本屋に行ってぼえーっとした

本題に入る前の前段として。

本屋に行ってうろうろしていたら面白い本に会った。


 英語で何か書きものをしようと思った時、そぼくな疑問が出ることがある。可算名詞や不可算名詞くらいならまだしも、ニュアンスの違いや日本語で言う呼応の副詞のように使う表現なんか、どうだったっけ……アレだよ、アレ。そういうのを「へぇ、なるほどなぁ」と思いながら勉強したのは遠い昔。たまたま本屋で見てそんなことを思い出しながら、立ち読みしてしまった。そしたらこの本が分厚いので上腕二頭筋が鍛えられてしまった。筋肉は裏切らない。自分がこれを高校の時に持っていたら、もっと勉強したような気がする。時すでにお寿司。ちょっと違うとめでたいな。よかったな。ぼえー。


 最近、著作権に興味を持って少しずつ学んでいる。法令と裁判例と実務のいずれをも知らずにものごとを決めつけることの危うさを知るのは基本として、立法の精神や、世の中が変化しようとも変わらない軸、変化に対応すべき部分、感性の世界を裁判で判断することのむずかしさに触れた気がする。
 もう一歩実務的な視点の本がほしいと思っていたところ、たまたま見かけた。ウェブで調べものをするとちょくちょくこの著者にあたる。最近、雑談するなかで士業の方からもこの著者の名前を聞いたので、参考になるだろう。ぼえー。


 日本人が日本語教育の本を手に取ることはほとんどない。なぜなら「すでに体得している」と思い込んでいるからである。留学生が習った日本語を頭で組みたててたどたどしくもていねいに思いを伝えようとするのを見たときに、こんなことを思う。

自分は「相手にどうやったらちゃんと伝わるだろう?」と考えながら、時間をかけて言葉を選ぶことがどれほどあるか、と。

 この手の本では、例文や問題文でちょっとした「外側から見た日本」が語られているようにも思えて、世間のみんながだいすき?な「マウントを取るためのおてがる教養」とか「付け焼き刃にもならないグローバルな雰囲気」よりも、地に足ついた視点を養えるようにも思う。ぼえー。




それはさておき本題なのだけれど、本屋さんでぼえーっとしてるとなんか居心地がいいな、とおもうときあるよね。

……ぼえー。


そういうことである。