悪い先輩との思い出
富士山のことを考えていたら夏の思い出のひきだしが開いたのであった。
* * *
悪い先輩とのツーリングはだいたいとんでもないことになる。
悪い先輩から「金曜を定時であがり、神奈川から大垣まで走って一泊、その後めぼしい場所を走り倒す。よろしく(^-^)」という、思いつきとしか解釈できないメールが来た。しかし頭のねじがちょっとゆるい私は「へいへい。行きますか。」と返事をするのだ。
金曜の18時過ぎ、悪い先輩からケータイにメールが来る。当時はまだスマホなる、のっぺりした板のような通信機器はなかった。
「仕事終わんなくてやばい。先行っといて。追っかける。」
「へいへい。先行ってますよ。後から無事故でどうぞ。」
と返信を打つ。
夜の東名高速を西に向かう。後から悪い先輩が追っかけてくるかと思うと、目を三角にして走り抜けなくてもいい。ただ、左車線のセンターライン寄りを走る。白い破線の繰り返しを目にしながらとりとめのないことを考える。一定のリズムを刻む破線に慣れると、穏やかなエンジンの音を聞くのもいいな、と思えてくる。
私は高速道路が好きだった。そこへ乗れば、そのまま青森から鹿児島までつながっているのだ。それを一般道より、とても近くに感じられる。
鉄道が好きな人は「線路を辿っていけばどこへでも行ける」と想像を膨らませると聞くけれど、それに近いんだろうと思う。
桜島を一周したことや、神戸から徳島へ走り弟のところで一泊したことを思い出した。当時、まだ北関東や東北はあまり縁がないな、とぼんやり考えながら暗い道路をトラックに混じってただ走った。
富士川SAで休憩を取った。
海老名、足柄とサービスエリアを跨げばさすがに
「そろそろ待った方がいいか」という気にもなる。
缶コーヒーのプルタブを引き、
地図を広げ、見るともなく目を落とす。
行きたい場所の頁を開いたわけでもない。
ケータイにメールが来ている。
「わりい。今から出る」
悪い先輩は、自分で誘っておいていつもこんな感じである。だから悪い先輩なのである。そういう私は「明日、朝5時には出ましょう。寮の食堂集合で」と言いつつ寝坊して7時に起こされた前科がある。悪い後輩である。
こういうとき、人は「類は友を呼ぶ」あるいは「似たもの同士」と言うのだ。そうではなくて私はただ「お互い様だ」と思う。
外は真っ暗と言っていい。月がほの明るいので、富士山のシルエットをなぞることができる。こんな時間になってから富士山を眺めるのも悪くないと気づいた。ちらちらと夏の星がまたたく。
富士山は黒に青を混ぜたような緑を混ぜたような静かな色をしている。ここで悪い先輩を待つことにしよう。あの人は顔を合わせるなり「明日のルート、だいたい決まった?」などと言うに違いない。
げんなりしないよう地図に相談だ。
頼れるのは寡黙な君しかいないのです。
その日は日付が変わってビジネスホテルに着き、次の日(?)のツーリングは、朝からなぜかポルシェに煽られたり、半分崩落した県道を通り抜けたり、浮き砂で危機一髪だったり、居眠り運転の悪い先輩がセンターライン割りそうになったり、やっぱりとんでもないイベントがてんこ盛りだったのだ。
そりゃ覚えてますとも。