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ブラームスの髭

ブラームスの髭: 2年半ぶりの演奏会

2022年8月7日、2年半ぶりに私の所属するアマチュアオーケストラの演奏会を開催することができた。
プログラム:
ベルディ・「ナブッコ」序曲、 
ベートーヴェン・ピアノ協奏曲第4番
ブラームス・交響曲第2番、
 ピアノ 小井土文哉、指揮 河原哲也 
https://twitter。com/iwate_classic/status/1556947742185795584

2020年春以来のコロナウィルスの感染拡大により,私たちの活動も大きな影響を受けてきた。今回は,2020年1月の第71回定期演奏会から実に2年半ぶりの演奏会。第72回定期演奏会は,当初,2021年1月に,岩手県釜石出身・国内外で大活躍の小井土文哉氏をソリストとしてお迎えし,開催することを計画していた。しかし,コロナウィルスの感染拡大により中止。ようやく種々の制限が緩和され,昨年(2021年)の夏頃から,少しずつ練習活動を再開し,本年(2022年)2月の演奏会に向けて準備を進めてきたところ、第6波の感染拡大により,演奏会開催の1ヶ月前になって中止せざるを得なくなった。これで小井土さんをソリストとしてお迎えする演奏会の開催はもう出来ないではないかと思っていたが,8月7日の盛岡市民文化会館大ホールの会場が幸運にも空いていて、また,きわめてご多忙なスケジュールの指揮者・ソリストの先生方にご都合がつけていただくことができ、ようやく演奏会を迎えることができることになった。ただ昨今のコロナウィルスの感染急拡大で、「二度あることは三度ある」になるのではないかと気が気ではなかった。まさに「三度目の正直」。

今回は、ベルディとブラームスのセカンドクラリネットを吹き、プログラムにブラームスの曲目解説を書いた。少し長いですが、以下にそのまま転載。この解説の後に、ブラームスの髭についての追加のエピソードを紹介。

