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「サッカーチームのファンを辞める」発想なんて普通ありえないだろ

以前、チェルシーFC関連のネットニュースのコメント欄に「現オーナーの采配により、今のチェルシーは応援していたはずのチームと別物になってしまったから、ファンを辞めた」旨の書き込みがあった。
俺はこの書き込みを見てブッたまげてしまった。「ファンを辞めた」ってどういう意味?事情によってはファンを辞めるかもしれない、他のチームのファンとして鞍替えするかもしれない、という選択肢を持ちながらファンを自称していたってどういう状態?というのが全く理解できないからである。そんなのってある意味物理的に不可能じゃないの?

俺だって現オーナーに代わってからはチェルシーファンとしての約20年の期間中でも最悪クラスの時期を過ごしているし、優勝争いか最低でもTOP4確保が至上命題のはずのチームで12位になったり、今までチームを支えてきた主力を売り払った上、大金で獲得した新戦力や監督がろくに機能しない、その上財務的な制裁を食らいかねない現状にほとほとウンザリしているクチである。
だが現オーナーやチームの現状にいくら文句や批判が出てこようとも、「当然の前提として」チェルシーFCのファン自体をやめるという選択肢は出てくるはずがない。今後50年無冠であろうとも、何かの制裁を食らって聞いたことのないような最下層の地域リーグから再出発を強いられようとも、「当然の前提として」チェルシーFCのファンであり続ける。ファンなんだから当然だろ。
そういう感覚をサッカーファンでない方が持っていないのはまあ理解できるところなのだが、前述の記事へのコメントもそうだし、動画に対するコメントやSNSでのサッカー関連の書き込みのパブサ結果を見てみても、サッカーを年単位で観戦しているはずの人たちによる「チェルシーのファンをやめた」だの「シティが制裁を食らって降格したらアーセナルに乗り換える」だのいう発言が普通に目につくことに気が付いた。それってどう考えてもありえなくないか?

「サッカーチーム」の「ファン」であることの意味

プロサッカーチーム(とりわけわがチェルシーの所在するイングランドのフットボールクラブ)は、単なるサッカーが上手い兄ちゃんたちの集まりではない。その地域の歴史と文化、人々の地元愛とプライドを体現する存在である。
自分たちの地元の代表者として、地元の青年たちがサッカーを通じて他の町のクラブと戦う。それを地元住民が地域のプライドをかけて応援という形で後押しする。そういった形を源流として、フットボール文化はヨーロッパで根付いていった。

もちろん、現代のトップリーグはそういう姿とはかけ離れている。そのチームの地元とは縁もゆかりもない世界のあらゆるところから試合を視聴できるし、そうした試合の放映によって集まった金を使って世界のあらゆるところからトップ選手が集められている。地元出身はおろかチームの所属選手のほとんどが外国籍なんてチームも全く珍しくない。だが、根底にある「フットボールクラブはその地域のプライドを体現する存在」という基盤の思想は変わっていない
だからこそ選手や監督は「チームのバッジのために戦う」と繰り返し発言するし、ご近所同士のダービーマッチは盛り上がるし、地元歴の長い生え抜き選手は愛されるし、外から来た選手が本気でファンから愛されるようになるのはハードルが高いし、昇格降格を通じてプロからアマまですべてのチームが一つのピラミッドで繋がっているシステムが重視されるし、上位の商業的に成功しているチームにだけ特権を約束するスーパーリーグ構想は伝統を蔑ろにするものとして叩かれる。強いチームだからと応援するチームをコロコロ変えるにわか連中は"glory hunter"と呼ばれ嫌われるし、試合終わりに大挙してロンドン行きの電車に乗り込むマンチェスターUtdファンはネタにされる。
独立志向や労働者志向の強い地域のチームでアンチ王家やアンチ保守政党のチャントがこだまするのもこういう背景による。日本でやれば全員一発で出禁だろう。(日本の真面目で大人しすぎる「観戦マナー」にも思うところはあるが、話が逸れるのでここでは割愛する。)

チェルシーFCのスローガンの一つである"The pride of London"
ロンドンで最も成功したチームとしての誇りであり、ほかのロンドンのチームへの当てつけである

そうした「当然の前提」をもとにサッカークラブというものが存在しているのだから、そのチームのファンになるということは、「当然の前提として」その地域のプライドをしょって立つ一員となる道を選択する、最低でもそういう思想をリスペクトして共に応援するということである。
ここまで説明すれば、ファンを名乗っておきながら「ファンを辞める」「チームを鞍替えする」思考に至ることのありえなさが伝わると思う。お前は引っ越したら地元が変わるのか?海外に行ったら日本出身でなくなるとでも?

