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冬の合言葉


「じゃあ、7時に早川のセブンで」

わたしはこれを、冬の合言葉だと思っていた。
冬のツーリング。




春夏秋と、目線は遠くを見ていた。

そこに、山がみえるでしょう。
その向こう、富士山がよく見える場所を過ぎて、
そうしたらまた山がみえるんです。
御坂峠。
そこを過ぎたらまた山が見えて、
左には北岳、右には八ヶ岳、
観光地は混むだろうから。
行き先は平谷峠。
いや、味噌川ダムでも。
……。

そういうわたしの話を聞く人はいない。
河口湖あたりから、
地図をなぞったところで
誰もついてこなくなる。


わたしは
走りたいだけ走り続ける。

走りたいだけ走るって、どこへ。
景色を見に。
景色を?
そう、景色を。

どうして?

そこに景色があって
景色には美しさがあるから。
美しさは心に響いて、
心は「自分が生きている」と
肉体に揺さぶりをかけるから。

わたしは
自分が生きていると感じたくて
自分の生きている世界と共鳴する
あの感覚のなかに身を置きたいのだった。

疲れと心地よさの隙間から
ギラギラとした自分の命が顔を出す、
あの感覚のなかに。


そうして
この世界が美しい
という自分の仮説が正しいことをただ証明する
その自己満足のために走りたかったのだ。

その感覚へ行くためには
走って走って
まだ走らなければならない……。

わたしの見る遠くは、
人よりも少し向こう側だった。


そういう話を
誰にもしたことがない。
その話をしたところで、
冬の朝、今日のルートとは関係がない。

春夏秋は、冬を待つ季節

そう歌っていたのは、中島みゆきだった。




冬がきた。

冬はツーリングの季節。
走れる場所は限られても。

じゃあ、早川のセブンで。

何時?

7時に。

いつもどおり?

そう、いつもどおり。

あの人は、いつもどおり遅れてくるね。

きっとね。



わたしは6時半には早川のセブンにいる。まだ暗い。朝5時に走り始める身体にとってはぬるい出発時間だ、と思いながら、冬の寒さと路面状況を確認して家を出た。集合の前にひとっ走り、というのは危ない。そう考えて幹線道路をおとなしく走っていく。道路脇の雑草に霜は降りていない。寒いといってもこの程度。今日の海岸沿いは問題ない。日が昇れば暖かさも感じるだろう。


当時のわたしは、コンビニで缶コーヒーを飲みながら煙草で一服するのだった。ゆっくり一本。煙をみて、ただ何でもない時間を過ごす。空があかるくなっていく。「きみだけの時間は終わりだ」と空に宣告されたような気になる。

コンビニの駐車場で、自分のバイクを眺めて時間が過ぎる。

…あの音は。1人、いや、2人やってきた。わたしは右手に缶コーヒーを持ち、左手を振る。2台なかよく、わたしのバイクのとなりに止まった。

男友達、女友達。

キーをひねってエンジンを止める。スモークのフルフェイスを脱ぐと笑顔が見えた。

おはよう。

時間通りだね。

2人は笑顔のまま、さむいさむいと言いながらコンビニの中へ。


走るのがすきなんだ。
朝から会えてよかったな、と思う。
2人と話し始める。


ネックウォーマー、暖かそうだね。

そうなの、いいでしょ、これ。

ちょっとおしゃれだよね。バイク用品?

いや、それがちがうの。

スキマ風、この時期辛いからオレも買おうかな。

買いに行く? 行こうよ、みんなで。

お店はどのへん?

じゃあ、次回は飲むついでにみんなで買い物かな。



…あ、タイヤ変えたでしょ?

そう、ちょっと柔らかいやつに。

前はミシュランだったけど、ピレリはどう?

まだわかんない。皮剥き終わってないし。

相変わらずキレイに乗ってるね。

洗車してるからね。

タンクがぴっかぴか…あれ? タンクバッグ変えた?

変えてないよ〜。ちゃんと見てる〜?


いつもどおり、あの人遅刻?

だね〜。



7時半、聞き慣れた音が聞こえる。

ほら。

わたしたち3人は手を振って2台のバイクを迎える。

もうすっかり明るい。


ごめんごめん、
だってさ〜、今朝寒いんだもん。

いつもの、憎めない第一声。

早く起きろって言って何回も電話したのにさァ
コイツ起きねぇんだよ、ほんと。

だって寝てるんだもん!

走る日くらい起きろよォ

だって寒いんだもん!

ほんとコイツのせいで遅れてごめんね〜って、
なんで俺があやまんだよォ

だって寒いじゃん。
え、みんなちゃんと来たの!?

3人は笑顔でうなずく。


オマエだけだよォ、寝てんの〜
ところで、今日はどこまで行くの?


わたしは地図を広げる。

今日は、温泉だよね。
帰りがすっげぇ寒くなるけど。

え? 寒いのヤダ!

じゃあどうしよう。 温泉なし?

……



1人走り続ける春夏秋とは違う
冬のツーリング。
友人との会話をするために、走るような気がする。


じゃあ、行きますか。


わたしはみんなを促す。時間通り来た3人は、示し合わせたようにさっさとバイクにまたがる。遅刻したあの人は言う。

ええ〜、いま来たところだから一服させて!
みんなさ、一服したんでしょ?

時間通りに来た3人は、
「やっぱりそう言うと思った!」
と声を合わせて笑った。


わたしの冬のツーリングは、
1人で走るものだけではなかった。

友人と会って、他愛もない話をするための時間。

時間通り来なくたって、みんな待っている。「今日は行かない」という連絡がなければ、昼まででも待っている。他愛もない会話をして。そして誰かが言い出すのだ。

「寒いのに、これから走るの?」



冬には冬のツーリング。
1人で走らないツーリングも、あったのだ。


どうですか。
寒いなか、ちょっと走ってみたくなったでしょう?

じゃあ、7時に早川のセブンで。