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シン・エヴァ2回目を見てもネタバレに配慮して気軽に吐き出せない思考の断片のお墓、後編

シリーズ初回はこちら↓

前編はこちら↓

初回観覧時に思ったけどここに入れていなかった、入れ忘れたことと2回目に見て思ったことを前回よりさらに断片的にメモ書きします。それとともに、過去の自分の発言で残っているものを拾って突き合せをします。
前編は過去の発言(主にツイート)を洗い出しました。後編は残りのメモ書きを記録します。

初回メモの残り

▼ノスタルジーについて・補記
昭和の匂いについて初回記事で触れたが、そういえば、観劇しながら少し20世紀少年を思い出した。比重は全然違うけど。その辺も苦手な人は抵抗感あるでしょうね。

▼ヒロイン問題
そもそも誰と恋をするかがテーマのラブコメではないので○○エンドみたいなのはちょっとズレた見方だと思うっていう前提で、サクラがお相手に収まるのも良いかも、と見ていた時に感じていた。
キャラ付けという意味で必要以上にヤンデレ属性がこれからいじられることは想像に難くないけど、本編で言えばそんな軽いものではなくて、役者の沢城氏は恩人であり仇、尊敬していて憎い、そういう抱えきれない感情を好演していたと思う。ただシナリオ上の着地がマリ以上に力技になるし、必要以上にラブコメ的な結末に見えてしまいそうなので作劇上現実的でもなかったのだろう。

▼ミサトの復活
髪を象徴的に用いた演出は心を揺さぶるパワーがあった。ただあれ、髪ほどいてもそうはならんやろっていう。そういう優しい嘘は、アニメなら許される。

そもそも緻密なイメージと裏腹に、画ぢからと演出の説得力で押し込んでいる部分が多い作品。やってることは結構荒唐無稽だし、厳密な説明ができそうにない設定も多い。そのエンターテイメント性がこれだけ人を引き付けているのに、そうである自覚をあまりさせていない、というのもエポックメイキングだったのかも。

▼voyagerがエモーショナルすぎる
「良い最終回だった」感全開の選曲をぶち込んできた。そのままエピローグ重ねのEDになだれ込んでもいいくらいエモーショナル。スタッフロール間に合わないし、ラストシーンがED後のCパートみたいな感じとするとあれで正解となるわけだけど、個人的に宇多田のフィット感が最後までよくわからなくて。どれがどの曲かいまいちごっちゃになったまま最後を迎えてしまった。宇多田作曲高橋洋子歌唱なんかだったら泣いちゃったかも。

▼3号機がチラ見せでも出てきたのがうれしい
本筋評価とは関係ない完全な趣味の問題。3号機大好き。ロボアニメ的な見方をしてたリアルタイムでデザイン見て贔屓機体になって、活躍に胸躍らせてからのバルディエルだからね。
出番があれでもモビルスーツだったらこんなマーケティング上邪険にされはしないでしょ。そこがすごく悔しかった。エヴァの一体としてあの場に必要な存在だったことが実感できたことがとてもうれしい。
でも一方で憎かったバルディエル(新劇的には第9の使徒)がアスカと融合してミギーじゃないけど見せ場を持った感じ、これはちょっとグッと来た。もう3号機本体は関係ないのにね。

▼ラストシーン
ちょっと細田守入ってない?

2回目で追加で思ったこと

▼Q以降の世界
どんな着地をしても、エヴァフィナーレの舞台は14年後の世界だということは重たい。
バリエーションとしての未来ではなくて、総本編の終盤のキャラクターはあの姿なんだよな、と。だからもう今後、おなじみのキャラクターたちの姿や活躍を見たとしても後ろの決まった過去の姿。それが生きているということだけど、少し寂しい。空白の14年が全く描かれていないから余計にだろうな。BeforeとAfterの2軸ができてしまっていて、そこの連続性が不足しているから。あとAfterの描写の絶対的な物量の少なさ。14年後世界は今回グッと広がったけど、比較すると掘り下げも解像度も差があるものね。
まあなんにせよあれだけ破までの期間おなじみだった世界観が過去になるのはスッキリはしなかったろうけど。ドラゴンボールも悟空は登場した少年デザインが過去のバリエーションみたいに、デザインや人物像の主従関係が移ってるしね。なんなら悟飯ですら。

