降格されたのではないかという疑念に耐え切れなくなっている。別に脇役びいきでこんなことになっているのではなく、「勇者一行以外は全部モブ」という作劇できれいに着地できるわけがないと考えていたからだ。09年の大局的な描写が再構成の完成度を上げている、という見方からくるものである。旧作以上に閉鎖的になってQの状態から解決できるはずがない、ということだ。

シンエヴァ公開前日。やはりずっと同じことを不安がっている。ただ、前述の「なんでトウジ」について、入ったタイミングの違いで仕方ない部分もあるのかな、ということは少し理解してあげないといけない部分もあると思うように最近なった。蔓延するヤムチャへの心無い言葉がそうさせた。
この時点では初日初回に行く温度になっていない。この後、どうせ見るのだからさっさと確かめるべきだと決心を固めた。

つまり、この10年越しの苦悩は間違っていなかったわけだ。だからこそ

こうなった。

さて、その間彼ら非戦闘員以外についてどんなことを言っていたか。

ブランディングに対し相当なストレスを抱えていることがわかる。もちろん内心ではカネを取ってこなきゃいけないんだろうな、ということもちらつきながらではある。
ただ受け手がそこに配慮したらダメだろう、と思っていた。思っている。それが作品の方向性に影響したら、絶対に正解ではないから。こういう要素を劇中に取り入れなきゃ、と万一誤解したらどうするんだ、と思っていた。いる。

結果的に願いがかなった。だからこうした煩悶も成仏することができた。それでいい。

後半へ続く。


画像1

シンエヴァ鑑賞後の心象風景。

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