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立川志の輔の落語を聞いてみた

先日、立川志の輔の独演会に行ってきた。そこまで落語に詳しくはないが、立川志の輔はためしてガッテンの人、という認識と立川談春「赤めだか」の中で、談志が芸術協会を辞めてしまって、え、自分もう浅草とかの寄席に出れないんすか?え…となっていた兄弟子として出てきた印象。


数年前になぜか笑点にどハマりして、毎週見ることに飽き足らず、BS日テレの笑点特大号で若手の落語家さんたちが地方のホールで座布団取り合戦をするのを本当に楽しく見ていたり、観覧に応募して後楽園ホールに行ったり、さらにそれが高じて林家たい平が出ている落語会に行ってみたりもしたのだが、また久々に落語に興味を持ったのは神田伯山のポッドキャストをマイブームで聞いていることもあるのかもしれない。


当の志の輔独演会のお客さんはほとんどが60代以上でご夫婦で来ている方達が多かった。落語は創作ものと古典落語を一つずつ。その前のお弟子さんたちの若々しさと流暢なお話に対して、志の輔の噺はさすがの緩急で、古典落語の噺が始まると、すっと江戸時代にタイムスリップしたかのようだった。お客さんの笑い声も、ピンっと張り詰めた緊張も、どちらも味わうことができて、大きなホールで落語を聞くのも良いなあとしみじみ感じていた。


ど素人の私にはひたすらこの後の話の流れはどうなるのだろうか、とどきどきしながら聞いていたが、ある程度お話を知っていて噺家さんたちによって聴き比べられるようになったらそれはそれで面白いんだろうな、と思った。


私の定年後の楽しみは落語と講談と歌舞伎にしよう。でもそれまで大事にとっておくのはもったい無いから、定年後の楽しみは残しつつ、古典芸能がそれまでに残っているように応援は続けて、基礎知識も少しずつ学んでいこうと強く思ったのだった。


立川志の輔の話が始まって、落語の本編が始まる前の導入。

親父さん「もしもし」
子ども「もしもし」
親父さん「おや、チビちゃん。お父さんいる?」
子ども「いりません」
(一同笑い)
これが分かれば大丈夫です。
今日帰った後、あーそういうことか!とわかるようだとこれから始まる落語が楽しめるかどうか。


という話が印象に残った。日本の特有な言語表現や歴史や文化を理解することは最低限のハードルで、人を傷つけないような悪戯や、悪気がないズレた率直さに笑える心の余裕があって、かつそれがとその余白で色々な表情をつけられるプロの語りを聞ける機会に巡り合えること。


海外にはない芸術とか日本人にしか伝わらないとか言う気は全くなくて、でもこれで笑い合えるのは日本を話せる、理解できる、という幸せな特典だと思っている。


問題は一緒に行ってくれるような同世代の古典芸能好きが周りにいないこと。広まれー!(((念力)))

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