giftedは優生思想を乗り越えられるか・・・
19日に今年最後の講義が終わり,予定していた24日のセミナーが来春に順延ということで,一気に冬休みモードへ。日々,異世界ファンタジーを読み込み現実逃避。
2年前にフリースクール自遊学坊としてスタートした木曜ギフ寺も21日でその役割を終えた。「出席日数」を必要としていた子どもたちもギフ寺から旅立っていった。春まではコロナ前の土曜ギフ寺へと立ち戻ることに。
年内残すは,27日のボスとカタギーとの鼎談。臨床の最終章ということで(笑)
異世界ファンタジーを貪り読んでいる合間に,「giftedはなんぞや」について考えることが。明日話す予定だった「ギフテッドの知能特性の概観」というテーマのもと,ガルトンやターマンそして知能検査と優生思想についてあれやこれや思考を巡らしていた。
黄色本が出た時に,密林で選民思想として痛烈に批判していた人がいた。
選民思想といえばユダヤ教におけるユダヤ人。ガザでのジェノサイドを生み出しいている背景にあるのかな。「自分たちは優れている民族」そう思わせているのは時の為政者あり時には宗教が支える役割を。
ナチスも戦前の日本(今の自民党にレイシストの政治家が多数いるか)同じような考え方。
ギフテッドは選ばれしものなのか・・・?
「選ばれしもの」「優れているもの」としてラベリングしたいのは大人たち。
子どもたちにとってはどうでもいいことではないのだろうか。
「gifted」の臨床研究は多様性社会を知る一助になればいいのだが。そのためにも日本社会も学校優生思想からの脱却が求められていると思う。
こんなことを考えていたら先に進まんが,まあいいか。
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