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関西で10年間ひとり暮らししてもこれといった信じられる人がいなかった理由


関西で一人暮らしを始めて10年目になりました。

ここ最近は、休職で時間も余っていることだし、30になる前に人生のしがらみとおさらばしようと色々潜在意識系のことを調べたり、引き寄せの法則などに触れています。


私は沖縄出身で、大学進学をきっかけに内地(関西)に出てきました。それから10年間関西でひとり暮らししています。
まあまあな月日が経ってるのですが、いまだに信じられる友達とか、恋人、メンターなど、信頼関係を作れる人にほとんど出会ってないなぁってことに気づいたのがここ最近の話です。

それって自分が元々持っている性格(人見知り、本音を話すのが苦手)が原因かな?て思っていました。

……が、実はそうじゃなかったんですよね。


 

アイデンティティとコンプレックス


内地に出てきてからずっと、私は自分に「私は沖縄出身である」「内地でも沖縄出身として誇りに思えるような人でいなければならない」という気持ちがあり、ことあるごとに言い聞かせてきました。

これはある種のアイデンティティでもあり、内地で生活する上でのコンプレックスでもあります。

これは沖縄県民特有のものだからなのかは分かりませんが、内地に出るというのは少し異国の地で武者修行をするような、海外に出るのとはちょっと毛色の違う覚悟、みたいなものがあります。

関西でひとり暮らしをする生活を選んでから、アイデンティティとも、コンプレックスの裏返しとも取れる「沖縄出身として誇りある自分でいなければ」を心に刻み、その言葉とともに過ごしてきました。

休職期間、自分の今までの生活を振り返ってみて「内地で信頼できる人が居ない」ということに気づいたのですが、これがこじらせの原因を作り上げてるなと感じました。

なぜ私は「沖縄出身として誇りある自分でいなければ」と思うのか?
これを掘り下げて行った時、自分に課していた思い込みが湧き出てきました。

 

沖縄出身は~だという呪縛


「沖縄出身の人は時間にルーズだ」
「うちなータイムだ」「怠け者」

よく言われることですが、実際沖縄県民はルーズです笑


でも、私はそれを言われるのが嫌でした。
元々少しせっかちということもあるんですが、内地に来てから「絶対時間を守らないよね~のんびりだよね~って言われないようにしなきゃ!」という強迫観念にも近い気持ちでいっぱいでした。 

なぜマイペースだと思われると嫌なのか。
自分に問いかけてみた時に 

・高校卒業前に大人たちからそう言われたから
・内地の子にまた負けたくないから
・自分は特別だと思われたいから

という3つの気持ちが湧いてきました。




①高校卒業前に大人たちからそう言われたから



高校卒業前。高校の先生や、内地で長く生活していた経験のある親族から、内地での生活にあたって色々アドバイスを頂くことがありました。

「沖縄県民=時間を守れない人間、怠け者っていうイメージが強いから、そう言われないように意識をした方がいいよ」
「電車の改札はこうやって乗るんだよ」
「冬場はこう過ごしなさい」


などなど。

実際に生活してきた大人達からのアドバイスということもあり、自分の心の中に強く刻み込まれていました。
「気をつけよう」を何度も心に問いかけるうちに「こう思われているからこうせねばならない」という決めつけになっていったのだと思います。

また、私にアドバイスをくれた親戚が、40年近い内地での生活を離婚という形で終え、内地出身の恋人と共にUターン生活を始めていた時期でもありました。

当時私は京都の私立大学に進学を予定していたのですが、彼らが語るのは

「京都は生活に不向きで長く住む場所じゃない」
「みんな嘘つきだ」
「すぐ人のことをバカにする」
「今からでも京都以外のところを探した方がいい」

というもの。今こうやって書いてもひどいな……
どうしてそうなの?と聞くと、京都に住んだことは無いけれど、祇園祭で混みあってて移動が大変だったから。また昔の恋人が京都出身で嘘つきですぐ人のことをバカにする人で、嫌な別れ方をしたから、とのこと。

今思うと内地で過ごしてきたストレスを外の世界を知らない無知な私にいいように当てつけてるだけじゃねーか!お前らの見る目がたまたま無いだけで京都関係ねーだろ!と思うのですが…

