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かっこいい名称

私自身の座右の銘は『晴天心』。
大好きな言葉であり、日々常々、心に留めておきたい言葉である。
天理教の信仰をする上で、この言葉は以下のように説明されている。

晴天の心 (せいてんのこころ)
曇りのない心をいう。曇りがなければ気も晴れ晴れするもので、晴れた天気にたとえて、明るい、わだかまりのない心の持ち方が教えられている。「又晴天の日の心を以て何事もすれば、晴天というものは何をすれども、速やかな事が出けるものである。」
(おさしづM21・8・9)

天理教辞典(おやさと研究所)

心に一点の曇りがなく、澄んだ状態の心ですね。これ、けっこう難しいんです。
私なんか、短気だし、我儘だし、気分屋だし、まったくもって晴天とはほど遠い心の状態のほうが多いのかも、といつも反省しきり。

🔹もし宜しければ、下の記事も併せてお読みください。なんで「晴天心」という言葉が座右の銘なのか?ということを綴っています。


私がお預かりする教会の名称の話し。
(あえて固有名詞はふせますが。)
教会名称にはいろんな由来がありますよね。
地名由来や、親教会の名称から一文字いただく、親が名付ける、などなどさまざまな由来。

ウチは、教会が所在する地名と同じです。
なので、地名由来。かと思いきや、その逆。

名称は初代がつけました。初代から数えて18代ほど遡った祖先が住んでた場所に由来しています。
その当時、初代が設立した教会所在地は今とは別の地名でした。
その後、三代の時、市の学区編成で教会所在地を中心とする小さな集落は、JR沿線に沿って南北に分割されてしまい、突然、元の学区から切り離され、別の学区になったんです。

その時、三代は、
「ウチは元々の学区に残る」
と主張して、その小さな集落を取りまとめて新たな町自治会を作り、町民運動をしました。
はたして、その運動がなんと結実し、「さて、新しい町名をどうしようか」てなった時に、住民さんたちが、
「この町内には明治時代から教会があるから、教会の名前をとって新たな町名にしよう」
とのことで、今の地名になりました。

あ、ウチは郡山大教会じゃないですよ。
奈良県大和郡山市天理町。
スゴイね。
ウチも実は同んなじ由来です。
町名が教会名称由来。
ウチの名称由来、コレ、ちょっとだけ自慢なんですぅww


さて、話しは少し逸れるが、学生時代の同じ学科の先輩が、近年、教会を設立したんです。
どんな名称にしたんだろ?てお伺いすると、
「西大寺分教会」。
おおっ!カッコいい名称!
その名称、よく今まで名乗られなかったですね!ていう驚き。よく今まで残ってたなぁ、と感嘆しましたよ。

そんなおめでたい出来事があった砌、なんとなく名称録をパラパラと見てた昼下がり。
ふと、「晴天分教会」なんて名称ってあるのかなぁと、頭をよぎり、さらにパラパラと調べていると。。。

なんと!!!!「晴天」あるっっ!
ふむふむ、網干部属かぁ。
所在地は、、、おっ!赤穂市。

実は、その所在地から車で15分、東隣りの相生市に私のお預かりする教会の信者さん宅が2軒あり、毎月おつとめに伺っている。
「これは凸できる!」

以来、相生市の信者さん宅に伺うたびに、晴天分教会参拝の機会を狙ってたんですよ。
そしてついに!
最近、凸参拝の念願が叶ったんです。

ナビが示す通りに向かい、そして、住宅地に入っていく。すると、総二階建ての立派な建物が目に入ってくる。
「ゼッタイあそこだ!」
目的地に着いたことをナビが知らせる。
玄関らしき雰囲気のあるブロック塀。
ババーーン👇

カッコいい字面っ!