何を望んでいるか?わからないけど、終わった後だから気兼ねなく情報出せるんじゃないかな、もっとあの世界や人々のことを知りたいよ、ってことかな。わからないけど。

▼青葉・日向
元々、戦況の実況役みたいな位置づけだった青葉は北上に大部分の役割を譲った感があるが、セリフなしの絵の芝居がよかった。
日向、スタッフロールでキャスト順が3人組の最後尾に回されてる。かわいそう。片思いキャラも消え、毛根も怪しくなり…
2人の出撃シーンはスタッフなりの配慮というか愛情かな。マヤだけ贔屓みたいになってたし、短尺でもファンがエモいといっれくれそうなのを仕込んだのだろう。

▼冬月の胸中
やはり単純にゲンドウの味方というわけじゃないのかな。ユイに狂わされたとも違うような。ある意味タチ悪いのだけど。
あそこまで連れて行かないとゲンドウは止まらないことを知っていた。もっと事態が悪化した。ゼーレを騙して主導権を人類が握る必要があった。と、理性的にブックを演じていた可能性があるのではないか。
そう考えるとシンジとの将棋談話シーンに重みが増すような。最後はシンジやユイに委ねるとし、そのお膳立てまではすべてを敵に回してでもやる。マリに8号機の糧としてアダムスを残していたのも…
いやまて、この物語は冬月のシナリオ通りってこと?

▼ケンスケの仕事人ぶり
第二の加持と高評価を与えたケンスケだけど、あの写真を仕込ませたあたりリョウジJr.とシンジを会わせたのは計算だったのか。さりげなさ過ぎてあまり考えてなかった。ミサトさんの苦しみとか車で語っていたもんな。
あいついくら何でも成長しすぎだろう。超秀才・天才ぞろいのネルフメンバーより知恵回っているんじゃないのか。思っていたよりさらにキーマンだった。

▼帰っていく描写
エントリープラグタクシー、湖に不時着した脱出カプセル、そして人はうつさないというところでなんとなく察してほしいというのは分かった。
とにかく無事に帰って行ったということを象徴するところまでは描いた、ということだろう。
そこから駅へのつなぎの点で変に論争になるのかなあ、ややこしいなあ。でもみんなそういうの好きなのかなあ。

▼時間は戻さない
はっきり言っていた。
そしてアスカはホームのベンチにいた。あれは28歳アスカか。ということは、あの場面は世界を変えて戻ってきた場面、エヴァのなくなった世界の始まりという解釈が強くなるのか。戻ってきたうえでその後の未来か、戻ってきたら大人になってたかの2択まではほぼ絞れそうだけど、アスカが中年ではなさそうなので後者でFIXだろうか。
首輪そこで外すのも説明つきやすいし。じゃあシンジもあれは28歳?相変わらず云々のやりとりも、まあ「戻ってきた状況理解」「大人になった自覚」から生まれた軽口として成立はしそうだ。
宇部新川にいることには特別物語上の必然性はないだろう。別に足柄とか箱根湯本とかでも良かった。
山口までアスカ一人で何しに来てん、というのは置いといて。そんなのは何とでも理由つければいい。

▼アスカの中のケンケン
過剰反応してる人はやっぱり結構いるようだけど、まだ一線引いているという描写と理解してまず間違いはない。ケンスケの存在について「戻ったらわかる」みたいなことをシンジは言っていたし。
あそこからちゃんと等身大の自分を支えてくれる人はいる、という次の一歩をアスカも踏み出していくということ。よかったね。

▼渚司令
これだけは、明確に等しく理解できるだけの情報出てないよね?見逃してる?

▼エヴァンゲリオンがあったこと
元々なかったことになったのか、首輪のやりとりからシンジとマリだけが知っているなのか、純粋に延長線上の未来として(少なくともインフィニティ化を免れた人々は)そのまま平和を手に入れたのか。
これも明示されていない要素か。


以上、まだ散漫とした部分が多々あるが、ガチ考察は他に譲るとしましょう。

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最後だから劇場に連れて行ってあげないとな…と着ていったEVA×No,No,Yes!のレザーウェア。恥じらいもあって上に一枚羽織って出たが道中暑すぎて開き直った。

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