無知だった私は愚かにもそれを信じきり、知らないうちに、足を踏み入れるよりも先に自分の中で「京都は人を信じられない場所だ」という刷り込みをしてしまったのだと思います。
それがいつしか「京都を含む内地は人を信じられない場所だ、自分はそこで馬鹿なことに巻き込まれないようにせめて礼儀節度を持っていなければ」という思い込みになっていたんでしょうね。

多分本人たちからしたら、実体験に基づいた善意からくるアドバイスだったんでしょう。
でも、世代差もあるし、一括りに〇〇人って括っても個体差はあるじゃないですか。たまたまそこにいた大人たちの元恋人が京都出身だったってだけ。

それを深く考えないまま、私は相手が都合よくラベリングしてきたものを鵜呑みにしてしまった。
その鵜呑みにしたものが「京都」から「内地」になったのは、私が初めて生活して、深く根ざした場所が京都だったからかなと思います。

京都の基準・スタンダード=内地の基準・スタンダード

にいつの間にか変わってしまった。

きっと心のどこかでそれは違うってわかっていたはずだけど、それを否定してしまうのは自分の信頼できる人達のアドバイスを否定すること。
そう思い込んでいたからこそ、自縛するような思考になっていたのだと思います。

それを色々こじらせた結果、ずっと自分の体に膜を張ったような感覚や、ありのままの自分をさらけ出せないという感情が今でもまとわりついています。

ブロックと思い込みにもっと早く気付けていれば、おそらく就職も、人間関係も、進路も、バイトも、恋愛も、もっと上手くいってたのかもな。



②内地の子にまた負けたくないから


自分はなんで沖縄県民という誇りを持って頑張んなきゃいけないって考えがあるのか、最初は本当に疑問でした。
それを深堀りしていくなかでふと出てきたのが、この「内地の子にまた負けたくないから」。

内地の子に負けたくない、じゃなくて《「また」負けたくない》なんですよ。

最初に出てきた時に自分でも訳が分からなくて困惑しました。

「また」って何?どういうこと?って自分に問いかけてみると、じわじわと小学校中学校の時にいじめられた時の記憶が出てきました。

私は小学校・中学校といじめられていた期間がありました。小学校は3年生まで、中学校の時は1年の秋~2年の夏。
小学校の時は髪の毛を引っ張られたり、水をかけられたり、掃除道具置き場や倉庫に閉じ込められたり。
中学校の時は無視されたり、前髪や髪の毛を切られたりしていました。

問題はその内容ではなく。
当時、私をいじめてたリーダー格みたいな子、小学校の時も中学校の時も沖縄出身じゃなかったんですよね。


その子たちにいじめられていたことが未だに悔しくて、「あの子たちにはもう負けたくない」がねじれて「内地の子にまた負けたくない」になっていたんです。

これは掘り下げをして初めて気づいたことでした。
小学校の時はハーフの子(父が外国人、母は県外出身)。
中学校の時は県外の子でした。

その子達から受けたいじめは先程上げた内容です。流血を伴ったり怪我するようないじめじゃないけど、なんていうか陰湿~ないじめでした。

で、このいじめを受けた経験は消化されないまま、高校生になっても、大学生になっても、自分の中に残っていたのだと思います。多分いじめの経験から

・内地の人は信じられない
・内地の子は自分に危害を与えてくる
・自分は内地の子に負けた

という気持ちがあり、「内地の子にまた負けたくない」という感情が湧いて来たのだと思います。



③自分は特別だと思われたいから


②のことを思い出していくうちにふと頭を過ぎったことなのですが、多分この「特別視されたい」欲求も関係しているのかも。

私の知ってる内地に出た沖縄出身者って、5年~10年くらいしたら大半が沖縄に戻ってくるんですよね。

で、多分私はその「大半」に入らないようにしてたんだと思います。理由は「特別視されたい」から(笑)