ホンマに「晴天分教会」ってあるんや!
もう、感動で鳥肌が立ちましたよ。

車を停めて、賽銭を片手に玄関へ凸ッ。
「こんにちはぁ〜」
「はぁーーい」
私(52歳)より少し上かな。
奥さんらしい。
私、「あの、突然すみません、お参拝させて下さい」
「‥ど、どうぞ、、」
明らかに疑念顔。そりゃそうよね、疑念しかないよね。ゼッタイに押し売りか何かの勧誘か、ま、とにかく疑念よね。
せっかく来たんだから、私は「失礼します」と靴を脱ぎ、「神殿は2階ですから、、」と奥さんが指差す方向にある階段を目指す。

ついに来た!
立派な神殿だなぁー、と感動。
私の背中には疑念顔の奥さん。。
視線が痛い。

忘れずにお賽銭を。
チャリーン、じゃないよ、ハラァーとお賽銭。
さすが2階神殿。風がよく通る。
心地いいなぁ、素敵な神殿だなぁ、来てよかったなぁ。
後ろの奥さんは、疑念顔。

「失礼しました。申し遅れました。」
と、私は自己紹介をし、こちらの名称に憧れて、ついに参拝の念願が叶ったことを告げました。

奥さん、やっと笑顔になってくれました。
(いま振り返ると、この方が奥さんなのか、会長さんなのか、信者さんなのか、聞くのを忘れてたーーーw)

なんで「晴天」ていう名称なんですか?という問いに、奥さんは、「初代会長が晴夫っていう名前なんです。それと、飯降先生から聞かせていただいた晴天のお話しがとても好きだったらしく、それで、設立の時に『晴天』て。」

なんと分かりやすい理由。
simple is the best!
自分の名前の一字を教会名称に。
なんて羨ましいんだろ。

立派な、まだ新しい神殿なんですね。いつ建築されたんですか?
もう私の質問は止まらない。
素人かっ、てツッコミくるね。

教会設立の際に普請したんです。
と,奥さん。

え!?いつ設立なんですか?
「平成2年です。」と。
えーー!平成生まれの教会なんですかっ!

「でもね、信仰は私で6代目なの。」
古いーーー。
ちなみに私は5代目。
「ずっと布教所だったんですが、大きな節があってね。教会にならなければいけない道だったんだと思います、ウチは。」

わずか20分くらいの滞在だったかな。
いろんなお話を伺いました。
そして、最後に奥さんは笑顔で、
「網干は、若い会長さんに代替わりして、年祭に向かってみんな活発に元気に動いてますよ。」と仰った。
神殿の壁には、大教会の活動方針ポスターが貼られていた。おやさま140年祭に向かう、ムキムキな文言の並ぶポスター。
「やっぱりこれだよね、活動方針ポスターは!」
私は、大好きですよ、ムキムキゴリマッチョな活動方針が。


後日、網干系のお友達に連絡した。
「大教会編纂の部内教会史ってある?差し支えなければ見せて欲しいんだけど。」
と、過日の出来事を話した。
すると、「あ、晴天分教会は新しい教会で、編纂時期と設立時期が同時期で、実は掲載されてないんだけど、その上級教会の教会史には載ってるよ。」と、わざわざ該当ページの画像を添付してくれた。

(‥前略‥)
その後、穂高布教所長中山末野は、昭和四十九年五月直腸癌の身上から、再三談じ合いを重ねて教会設立の心を定め、手術後三カ月の寿命と宣告を受けたが、約十年の延命をいただき、昭和六十年十月二十二日出直すまで布教に専念され、後任として、中山晴夫が布教所長の任をつとめていたが、昭和六十二年
二月五日、長男中山繁突然の事故死を機に、中山末野身上の際に定めた教会設立を心定め、練り合いを重ね神殿建築の上、晴天分教会を誕生させていただいた。
(‥後略‥)

大きな節を乗り越えて、教会設立へ。
奥さんとの会話の中で、私の心に引っかかっていた話があった。
「ずっと布教所でつとめるものだと思ってましたが、教会になって勤めなければならない道だったんです、、、」
奥さんがつぶやくように言った話だ。

いったいどういった節目だったんですか?
と、喉まで出かかった言葉を飲み込んで。
初めてお参拝した教会で、根掘り葉掘り聞くのがなんだか失礼だなぁと思って。
そして、同系統のお友達に頼んで、晴天分教会の教会史の一端に触れることができた。

たかが数行の歴史ではあるが、その行間には、大きな大きな信仰の喜びと、大きな大きな数々の節目が交錯する、晴天分教会の道すがらなんだなぁと、奥さんの話に思いを馳せた。

思い切って参拝に行ってよかったです。

晴天の空に聳える晴天分教会

気になった教会は、行ける範囲でどんどん参拝に行きたいなぁと思います。
きっと自分自身の信仰の血肉になるよね。


てことで、今週もありがとうございました😊
また来週👋

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