水曜日はスキレター

昔のアルバムは重たい。あれの正式な名前は何というのだろう。ちょっとウェブを調べてみたら、「重いアルバムを整理する」というサイトばかりが出てきて、昔のアルバムは悪者のような扱いになっている。

厚紙を綴じた体裁になっていて、厚紙に糊が仕掛けてある。そこへ写真をそっと貼る。傾かないように。そして、上からフィルムをかぶせる。空気が入らないように。一枚ずつにつけてあるキャプション。ボールペンのメモは誰が書いたのだろう。

何年何月何日 家族で旅行 晴れてヨカッタ
何年何月何日 ジーサンの家で
何年何月何日 おでかけ 大きくなったネ
何年何月何日 ・・・


アルバムを開くと、色褪せた写真が整列して、語られる時を待っている。
あの人がこっちを見て「撮らないで」と言いかけている瞬間。こんなに若かったこともあったのね、と笑う。
ハッピーバースデイ。ケーキに見とれるスナップ。まだあの味を覚えているでしょう。
もう会えなくなった人を囲む集合写真。それぞれが、はにかんで、微笑んで、緊張して、こちらを見ている。



会えなくなった人がいる。

わたしはその人の部屋を毎日のように訪れた。いつも、部屋の鍵はあいていた。わたしは、ないしょ話を聞くようにこっそりと聞く。ねえねえ、今日は、どんなお話?

その人は、本棚に目を遣り、そこに並んでいるアルバムを取り出した。そして、開いた頁に貼ってある写真をひととき見つめ、穏やかな声で語りだす。


語り口と選ぶ言葉に、その人の過ごしてきた時間や空間の残り香が感じられて、思わず聞き入ってしまう。その人の存在を思い浮かべると、居ずまい、所作、という言葉と結びつく。

もう少し、聞きたいな。

わたしがそういうと、写真の隅を指差して、そこに写っている人の話を聞かせてくれる。その人の語る口調はよどみなく、ここに写っている人の洋服は、髪型は、声は、仕草は……。

写真の隅、人物を差していた指が背景に動いて、言葉は継がれる。ここに写っている建物は、この場所は、ここの街は、この国の空気は…。

写真に写った景色、写真の外側に広がる世界、そこに至る時間、見ている今、自在に行き来して、物語が紡がれていく。

そういう体験をした。

その人は、自らが語る物語にキャプションをつけていた。縦書のことも、横書のこともあった。一言だったり、何行かにわたるメモのようだったり。

そのキャプションを、わたしは読めなかった。何て書いてあるのだろう。聞くこともしなかった。その人が書いたものを、そのまま信用していたから。


そうして、何日かが過ぎた。

その人は、本棚のアルバムを整理していた。わたしはそれを知らなかった。

ある日、部屋を引き払うのだと聞いた。それは、これまでと同じような口調で、聞いたわたしは、首をかしげてしばらく事態が飲み込めないでいた。


あの言葉はなんだったのだろう、と思って、次の日に訪れたら、その人は、もう部屋に居なかった。その人が居た部屋には塵ひとつなく、昨日まで人がいた気配もしなかった。カーテンが外された窓から、日が射し込んでいる。

わたしが佇んでいると、知っている方がやってきた。

もう、いらっしゃらないようです。

昨日でしたか、そんなことをおっしゃってたような気も。

ああ、そうでしたか。



わたしたちは要領を得ない会話から、その人の不在を同じように感じていた。


面と向かって言うと、距離が遠くなりそうで、言えなかったことがある。

そうしているうちに、ここで取り上げようと思っても、取り上げるべき投稿は、もうない、ということになった。


水曜日はスキレター



*   *   *



水曜日はスキレター ってなに?


説明しよう。
きっかけは、たかやん様のアイデアで、ルールに沿って!?、noteの片隅(や、真ん中やいろんなところ)で水曜日に「スキ」を叫ぶ、自発的な企画です。

コメントのようにやり取りをするのではなくて、あくまでも自分の気持ちを込めて送るメッセージです。相手からの返事が欲しいのではなく、ただ純粋に「面白かった」「良かったです」という気持ちを伝えるだけの健気で純粋なシステム、それがスキレターなのです。
たかやん様の記事より引用

わたしがこの記事で大切にしたいことは

・どこがスキなのかとか、気持ちを勝手に伝えるw
・リアクションを求めない。
久保田 友和 様の記事より引用


お二方の思いに賛同し
尊敬と感謝を込めて

また
その心意気から外れないように
ここに記しておくものです。











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