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ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms)は、バッハ(Bach)、ベートーヴェン(Beethoven)と並んで「3大B」と称されるドイツの大作曲家です。ブラームスは、ベートーヴェンが亡くなって6年後の1833年にドイツ北部の港町ハンブルグに生まれました。子供のころから音楽の才能で注目されていましたが、家は貧しく、生活のために酒場のような場所でピアノを弾いていたこともありました。転機が訪れたのは20歳の時。当時のドイツ音楽界のリーダーの一人であった作曲家ロベルト・シューマン(ピアノ曲「子供の情景」、歌曲「詩人の恋」などで有名)を訪問する機会がありました。この巨匠の前でブラームスが自作のピアノソナタを弾き始めると、1楽章が終わるやいなや、ロベルトは夫人のクララ(彼女は欧州随一と言われたピアニスト)を呼び、「はやくおいで、天才だよ」と熱狂したと言われています。そして、ロベルト・シューマンは、自身の主催する音楽評論誌「音楽新報」にブラームスを紹介する記事を書きました。このように、ブラームスは、ロベルト・シューマン、クララ・シューマン夫妻にその才能を見いだされ、大作曲家への道を歩むことになります。そのわずか3年後、ロベルトが自殺未遂の上、療養所で亡くなってしまいます。ブラームスは14歳年上のクララとその家族を助け、40年にわたって深い親交を結びます。彼女の存在はブラームスの音楽活動に大きな影響を及ぼしました。1896年クララが亡くなると、その翌年、彼女を追うようにブラームスも亡くなりました。彼は、生涯、独身を通しました。二人の出会いは音楽史に残る出来事だったのです。
 ブラームスは、ピアノ曲をはじめ、歌曲、室内楽曲、管弦楽曲とあらゆるジャンルの曲を書いてきましたが、交響曲についてはなかなか作曲できないでいました。20代の頃に、交響曲を構想しましたが、筆が進みませんでした。ブラームスは、「自分はベートーヴェンを大いに尊敬しており、ベートーヴェンが交響曲についてやり尽くしたので、自分が交響曲を書くのは容易ではない」と言っています。その後、苦労を重ね、ついに最初の交響曲第1番を発表したのは1876年。ほぼ20年かかっています。ブラームスはすでに43歳となっていました。ところが、本日演奏する交響曲第2番は、その1年後の1877年の夏にわずか2ヶ月の間に作曲されました。第1交響曲を書いてベートーヴェンのくびきを逃れたのでしょうか。ブラームスは、1877年の夏、南オーストリアのペルチャッハという村で夏を過ごしました。この風光明媚な地で、次から次へと楽想が生まれてきたのでした。「この地では旋律がこんなに数多く生まれてくるので、僕は散歩の時に、それを踏み潰さないように用心しなければなりません」と友人に語っています。クララ・シューマンは、この時、ペルチャッハのブラームスを訪れています。ブラームスは気分屋で不機嫌なことも多かったようですが、この時、「彼は大変機嫌がよかった」と、クララは友人への手紙で述べています。
 美しいメロディーにあふれ、明るい雰囲気に満ちたこの交響曲は、ブラームスの田園交響曲だと言う人もいます。ただ、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」の小川や小鳥や嵐のように具体的な音楽描写がある訳ではありません。それでも、この交響曲は聞く人に初夏の美しい田園風景を思い起こさせます。第1楽章は、チェロ・コントラバスの「レード#-レ」という短いテーマの後に、ホルンや木管楽器による牧野を思わせる旋律が続きます。「レード#-レ」というテーマは形を変えて何度も現れます。この楽章を私の個人的なイメージで描いてみると、「初夏の小岩井農場から望む岩手山」。第2楽章は、チェロの深くゆるやかで底に情熱を秘めた旋律で開始されます。遠くにホルンを聴きながら、木管楽器に揺らぎのあるテーマが奏されます。私的には、「愛する人(クララ・シューマン)を想いながら深い森を散策するブラームス」。(註:この部分は、昨年note に書いた“ブラームスの交響曲2番にもあったクララ・コード”をご参照ください)。第3楽章。オーボエの3拍子のテーマで開始されます。3拍目にアクセントのある田舎風のウィンナワルツ。私的には「牧野を背景にした村娘たちの踊り」。第4楽章は、速く生き生きと、力強く喜ばしい音楽です。楽章の後半は、圧倒的に盛り上がって、トロンボーンのニ長調の和音で華々しく曲を結びます。私的には「大草原を走り回る麦わらのルフィ」(私のイメージが皆さんの鑑賞の邪魔にならないことを願っています)。
 ところで、今回の演奏会のポスターやプログラム表紙に登場しているブラームスは立派なひげを生やしています。ブラームスとは言えばひげ。これが彼の肖像のトレードマークになっていますが、若い時からひげを生やしていた訳ではありません。若い時は、金髪の髪をなびかし、なかなかハンサムな風貌であったようです。交響曲第1番を発表した1876年の写真にはまだひげはありません。ところが、その2年後の1878年に撮られた写真ではすでに立派なひげをはやしているのです。このような立派なひげとなるまではやはり時間がかかることでしょう。1877年の夏、ペルチャッハでクララ・シューマンに会ったブラームスのひげの伸びはどのようなものだったのでしょうか。
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お客様のアンケートに、「解説が冗長で長すぎる、800字以内で」(70代男性」というお叱りの声もあったが、「プログラムの曲目紹介が興味深くて面白かったです」(40代女性)、「ブラ2の4楽章はルフィのイメージ、いいですね!!)(40代女性)という声もあってうれしかった。ちなみに、演奏会前半の小井土さんのピアノ協奏曲の後のアンコールはロベルト・シューマンの「トロイメライ」。「後半のブラームスへつながったね」と指揮者の河原先生はおっしゃってくれた。 

さて、ブラームスの髭だが、その後、「ブラームス回想録集(3)ブラームスと私」(音楽の友社)を読んでいたら、次のようなエピソードを見つけた。1878年の終わり頃(髭が伸びた写真の頃)、ブラームスの友人で歌手であったジョージ・ヘンシェル(1850-1934。後に、作曲家、指揮者としても活躍)が演奏旅行でウィーンへやって来た。彼は、この時まで数年間ブラームスとは会っていなかったので、ブラームスが髭を伸ばしたことを知らなかった。コンサートを終え、楽屋で友人たちと歓談している時、突然見慣れない小太りで中背、長髪で髭もじゃの男が、「音楽監督のミュラーでございます」と堅苦しく最敬礼。ヘンシェルも最敬礼で答えようとして、一同、笑いころげたそうだ。この人がブラームスだったのだ。ブラームスには、こんなお茶目な一面があった。


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