〽︎ダイアログから切り取ったモノローグ・はやて

 ウミネコ文庫、ご存知ですか。


 僭越ながらわたしもウミネコ文庫からの第一弾「ウミネコ童話集」(なんと78作品収録)に参加させていただきました。ありがとうございます。あとひと仕事、仕上げたいと思います。

 挿絵をお願いしたKaoRu IsjDhaさんとのやりとり(二万字超の旅)から、わたしの文章のみを抜粋し、少しアレンジしました。




 ものがたりの文字の分量に対して、挿絵の数は限られます。けれども振り返って記憶を語る時に、多くの場合はその挿絵とともにストーリーを思い出すように感じます。
 世間一般で知られていることかと思いますが、挿絵の役割はとても大きいものです。自分が当初思ったものとは違う魅力が加わることで、読み手にとってよりよいものを提供できるように感じました。そのチャンスをいただけてありがたく思います。
 実際には、わたしが着想を得た時に浮かんだ絵は日本的な泥くさいもので、そのイメージを手がかりに民話の世界に落とし込んでいった感覚でした。それはひとつの世界観ではあるけれど、わたしの少ない読書体験から出てきたものに過ぎません。オファーをいただいたときに「自分のイメージから抜け出して、世界を広げてもらえるチャンスだ」と感じました。チャンスの神様の前髪をギュッと掴みました、掴みましたとも。

 ちょくちょく思うんですが、最初の印象ってたぶんそんなに間違ってないんじゃないかと感じます。


 はやてがとうとう肉体を持ちました。ありがとうございます。とても不思議な感覚です。まさか自分が勝手につくってみた人物がビジュアルで立ち上がる日がくるとは。走り慣れた様子のなかに、一生懸命さや焦りが見えるようです。もう一度みると「帰れる」という若さからくる自信があるようにも見えますし、ただ一心不乱に走っているようにも感じます。
 まっすぐな人柄ですね。
 ラフスケッチを拝見したとき、正直申しますと「そうか。君は、こういう顔だったのか。そうなのかもしれない。きっとそうだよ」と、はやてに出会い直した感覚でした。書き手から特定のビジュアルイメージを打ち出すのは避けたかったので、公開時にヘッダー画像をつけるのはやめた経緯があります。作品によっては「こういうイメージで進めたい」ということもあるとは思いますが。書き手は読み手に干渉できないので、登場人物に一定の印象を与えたい場合はどこかにその身体的特徴を(それこそドストエフスキーのように)記述するのがよいと思っています。
 出会い直したはやてがこんなふうに動くんだな、いろんな感情を内側に持っているんだな、と感じます。ひとつの表情に収まらないニュアンスを表現いただいたと思います。


 3枚目を拝見したときに「バチコン KaoRu - style」を感じ、目の覚める思いをしました。バチコン嵌まったぞ! みんなが見たい景色はこれなんじゃないか!?と思いました。

 はやて、君は村から去ってどこへいこうとしているんだろう、わだかまりを抱えて行く当てもなく走っているのか、そうではなく自分の安らげる場所に向かっているのかもしれず、あるいは、どこかから戻ってくる途中の姿なのかもしれない。
そのいずれであろうと「途中」の状態にある彼の姿を捉えていただいたもので、それが見た人の感じる余韻に繋がるのではないかと思いました。
 表情が見えないことで悲しくも見え、あるいは、未来へ歩みを進めるようにも思える。さまざまな解釈を受け容れてくれる一枚を仕立てていただいたと思います。こうしてわたしは、はやてに何度か「出会い直して」います。そうか、君はそういう人だったのか、と。

それはとても嬉しいことです。



あらためて、こちらもぜひご覧ください。ぜひ。





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