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自分にとってのヒーロー

自分のヒーローを探そう。

それは特撮や時代劇のヒーローであったり
アニメやゲームの主人公であったり
実際に身近にいる友達や先輩であったりもする。

僕にとってわかりやすいヒーローは
10代に見た「仮面ライダーBLACK」だ。
改造人間にされてしまった主人公の孤高の戦いに加えて
その戦いの結末は親友との決闘を避けられないという
「悲しみとともに戦う」スタイルのヒーローだった。

20代の初めに一緒にお仕事させてもらった
デザインのお師匠は、僕のヒーローだ。
デザインのことだけじゃなく、
考え方や、佇まいや、振る舞いや、
たくさんのことを学んで
今もずっと憧れつづけている存在。

30歳を超えてからもヒーローは現れた。
漫画・アニメ「銀魂」の主人公の銀さんだ。
ダメでぐうたらでも、ブレない自分をもっていて、
仲間から、みんなから愛される主人公像は
このご時世に、大切なことを訴えているように思う。


「ヒーロー」とはなんだろう?

では、自分にとってヒーローと言える存在は
何を意味しているのだろう。

それはは、自分が言いたい言葉を代弁していたり
表現したいのにできないことを行動してくれている。
憧れであり、道しるべになる
そんな存在じゃないだろうか。

そして、ヒーローと認められる対象には
それが創作物であれ、実際の人物であれ、
ぼくらはそこに、なんの嫉妬も妬みも感じない。

人はたとえそれが憧れや理想像であっても、
自分と比較する対象とみなせば、嫉妬心をもつ。
「あんな人がいいな」「あんなふうになれたらいいな」が
同時に「あんなふうになれない自分」への卑下となる。
反作用が起きてしまうんだ。

でも、それがヒーローであれば、
その存在を、そのまま受け入れて、
童心のように憧れることができる。

素直に尊敬を感じ、
素直にすごいと思える。

ヒーローがいれば、
思い出して、心強くなる。
めざしてがんばれる。
素直に、自分をさがすことができる。

「自分のヒーロー像」とは
自分の正直な望み、そのものなんだ。





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