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今日の気分


脳内ツーリングで走ったところは、

A地点:中国道 鹿野インターチェンジ
B地点:津和野市街

ある夏、
上の画像の左下、長崎で一泊した。天草からフェリーで島原へ渡り、雲仙を走って長崎市街で一泊したのだった。当時のわたしは、異人堂のカステラを食べることもせず、グラバー邸へ寄ることもせず、波佐見焼も(長崎ではないけれど)鍋島焼も知らず、ただ走るだけであった。若いということは、無粋でもある。

わたしは、関門海峡を渡って本州にわたり、日本海側へ出ようと思った。その日の目的地は、画像中で右上にある、出雲だった。

わたしにとって、日本はそういう縮尺で見るものであった。
バイクに乗ると、日本が小さくなる。目的地が近くなる。寄り道をしたくなる。

そうして出雲へ向かうその途中に、津和野へ寄ろうと思ったのだ。当時、津和野には葛飾北斎美術館があり、いまその建物は、日本遺産センターに姿を変えている。




西側から中国道を東へ向かって山陽道との分岐を過ぎ、90キロほど走ったら鹿野インターチェンジで下りる。ここがA地点。




国道315号線は、地図でみたままの快走路。今のような「google map」の無かった当時、地図に印刷された道路の線形や新道・旧道の関係、周りの地形、道沿いの店舗情報などから、いい道かどうかを判断し、知らない土地を確かめるために、走りに行った。

JR山口線と接するところで、国道9号へスイッチする。そして道なりにB地点の津和野まで。


津和野での思い出。

わたしは当時の葛飾北斎美術館で、休憩を兼ねて展示物を見た。体力を使わず、精神力を使っていたこの時間、本当に休憩だったのかどうか、今となってはよくわからない。

展示物を見終わって外へ出た。この日は晴れていた。どうして10年以上も前の、いくつものツーリングのうちの一場面を思い出せるのか。答えは簡単である。わたしはそこで、とても印象的な人に出会ったからであった。

駐車場に真っ赤な、RX-8が止まった。

いかにも扱い慣れている感じで。切り返すことなく駐車場にぴったりと。
ボディもホイールもぴかぴかに磨かれて、きれいに乗っているんだな、と思った。そして、運転も上手だ。建物から出たわたしは、どういう人が降りてくるのか、と思って車の方をじっと見ていた。

運転席のドアが開いて出てきたのは、細身の女性だった。電車に乗っていたら「席にお座りになりますか?」と声をかけられそうな女性。顔には年齢が刻まれ、ていねいにセットされた髪は豊かで、白い。着ている洋服は、ふつうならちょっと似合わないような派手な柄のものを違和感なく着こなしている。これは「服」じゃなくて「お召し物」だ。

わたしはちょっとした驚きとともに女性を見ていた。好奇の目で見られるのに慣れているのか、女性はにこやかに会釈をして、サングラスを外したのだった。

そう、この日は陽射しが強かったのだ。晴れた夏の日。

わたしは、反射的に、うなずくように頭を動かして、しかし、目線は女性を追っていた。あの車の運転技術と、運転していた人物とが、頭のなかで結びつかないまま、数秒だったと思うのだけれど、ながい時間、女性を見ていたように思う。

女性はわたしに近づいてきて、こう言った。
「ちょっと教えて下さる?」

旅のライダーに聞くことは、決まっている。
ここから、目的地に行くにはどうすればいいのか。
これ以外には、無い。けれど、この運転技術で?
そう思いながらわたしは、どうぞ、と促した。

女性は続けた。
「ここから国道9号に出るにはどうすればいいかしら?」

わたしは面食らった。垢抜けた服装でこの車に乗って、美術館へ来るような人だ。それが「国道9号へいくにはどうすれば」なんて聞くだろうか。津和野は、国道9号から交差点を曲がってすぐなのに。

そう考えたのもほんの一瞬で、わたしは気づけば答えていた。なぜならば、道を知っているからであった。意識する前に、左手は進行方向を指差していた。

ここから道なりに行って、橋を渡ったあと、登り坂を大きく右にカーブすると、9号へ出ます。

このあとはどちらへ?

女性は答えた。
「浜田のほうまで」

浜田なら、9号の交差点は、左折ですよ。
鋭角に折れ曲がる感じで。

「どうもありがとう」

そう言うと、女性は美術館のなかへ歩いていった。



女性もわたしも、同じ方向へ走っていくのか。
もしかして、このあとまた会うことがあるかもしれない。

もし会うことがあったら、どんな人なのか話を聞いてみたいと思った。


若かったわたしは、いつの間にかそう思ったことを忘れて、走りに没頭していたのだった。