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自己の解説

自己紹介というと、なにか定型文があって、それにあてはめると、人物像がほのかに輪郭を持つ、そういうもののような気がする。しかしわたしはその定型文がどこにあるのかを知らぬ。のみならず、定型文にはまった紹介は、何か言いたいことを言い切らないようにも思われ、そういう言い訳のもとに、定型文を用いないのである。

冒頭の画像は、年末の大雪のニュースを伝えたものである。わたしの風貌とは少々異なることを、お断りしておくのである。そういえば、風貌という土門拳の写真集があるが、いまは対峙するにはちょっとしんどいな、と思う写真集である。…完全なる蛇足であった。


つい先程、
そういえば、
と入力しかけて
「そ」とすまほで入力すると、
粗悪品
と、でた。

すまほなる器具は、
学習により飼い主の評価を勝手に下すのであろうか。
わたしにはわからない。

さて、
ぼろが出ぬうちに(もう出た)進めるのである。推敲していると変に取り繕うたりするのであるから、このままやるのである。


わたしは、何だ。

わたしは、○○である。

という日本語で括ってみよう。

まず
noteにおいて、社会的な立ち位置(いわゆる肩書)を明らかにする方がいらっしゃる。
わたしはそれをしていない。

わたしは
社会的な位置づけとは違う面を
ここでふらふらと表現しておるのであった。

そして
このことは、
同僚友人、家族でさえ知らぬ。


note
見つけた
まだ たれもしらないヾ(*´∀`*)ノ


…木下夕爾をパクっておる。
まったく油断もスキもない。
けしからぬ奴である。
然し
スキはあると嬉しい。
我儘な奴である。


わたしは、社会的な言い方をすれば
企業に所属する、いち勤め人である。

わたしは、勤め人である。

そこにおいて、
会社支給のパソコンを用いてメールをし、資料を作り、
会社支給の電話で他人と話をし、
仕事を押し付けることをせず、
他人の愚痴をきき、
欲はなく、
決して怒らず、
いつも静かに笑っている、のかもしれぬ。

…今度はアレか、宮沢賢治か。
著作権が切れておっても、作品は尊重しなさい。
モラルが問われるのであるぞ。

そう考えてみると
平日の日中は
デスクワークの真似事をしておるのであった。
リモートワークもやるはずである。


仮にわたしが、
バスの運転手であったり
モトクロスライダーであったり
あるいは
病院勤務であったり
寿司職人であったりすると
リモートワークなどできないのである。

そう考えると
世の中のリモートでない方々には
感謝せねばならぬ。
何も考えずリモートを喧伝するばかりではいかんのだ。


さて、なんの話であったのか。

自己の解説である。
解説…。そんな大層な。

わたしが文章をこしらえるにあたり
元にある考えやスタンスは
何であるか。

思っていることを外に出して整理する
ということである。
思考プロセスを見える形にして面白がる、ということである。

わたしは
目に見えないことを
言葉にして書き留めておく。


それまで知らなかったことに入り込み
入り込んだところで見える景色を書き留めておく。

そういうことである。

こう書くと、何かドキュメンタリーのようである。

実際に
目に見えない事柄を言葉にする際には
細部は気にせず言い切る、
とか、
いくつかの表現で外縁(輪郭)を明らかにする、
とかいう作業をすすめる。

そのために
日本語という道具に頼るのである。

美しいものを美しいと知ること
という思いは、ある。
しかし
それを表現するのは至難の業である。
真面目を装うには限界というものがある。

それは言外において
「わたしは真面目ではない」
と白状しているのであって
自分で言うているのだから弁解の余地はないのである。


わたしは情報弱者である。

ゴーツートラベルは、面倒であったが故に利用していない。申込みが複雑ではないか、という先入観である。

いわゆるSNSというものも、ほぼやっておらぬ。
緊急のためにインストールしたのみであり(少々嘘がある。人間椅子の海外公演の様子を知りたくて入れたものもある。)、かろうじて
家族と買物のやり取りをする程度である。
カレー。麻婆。その程度である。
仔牛のカツレツミラノ風
であるとか、
短角牛のステーキ
であるとか、
丑年であるから
ただ羅列したように見えるのだが
たとえそれが事実であっても
庶民の夢を壊すような食材のやり取りは
しないのである。知らんけど。あははん。


そして
noteにおいて、いくつかのアイコンが出るが
それをすまほでいじってしまうと何が起こるのやら、したきりすずめのツヅラを開けるがごとき不穏を勝手に感じておる。
あなおそろし。

恐らくは、こうである。

間違うてアイコンに触れたが最後、全世界に向けて何やら、私的な情報がびよよんと発信され、恥が世界を駆け巡るなどの事態に発展し、それに気づき慌てて目につく穴に駆け込みこれへ入ったところでGPSで追跡され、見つかった挙句に静止画や動画を撮られ、わたしのあずかり知らぬところで滅多矢鱈に拡散され、指を差され晒し者になるのであろう。

なんといっても情報社会である。
おっかねぇのである。



一所懸命にすまほを撫で回し
推敲もせず日本語を継いだのであるが
これが自己の解説になっておるのかどうか
言い足りぬところがそこかしこにある。
確かにある。

しかしそれはまた今度にするのである。




ヾ(*´∀`*)ノ






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