見出し画像

20210201

2/1 放課後子ども教室のアクティヴィティで節分の『鬼札』『鬼めくり』の風習の実践をした。鬼札と聞いてピンと来る人は、全国的にはあまりいないかも知れないが、少なくとも岐阜県美濃地方のこちらの地域では、多くの家庭で古い時代から伝えられてきているもの。ただ、現代の今の今まで律儀に継続している家はどれだけ残っているだろうか。

①短冊上部に鬼の顔を描く。できるだけ「怖い」顔を。家の中に入ってくる邪鬼を怖がらせるだけの怖い顔。目には目を、鬼には鬼を、か。

②短冊下部に「十三月」と書く。家の中に入ってくる邪鬼が戸惑ってフリーズするように。一年は十二月までしかないはずだから。あるいは、鬼の手足には指が三本ずつ生えていて、数を数える時に手足の全ての指を使っても13まで届かず悩み悶えるため、とも。

③他は様々な形式があるが、上部の鬼と下部の十三月との間に13個の「点」を打つ。理由は②と同じく邪鬼がこの点の数を数えて苦しむように。

④何枚も描いた鬼札を、柊(ヒイラギ)の枝に鰯(イワシ)の頭と一緒に括り、家の各部屋の柱にはりつける。トイレや倉庫などにも。玄関にも。魔除けの札という具合に。

⑤全ての部屋に鬼札がセットされた状態で、いよいよ「豆まき」をする。各部屋を回り、それぞれに「福は内」と声を出し豆をまく。邪鬼たちは次第に追い詰められて行く。

⑥最後に表玄関の扉を開け、家の外に向かって大きな声で「鬼は外!」と唱える。邪鬼を完全に外に追い払い、玄関の扉を力強く閉める。

今日は放課後子ども教室が開かれている公民館施設の各部屋を使い、『福は内』『鬼は外』までの一連の流れを皆でやってみることにした。
僕は、子どもたちと一緒に古い記憶を思い起こしながら、この風習の面白さをあらためてじわり感じていた。

まず「恐ろしい鬼」の顔を想像して描く(紙の上に落とし込む)作業は本当に難しい。人間にとって恐ろしい、身震いするような事象は世の中に様々な形で確かに存在するのだけど、日常生活の中ではきっと人それぞれの本能がそれらを「見えなく」している。苦しく醜いもの、怖いものは出来るだけ見たくない。邪鬼/邪心から目を逸らすことで自分にとって都合の良いユートピアを創造し、そこに楽しく安住しようとするのだろう。大人になっても、ましてや小さな子どもにとって「恐ろしい鬼」を自らの手で可視化する行為にはなかなか根性が要る。難しいなー、と何人かの子が口にしていた。その通りなのだ。

その後、日が沈み外が暗くなった後で鬼札のつけられた各部屋を周回する最中、ある子が「本当におばけがいるみたいだ」と口にした。
そうだ。怖い鬼を想像し、魔除けのために自分たちの手で札をはった。自分たちは実際に幸せになるため豆をまく。鬼を追い詰め、まさに退治せんと呪文を唱えている。そこには本当に、本質的に「鬼」が存在していることは間違いなさそうだ。

記事を書く間に日が変わる。節分です。禍よ去れ。鬼は外。さて。

*添付写真は小二のある男の子が描いた鬼札です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?