多分、小中学校の時のいじめも、高校で不登校だった時も私はほかのみんなと違う特別な子なんだっていう気持ちが強かったのかなと思います。

その理由の根底にあるのは、たぶん、特別な子でいれば、仕事で忙しいお母さんも、酒飲んで暴れるお父さんも頑張ったねって褒めてくれて、家の中で暴力が起こらないから。

特別な私だったら、他の子みたいに逃げるように沖縄には戻らない。私をいじめたあの子たちよりも勝ってる。

特別な私だったら、親戚やあの恋人みたいに昔の恋人の愚痴を無知な子供にするような馬鹿な行動はしない。


……みたいな欲求がきっと根底にあるんだろうな。


……でも実際の私は誇れるようなものじゃないです。
その思い込みのせいで心を壊して、8年かけて大学を卒業したし。フリーターから正社員登用になったものの、パワハラモラハラ発言で心折れて、今こうして布団の中でこの記事を書いてるしね。


でも、小さい頃からの「特別視されたい」っていうのは「人と違うキャリアを積んできた」ってところだと叶っているんですよね。



もう叶っていた「特別視されたい」気持ち


よくよく考えると、「私は特別視されたい」って気持ち、内地に出てなくても小さい時にすでに叶っていたんだよな


小中学校時代、私をいじめてた首謀者のような子は2人とも沖縄出身の子ではありませんでした。


実は私は、2人にちょっとした憧れがあったんです。

2人とも色白で、身長が高くて、脚がすらっとしてて、お家がお金持ち。持ち物や服がセンス良くて、私に無いものを持っていて、すごく羨ましかった。


これを書いてて急に思い出したけど、私、あの子たちと仲良くなりたかったけど、それ以上にあの子たちから自分を特別な存在として扱ってほしいっていう気持ちが確かにありました。


でもその時の私は今以上に世間のことを知らなかったし、今以上にお金がない生活をしていたし、体力もなかった。
ちんちくりんで、絵を描くのがちょっと上手いくらいしか取り柄がなかった。
小学校に入った頃から父親に暴力を振るわれていたから、絵以外で自分の気持ちを表現するのが怖かった。


だから、自分より素敵な子と仲良くなりたくても、素直に「友達になろうよ」とか言えなかったんですよね。


自分から言えないぶん、「私って特別なんだよ(だからそっちからアプローチして)」って気持ちが強かったのだと思う。


それが私の願っていた、プレシャスで尊い「特別」とは違うけど、「いじめ」という関係で「特別視」はされていたんだな、と気づきました。

正直、自分の心に深くトラウマとして残っていて、自分にとっては傷つく結果だけど。
でもいじめっていう形で確かに特別な関係として今でも名前思い出せるしね(笑)




おわりに


もう少しで30歳になるんですが、その手前、過去の自分のしがらみを色々精算しようとしている途中です。

昔の嫌なことを思い出して、「それはなんで?」と問いかけるたびに出てくる自分の本音にも驚きます。
それがある意味、引き寄せている形で叶っていたことに気づくときも。

確かに私が心から喜ぶ結果ばかりではないし、15年、20年後になってやっと気づく事ばかりだけれども、マーフィーの法則の言うように、人生は意外と自分の願った通りになっているのかもしれません。

加えて、自分が内地で一生涯働けないとか、人を信じられる・信じれないっていう環境を作り上げてたのは、周りの環境が悪いんじゃなくて、私の心持ちだったんだなということにも気づきました。

「面白きこともなき世を面白くすみなすものは心なりけり」が座右の銘のくせに……!!


でも、自分の過去の辛さを一つ手放せた気がして楽になりました。

じゃあ、ここから私どうしていくんだろう。

数日間は、とりあえずこの記事を書いたことによくやった!って褒めて、自分の心の揺れ動きを観察してたいかな。


休職後、そのまま実家帰るか、関西に残るか、職業訓練するか、転職するかは未定です。
そもそも休職もいつまでやるか決まってないしね(笑)


ただ、どんな選択をしたとしても、この記事を書くにいたった経緯とか、振り返りが自分の人生にとって良い方向に行けば凄く嬉しい。
今後の自分のパートナーシップだったり、結婚など、先々のことを考えた時にポジティブな変化として生まれてたらいいなって思います。


今はとりあえずこのしがらみに気づけたことにほくほくしながら、読んでくださった方のアドバイスになったり、トラウマとかコンプレックスに寄り添えるような内容になってたら一番ハッピーです。


めっちゃ長くなった(笑)

ここまで読んでくださりありがとうございました。

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