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「家」と「墓」

「稿本天理教教祖伝 第一章 月日のやしろ」には、親神天理王命の突然の天啓により、戸主である中山善兵衞様はじめ家人たちが右往左往し、なんとかお断りできないものか狼狽する、親神様とのやり取りが描かれている。

親神様は、

元の神の思わく通りするのや、神の言う事承知せよ。聞き入れくれた事ならば、世界一列救けさそ。もし不承知とあらば、この家、粉も無いようにする。

第一章「月日のやしろ」

と、善兵衞様に迫り、遂には中山みき様を神に差し上げらた。

この最後通告とも、決定打ともいえる親神様の「この家、粉もないように」とのお言葉はとても怖い。

私は「家」と「墓」は自分自身を確立し生きた証として証明してくれる大切な概念だという価値観をもち、信仰の上でもいろんな方々のお話しを聴く場合にも、思案のベースには「家」と「墓」がある。

今回はこれらのことについての記事です。
お堅い!古い!時代錯誤!と最初に自分自身につっこんどきます😆


「家」と「墓」は、代々、子孫が受け継ぐべきものとして厳然とある。
「墓」の概念は遥か太古に遡るし、「家」の概念も中世の武家社会を中心に日本社会に根付いてきた。
親神天理王命ご降臨の天保9年、江戸時代末期においてもそれは変わらず人の概念に息づき、「家」と「墓」を守り人々は懸命に生きていた。「家」は大事、「墓」も大事な価値観の主軸だったと思います。

そんな時代背景の中、親神様に「この家、粉もないようにするぞー」て言い渡されたら、そりゃ驚愕ですよね。最強の引導ですよ。
もし親神様が「秀司の足痛も、善兵衞の眼も、みきの腰も、ぜーんぶ治さないよ!」的な言い渡しだったら、さて、果たして「みきを差し上げます」となったかどうだか。
現代ならば「SNSに晒すよ!」「暴露するよ!」かな?いや、そんな濃度ではない、もっと濃いよ、家が跡形もなく消え去るんだからね。

三日三晩、善兵衞様は苦悩のどん底にあったに違いない。
しかし、みき様を神のやしろに差し上げたからこそ、中山家は壊滅を免れた。そして今でも存続している。
15代続いた江戸幕府の徳川家も存続している。
しかしその過程には養子や婿入りなど、「家」を続かせる手段を講じながらも、やっと、どうにかこうにか、、存続している。

しかし、これからは「家」も「墓」も、これまでの概念とは違ってくるんでしょうね。

“個”の時代へと向かっているなぁという肌感覚は感じつつも“何かの一員なんだ”という“何か”を見つけられた人は幸せなんだと思うよ。
お!「noteの一員だよ」これいいんじゃない?
ホントは「家」の一員、ていう気持ちになる事ができるように、「墓」に詣って、時には家族のヒストリーを話して聞かせることも大切ですねぇ。

おたすけの現場においても、「家」と「墓」について対話が深められると、何かの糸口が見出せる場合もありますね。
その根底には「家」と「墓」の概念が必要だし、子供が小さい時から親が語って聞かせることが肝要だなぁと、つくづく思います。

私自身の「家」は、このままでは存続しないかも、という事情から入信し、信仰を続け、おかげで今日まで続いている。
だから尚更、善兵衞様の苦悩が理解できる。

「家」と「墓」、古い概念かもしれないけど、だけど大切な考え方なんだよ、ということを、今の時代だからこそ、この先も伝えていきたいと思います。

今回は真面目な記事になってしまいました。
最後までお読みくださってありがとうございます🙇‍♂️

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