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エンジンがかかった瞬間

エンジンがかかった瞬間。

それは、
キーをひねって、
クラッチを切って、
セルスイッチを押したとき。

もう遠い昔。

エンジンというのは、
かかったらその瞬間から
猛烈に走り出すものではなくて
その音を聞いて
今日のご機嫌を伺うものであった。

ある種の儀式である。

エンジンには、
暑いときには暑いなりの、
寒いときには寒いなりの、
音がある。

ご機嫌いかがでしょう。
今朝も寒いですね。
一日、お頼み申します。

そこからひとつひとつ、
走り出すまでに
いくつかの行動を通じて
自分なりの願掛けのような、
祈りのような、
心を落ち着ける時間に入る。

思うことはひとつ。

今日も無事で帰ってこられますように。


バイクは、危ない。
危ないから、ヒリヒリする。

バイクは、楽しい。
楽しいから、ヒリヒリする。

ヘルメットを被り
シートにまたがって
うつむいたまま目を閉じる。

わたしは
左胸のポケットの中
くちなし色の御守にお願いをする。

今日も無事に帰ってこられますように。


目を開けると
ヘッドライトが前を照らしている。
行こう、と誘っている。

日の出前、
そろそろと走り出す。



日が昇って
目を細める。

冷たい背中、
凍える指先に、
太陽の光が暖かさをよこした。

エンジンは、歌う。
高く、低く。

わたしは、歌う。
高く、低く。


わたしにも、エンジンが掛かった。