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その夢なら、今でも僕が預かっている:カフェジリオの始まりの日

カフェジリオという名前を思い付いたのは、妻とイタリア、モンタルチーノの街を歩いていた時のことだ。
ホテルの看板に掲げられたユリのシンボルに目が止まった。妻の名前は百合子というのだ。
ホテルの名は、『Albergo IL Giglio』
その時、計画していた二人のカフェの名前はカフェジリオと決まった。

わりあいスムーズに開店できたそのお店ではクリスマスケーキの時期が一番賑わう。
そして僕はクリスマスになると、決まってザ・ポーグスとカースティ・マッコールのデュエットによる「ニューヨークの夢」をかけるのだ。

この曲に描かれているのは、アイルランドから夢を追いかけてアメリカに移住して来た移民の物語で、なかなか成功を掴めず年老いてしまった夫婦が、若い頃の出会いから始まり、クリスマスの夜に飲んだくれて警察に拘置され一夜を明かした翌朝の会話で終わる。
その会話がこれだ。

「俺には明るい未来があったはずなのに・・」

「そんなこと誰にだって言えるわ!
「最初に知り合った時に、あなたは私の夢を持って行っちゃったのよ」

「ああ、その夢なら俺が今でも大事に預かっているよ
「自分のと一緒にしまっているのさ
「俺はどうせ一人でやっていけるような強い男じゃない
「君がいなければ夢を持つこともできないんだ」

・・何度読んでも泣ける。
そうだ。僕はこのご老人の言い分に激しく共感している。

現代の日本を生きる僕たち夫婦は、幸運に恵まれて夢のひとつを叶えて、こうして札幌でケーキ屋さんを開くことができた。
でも思い返すと僕の心にあったのは「サラリーマンにはなりたくない。けど今の自分に何ができる?」ということだけだったのかも知れない。
消極的な選択肢として「喫茶店ってのもいいかなあ」と思っていた僕の前に、子供の頃からの「ケーキ屋さんになりたい」という夢を実現するための資金が欲しくて就職しましたっていう人が現れて、自分の考え方の甘っちょろさに深く恥じ入った。
そして図々しい僕は、その人の「意志」に自分の漠然とした希望を仮託することで、形をもった「夢」に変えてもらったのだ。
そんなふうに僕らは結婚し、二人分の夢を束ねて半分ずつの力でひとつの夢を実現したのだった。

カフェジリオのルーツであるイタリアにはその後も何度も出かけた。
バイオリンが生まれた街クレモナには音楽が溢れ、欧州文化の故郷フィレンツェには今の我々の生活のルーツが眠っていた。
ヴェネツィアには職人の誇りが息づき、シエナには静謐な「生活」がゆっくりした時間の中をたゆたっていた。

この国で暮らしたい!
誰だってそう思うだろう。
僕らもそう思った。
だから二人でお店をやって、歳を取ったらイタリアに住もうと約束した。
これが、二人で作ったもうひとつの夢だ。

「その夢なら、今でも僕が預かっている。」
クリスマスが来る度に、ポーグスの「ニューヨークの夢」を聴きながら、その約束が風化していないのを確かめる。
そして、二人分持ったのに重くならずに、足取りが軽くなる「夢」の不思議を思いながら、僕達の「ロード・トゥ・アルベルゴ・イル・ジリオ」を今日も二人で歩いて行くのだ。

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