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らくがき

らくがきである。
ヘッダー画像の左側が|になっている。
そこをトリミングする気すら無い。


都会の線路のガード下、スプレーなんかでらくがされているところがある。ああいうのはやめたほうがいいと、わたしは思うのであって、その理由を書いてみるのである。

取るに足らないことをわざわざ目立つ場所に書き残してある、これをらくがきということが多い。

なんだ、これは?と言いたくなるようなものである。

それが、なぜらくがきと認識されるかわかりますか。
答えは単純です。

ヘタクソだからですね、はい。

超絶技巧で書かれていたらそれはもうアートであって、らくがきとは別のカテゴリに仕舞われるのである。

和室のある飲み屋に財布も持たず一杯引っ掛けに行って、いざ勘定となって店のものが慌てだしたときに「硯と筆をもってこい」と言い放ち、白い襖に堂々たる襖絵を描いてみせ、「勘定はこれでどうだ」と店のものを黙らせる出来なら、それはもはやらくがきではない。そんなことあるか、と言いたくもなるのであるが、漫画でみたのだから、もしかしたら昔はそういうことがあったのかもしれない。

らくがきとは何か。「取るに足らないヘタクソな何か」の言い換えであって、それを書いた、あるいは描いた者が堂々と出てくるような代物ではない。

そういう出来のものをあちこちで書き散らして悦に浸るようなのは、いけない。なぜなら、自らの未熟な腕前で粋がっているという、どうにも残念な見方以外の解釈ができないからである。しゃらくせぇ。

だから、自らの名誉のために、らくがきはやめたほうがよい。描くなら、他人が認めるアートだ。

ここでバンクシーなどというのを出すのは、筋目が違う。ここでいうアートとは、真善美を想起させるものを対象としているからである。
不穏なメッセージを深読みさせるようなもの、わざわざ手近にある"思想"に結びつけて、したり顔の評論家を生み出すのは、疲れる。
バンクシーのようなものは「不機嫌な世の中を代弁するメッセージを、文字ではない形で表したもの」だと、わたしは思う。

それが「アート」であるという解釈ももちろん可能だけれども、落書きをアートといってしまうと、技量がないのに勘違いする人数が増えるので、それはさすがに公共の福祉に反するんじゃないかな、と思っているだけのことである。