👵祖母に会いに行った(2023/7/22)

祖母に会った。92歳で一人暮らしを続けているが、近年は難聴のため社交性が減り、認知機能も低下してきている。コロナ禍も影響しているが、仕事で忙しいからといって、近くなったのに会えていなかった。(仕事でケアをしているのに、身近な人のケアができていなかった。研究で高齢者医療について考えているのに、身近な人と接していなかった。)ふとお中元を贈ってみたことをきっかけに電話をもらった。そのときの口調が少しうらめしそうな祖母に後ろめたさを感じて、会いに行くことにした。ゼリーを送ったのだが、そうめんを送ったことになっていた。

祖母はもともと饒舌だが、近年は難聴のせいでますますこちらから話すのが難しく、ますます奔放にしゃべり続けるので、祖母の話に耳を傾ける。(「口と足は達者やけど耳がもうあかん。頭もぼけてきた」とかこつ。)
戦後まもなく、環状線がまだ環状ではなく城東線だったころに結婚し、祖父の初任給が5000円だったが家賃も5000円で食べるのに苦労した話。生まれた子が3日と1週間でそれぞれ亡くなってしまい、今でも仏壇で戒名を唱えている話。私が大学1年生のころに亡くなった祖父の13回忌を最近済ませた話(「25回忌までは生きていないと思うけど」どんな表情をしたら良いんだろう)。高齢者住宅への転居を考えている話。退職してから俳句を始めた父にならって俳句を始めたが、続かなかった話(「あなたのお父さんは感受性が豊かねえ。下手の横好き」褒めているのか?)。私が中学受験の前に1ヶ月くらい祖母の家でこもっていたときの話(いつもよく勉強していたねえ、といまだに褒めてくれる)。最近の一日の過ごし方の話(「朝に洗濯をして、世間に遅れないように新聞を読み、お昼を食べ、午後は徹子の部屋を見る。最近は相撲が楽しみで、終わってから夕飯の支度をしようとするが独りだと面倒でねえ。サラダならまだましだけど野菜やら煮込むのも面倒で。うどんとかになってしまう。転倒してしまって今はやめたけど夕方は1時間くらい散歩していた」今も家事をこなして、家の前の結構な坂道も歩けるのすごいな)

よく忘れるようになったと繰り返し嘆いている。しかし、忘れないように家計簿に日記をつけているようだ。ちらと覗くと、定期的な予定は歯医者くらいしかない。こちらも少し淋しくなる。冷蔵庫の中身が減らないので生協の宅配も休んでいるそうだ。家族がちょくちょく様子を見に来ているといえども、普段人と会う機会は少ないだろう。電話も聞こえないので、十分コミュニケ-ションができないことを考えると、孤独を感じているんだろうなあ。

祖父が亡くなってからいつも少し淋しそうな祖母。苦労も多そうな人生だが、不思議と明るい調子なので、聞いていて暗い気分にはならない。人生山あり谷ありあるけれども、平均すると幸せな人生だと思う、と断言していた。老いを自覚し情けない、でも支えてくれる人がいてありがたい、と涙ぐんでおり、危うくもらい泣きしそうになる。
私は(同じ話が繰り返されたとしても)祖母の話を聞くのが好きなのだが、その理由はいつも孫ひいきしてくれるからというばかりではない。登場人物の誰のことも褒め上手で、いつも周囲に感謝しているから、こちらまであたたかい気持ちになる。

実感できたこと
・加齢性難聴が社交性の低下に与える悪影響
(今後、補聴器も更に進歩していくのだろうか)
・高齢者の孤独 (配偶者の死、老化)
(一方で住み慣れた家を離れて高齢者住宅に入ることの決心の重さ)
・高齢者のwell-being
(感謝の気持ち、生きがい?幸せとは何だろうか)

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