海外ファンとしての落としどころ

とはいえ実際問題、我々日本人が海外サッカーチームのファンになるにあたり、現地の文化を全て理解して完全に地域出身者として馴染める状態でないとファンを名乗る資格がないというのは非現実的である。
サッカーがグローバルスポーツであり、プレミアリーグをはじめとする各国リーグの試合を世界中ありとあらゆるところから視聴して応援ができる環境である以上、全世界のファンのうち実際に現地の文化と繋がりがある人はごく少数だろう。統計を取ったわけではないが、現地国民であってもビッグクラブのファンが実際にそのチームの所在地域出身であるケースは実は少数派なのではないだろうか?
エラそうに講釈垂れている俺も別に西ロンドンのフラム地区出身というわけではなく、一時期ロンドンに住んでいて、そこで親に連れられてチェルシーの試合を見始めたという程度でしかない。現地観戦経験があるから多少解像度が高い面はあるかもしれないが、それ以上でもそれ以下でもない。
そんなわけで、地元出身者にあらずんばファンにあらずなどという選民思想を振りかざすつもりはないし、そんなのは非現実的である。生まれ育ちにかかわらず、どんなきっかけでどのチームのファンになったっていい。そのうえで、現地のサッカー文化がどういうものかについて理解に努め、その一員としてジャッジされたときに恥じないような存在を目指すというのが海外ファンとしての落としどころだろうか。

加えて、そういう覚悟を持っていない人がサッカー観戦をする資格がないなんてことを言うつもりも毛頭ない
サッカー観戦という行為やチームや選手に対する愛着の度合いや重視する価値が人によって変わるのは当然である。俺みたいに特定のチームへの応援に心血を注ぐタイプのファンもいれば、贔屓のチームはいるがそこまで本気なわけでもない、チームというより選手のファンである、純粋にリーグ全体として好き、戦術面に興味がある、という感じで、ひとえにサッカーファンといっても千差万別だろうと思うし、それは自然なことと考えている。
特定のチームを応援するにしたって、そこに対する愛着とか執着みたいなものが醸成されるのには時間がかかるから人によって熱意の度合いに差が生まれるのは当たり前である。まだ観始めて日が浅い人にこうしなきゃだめだああしなきゃダメだと触れ回るのは野暮な話である。

ただ、そうはいっても自分からファンを名乗るのであればそれ相応の覚悟を持てよとは思ってしまう。例えばSNSのプロフィールにチーム名を入れ、アイコンをチームのスター選手に設定し、普段の発言もそのチームに露骨に肩入れしているような状態なのであれば、程度の差こそあれ当然そのチームの歴史や伝統や文化に敬意を持って接している段階にまで愛着を持っていると判断されてしかるべきである。そんな状態になってなお、ちょっと自チームが調子を落としたり他に楽しげなチームがあったりするなりあっちにフラフラこっちにフラフラしていたら叩かれても文句は言えない。
勘違いしないでほしいのは、特定のチームのファンであるからにはそのチームのやることなすことすべてに同意して信奉すべきと言っているわけではないということである。ファンとして願うべきはそのチームの伝統や文化の尊重であり、それを踏まえたうえでの現在と未来の成功である。そういった価値を蔑ろにするオーナーは「チームのために」糾弾されるべきであるし、成功をもたらしていない選手や監督は「チームのために」批判されるべきである。念のためだが誹謗中傷してもいいと言っているわけではない。ファンであるからこそ自チームの行いに対して客観的視点を持つべきであり、チームの助けになる改善のための意見や願いを表明すべきだと言っている。
どことは言わないが、チーム運営の中で財務違反の疑惑がかかり、場合によっては制裁を食らうリスクがあって、それに対する調査や査問を経営層がひたすら妨害するような行いをしているのであれば、(うまいこと処分が軽くなったりしないかなと期待するのは当然の心理として)ファンとしてはルール違反やモラルに反する行いでチームの評判を落とし、チームの地位すら脅かしかけているとして非難してしかるべきである。その上で、仮に裁判に完全敗北し、5部や6部リーグからの再出発となり、金も名誉も選手も監督も何もかも失ったとしても、地獄の底までついていって復活を夢見ながらそのチームを応援し続けるのがファンとしてあるべき姿である。
自チームの行いがすべて正しいからすべてを承認するというのは目が曇っているし、それをもって他チームを殴る道具にするなど言語道断である。その割に降格したらほかの強くて楽しそうなチームに乗り換えるとか言うし。ネットの自称プレミアリーグファンはそんなんばっかりだ。

結局何が言いたいかというと

サッカーチームのファンとしての熱意に人によって差があるのは重々承知しているし、選手目当てで贔屓のチームが変わったりするのも百歩譲ってそういう形もあると納得はできる。
が、例えば冨安がトットナムに移籍したり、遠藤がマンチェスターUtdに移籍したりしたとしたら、選手目当てで今応援しているアーセナルやリヴァプールから鞍替えするかもしれない、と1%でも脳裏にかすめる状態であれば、グーナーだのKOPだの名乗るのはマジでやめたほうがいいし、SNSのプロフに書いてあるなら今すぐ消したほうがいい。なんというか、ご自身の安全のために。ファンとしての称号はそんな段階では怖くて自称できるもんじゃない。

結局はいろいろな段階の熱意や愛着の持ち方をしている人々を十把一絡げで「ファン」呼びするからこういうすれ違いが起こるわけで、なんかその辺の段階をうまく表現できる何かがあればいいんだけどね。


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