見出し画像

人生にもしも...なんてないけど ⑳通夜準備 母の初産日記(母と兄の絆)

片づけの合間にふと携帯を見ると
”明日、通夜に間に合うようにバスで帰るから迎えはいらない”
と兄のメッセージが入っていた。
父に伝えると長らく会っていなかったので、単純に会えることを喜んでいた。

昨夜は単なる亡骸だった母が、朝から家族総勢の片づけにはなんだかニコニコ見守っている感じだったが、この頃には兄を呼びに行って戻ってきたという感じだったのか?


3、4年前だったか、母の日記を見つけた。大学ノートに数ページ記録して
終わっていたが、初産の兄の誕生の記録だった。
お産を前に、(夫不在時には)近所のママ友に付き添いを頼んでいたり。
病院に駆け付けた夫と遅くまで我が子の話で”盛り上がった”と、喜びで言葉も弾んでいたり。
田舎から母の母が手伝いに来てくれたようで、赤ちゃんが泣く理由がわからず戸惑っていると「おしめじゃないか?」とか「お乳じゃないか?」と、母の言う通りなのでさすがだなぁと感心し、助かったと頼りにしている様子が書かれていたり。
また、母乳の出がいまいちで、粉ミルクも使うことになったらしく、
”研究せねば”とミルクメーカーの月齢とミルク量のかわいらしいイラストの表が挟まれてもいた。

 以前、母が、兄の1カ月検診で「いつまでもおっぱい吸ってて、よく飲むんです」と話したら、医師は「体重が増えていないから母乳の出が悪いのかも。これからは粉ミルクもって言われたんよ」と話したことがあった。
母さん、軽く笑い飛ばしてたけど、日記には『研究』って!力み過ぎじゃんっとノートにつっこんでしまった。
あゝ、母も25,6歳は確かに若かったんだな。
当たり前のことだけど、物心ついた頃から甘えたり、頼りになる母だったし、母は人に依存することなく、自分でやった方が早いとなんでもやってのけるタイプだったから、全然思い浮かばない初々しさだった。

3人の子育てをしながら、歳をとりながら経験を積み、何があっても(母だから)強くあらねば...と踏ん張ってきたんだろうなと思った。

 記録は数ページで終わっていたが、白紙のページをめくっていくと、
私の名前が書いてあるページがあった。
おっと思ったが、そのページは誰にいくらもらったかのお祝い帳で終わっていた。

母は常々「3人子供育てよぅ思うたら大変なんよ」「子育ては体力勝負。3人目なんか、おしめ変えてる途中で寝てしまったもんよ...」
と話していたけど、初めての子育てはわからないことだらけの手探りで、
母は赤ちゃんを”育てた”というより、赤ちゃんと”一緒に育った”感の方が強いのかもしれない。

いつかこのノートを兄に見せたいと思った。兄もきっと感じ方が変わるんじゃないかな…

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?