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パニック障害という診断

こんにちは。はれなです。
私は2023年9月から現在まで休職しています。
直近の診断書の病名はパニック障害ですが、病名がここに至るまで少し時間がかかりました。体調を崩していった様子と診断の経過を備忘録としてまとめてみます。けっこうボリュームありますがご容赦ください。


体調の異変

人事異動

新卒で働きはじめてから3年間、私は保健所で勤務していました。コロナ禍の保健所勤務に疲弊しきった頃、やっと異動が叶い2022年4月より現在の部署となります。現在の部署も1年目はある程度余裕を持って過ごすことができましたが、2年目の春、事態は動き出します。そう、もちろん人事異動(自分は異動していない)です。

直属の敏腕な上司は穏やかだけれど少し頼りない方に代わり、頼りにしていた中堅職員は氷河期採用の新規採用職員に代わり、頼りにしていた若手の先輩は自分の一つ後輩の職員に代わり、、、誰が悪いという訳ではないけれど相対的にみて一時的にパワーダウンしたとしか言いようのない状況でした。かく言う私もこちらの部署は2年目、決してハイパワーとは言い難い人材でありながら、異動してきた職員のフォローをしつつ、自分は業務内容が変わりてんやわんやと過ごしていたのです。

心身の異変

梅雨が明け、異動してきた職員が少しずつ落ち着いてきた頃、私の業務は急激に逼迫してきました。昨年のメンバーであれば誰にでも頼ることができたのかもしれません。しかし、今年のメンバーは正直自分と変わらないようなノウハウしかない面々。誰に頼ればいいのかわからず、自分の心身がどんどんと余裕を失っていくのがわかりました。

残業が増え、睡眠も食事も減り、あきらかに身体に悪い生活を余儀なくされていました。それに加えて酷暑、少しずつ体調に異変が現れます。頭痛がひどくなったり、ご飯が喉を通らない日が増えたり、、、。そんな状況でも体調が悪いのは仕事のストレスからだと、プライベートのお誘いをすべてYESで返事していました。コロナ禍が明け、遊びのお誘いはここ数年で一番多かったです。

遊ぶことで元気になる属性であればそれで良かったのでしょうが、私に必要なのは遊ぶことよりも休むことでした。その事実に気づきつつも、YESと返事をした以上は遊びにも一生懸命参加しました。

そんな過ごし方をしているといわゆるパニック発作が頻発してきたのです。立ちくらみや冷や汗、過呼吸、その他複合的に様々な症状が現れるパニック発作、これが頻発するのです、また来た、また来た。人混みや猛暑の中などパニック発作が起きた場面を思い出す状況になるとどんどんと不安が募ってきてまた過呼吸気味、負のスパイラルの始まりです。

そして9月初旬のある勤務日、身支度をしているとどうも呼吸が整わない、少しでも締め付ける服を着ると息が上がってくる、ゆるゆるの服装に着替え直してさあ出勤!家を出ると暑さがいつも以上に身体にこたえて息が苦しい、、それでも少し落ち着いたら車に乗って飴を舐めて気を紛らしてなんとか職場にたどり着きました。それも束の間、ストレスフリーな業務をしていても息が苦しい、、、もうダメだ、早退。
この日以降、私は出勤できていません。

心身の悪化

パニック発作が頻発してくると自分でもどうしていいかわからず不安がどんどん膨らみます。それに比例して身体もどんどんと衰弱していきます。私の場合、とにかくご飯が喉を通りませんでした。
そして身体の衰弱は心の衰弱も呼び、もうどうにもならなくなって入院することになりました。


総合病院での診断

入院

総合病院の内科を受診し、様々な検査の結果、ひとまず食事がままならない状況による衰弱で脳に一時的な異常がみられたため、脳に関する病名が付けられて入院することになりました。
入院中は点滴を打って、なんとか少しずつご飯が食べられるようになりました。筋力も落ち切っていましたがお箸をもったり、少しずつ歩く練習をしてみたり、何気ない動作ができるようになるのがとても嬉しくて感動したことを覚えています。
とはいえ、衰弱し切った身体がそんなにすぐに元どおりになるはずもなく、ひどい過呼吸は落ち着いたものの、不安による嗚咽や咳、臭いや揺れなど感覚過敏が酷くとても過ごしにくい日々でした。

入院中、病院の心理士の方が随時話をきいてくれました。その後、心療内科の医師にはパニック発作という診断を受けました。私はこの時初めてパニック発作という言葉を知り、ネットなどでも調べて私はこれで苦しんでいたのかと、ストンと心に落ちました。

総合病院での診断書

9月末、退院の際に診断書をいただきました。総合病院の診断はあくまで脳の異常が主となっていたため、この時点ではパニック障害の診断は出ず、パニック発作という扱いになりました。
たしかに、この時点ではある程度パニック発作の症状がが落ち着いていたので、体力さえ戻ればなんとか元に戻っていけるだろうという強い気持ちの自分がいました。

退院後

退院後、少しずつ外に行く機会も増やし、早く元とおりになるぞ!と勢いよく自分なりのリハビリをしていたある日、久しぶりに息苦しさが舞い戻ってきました、そうしてしばらくすると過呼吸です、10月末のことでした。
リハビリをムリしたせいか症状がぶり返してしまいました。この時自分の中で、ぶり返すのか、とひとつ不安のレベルが上がった気がします。おそらくこのタイミングで実態としてはパニック障害にレベルアップしていたと思います。

退院後も総合病院では定期的に脳のMRI検査を受けていましたが、パニック発作の部分に焦点を当てられることはあまりありませんでした。
脳の異常はなくなり、経過観察の検査も3月で終了となりました。しかし、あきらかにまだ自分は苦しんでいるのです。それも脳ではなくてパニック発作で。そこで、総合病院で紹介状を出してもらい、やっと心療内科のクリニックを受診する運びとなりました。


心療内科クリニックでの診断

クリニックでの診断

3月、心療内科クリニックでの診断はパニック障害でした。パニック障害という言葉はパニック発作と言われた時よりも心に少し重くのしかかりました。そして、お薬の服用も勧められました。今まで総合病院の医師にはお薬はあまりお勧めしないと言われ続けていたこともあり、お薬への抵抗感は正直とても強かったです。
けれど、ここまで長引いているのだし、何か新たな起爆剤として専門医の言葉を信じてみようと思いました。
お薬をもらった当日、お薬を飲むことが不安で過呼吸気味になり飲めませんでした。翌日、インターネットなどで情報を集めてなんとか自分を納得させてお薬を飲むことができました。

現在

私が服用しているのはエスシタロプラム錠というお薬です。お薬の量を調整するため初めの頃は2週に1回程度受診していましたが、お薬の量が安定した現在は月に1回程度の受診となっています。また、ここ最近の暑さでまた少し体調が芳しくなかったこともあり、もう一押しの役割でお薬の種類が増えました。こちらは今効果を確かめているところです。
とはいえ、心療内科クリニックに通い始めてお薬を飲み始めてからというもの、かなり症状が軽くなり、徐々に回復していくのを実感する日々です。過ごし方などはまた別の機会に記すつもりですのでもしよければ覗いてください。


まとめ

長文失礼いたしました。かなり生々しく書いてしまった部分もあります。私自身、急性期の頃は当事者の方の様子を知るとずんとしんどくなってしまうことがありました。ですので、辛い思いをさせてしまった方がいたらごめんなさい。けれど、当事者や周囲にパニック障害の方がおられる方の少しでも何かの参考になればと思います。
お読みいただきありがとうございました!

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